Side A:Hyth
フレデリカもジョセフも、僕の夢に出てくる女に言及する際は細心の注意を払っている。その名詞を口にしたら最後、たちまちに四肢が爆散する呪いにもでかかっているのかと疑いたくなるほどの徹底ぶりだ。いくら言葉を濁したところで、件の女が僕の母親であろうことはほとんど確定事項である。「亡くなった大切な人に夢の中で会わせてくれる」とかいう、悪魔が自己申告した職能によれば、母が既にこの世を去っているのも確定事項となり、全身炎に包まれるという惨い死に様であったというのが"準"確定事項ということになる。夢で死亡時の再現をしている、というありきたりな推測を裏付ける証拠は今のところないのだから、疑いの余地は多分にある。というよりも、この件に関しては、証明できないならわざわざしないほうが良いのではないかと思っている。
火元について、僕はいろいろと思うところがあった。毎回、女は元の容貌が判別しづらいくらいに既に燃えている状態で登場する。そこからは両肩を掴まれたり、身に覚えのない罵詈雑言を浴びせられたりと、僕を巻き込んでの体験型アトラクションに移行。その過程で、炎はカーテンや家具に燃え移り、最終的には夢をまるごと燃やし尽くして終了するのだが、とにもかくにも火元はいつも彼女自身だ。どこかから燃え移ったわけではない。では何故、どうやって、彼女は火種のない場所で全身発火を始めるのか。
一番単純な答えを用意するなら、魔法じゃないかと思う。そう仮定するなら、次の疑問は「では誰が?」になるわけで、その回答も安直にいくなら「あの場にいる僕か、彼女自身か」の二択に収まってしまう。
そういうわけで、この推測については、積極的に証明しないほうがいいと結論づけた。今の僕は、ちょっとばかり複雑で悲惨な事件に巻き込まれただけの部外者の心境を維持できている。この立ち位置は死守すべきだ。少なくとも、この二体目の悪魔が僕の身体から出て行ってくれるまでは。
「どこまでも呑気そうで羨ましいことだなっ。フレデリカ様が昼夜問わず貴様のために奔走しているというのに、当の本人はぼんやりのお手本のようではないか。かぁ~! 嘆かわしいっ」
残念ながら、僕の絶望思考に対する適切な処理は、傍から見ればこういう風に見えるらしい。確かに店の窓ガラスに反射する僕は、カウンターに頬杖をついてぼんやりタイムを決め込んでいるだけのように見えなくもない。しかし、頭の中は、次々無節操にやってくる絶望の卵たちを、ひとつひとつ丁寧に割ってボウルに入れる作業を進めることに忙しいのだ。
ジョセフにそこのところが伝わらないのは、仕方がないことではある。でかいだけが取り柄のコガネムシに、人の心境まで慮れというのは土台無理な話だ。
「そう言われてもなー……。夜は夜で眠れてるって感じじゃないし」
僕が気だるそうに見えることについては否定しない。それでも嫌味に対する牽制はしておきたいから、多少本音を混ぜておく。応接テーブルには喧々諤々と議論を交わすフレデリカとグリムロックが陣取っているから、彼女たちには聞こえないようにというのが肝だ。
「だったら店に立たずに、自室に転がっているべきだろうが。わざわざフレデリカ様の前で可哀相ムーブをとるなど、浅ましさの極み」
僕は反論せずに、黙って視線をそらすことにした。簡単に言うと、面倒くさい。ジョセフの言うことは一理あるというか、言い方はさておき正論ではある。ただ誰それの同情を引きたいがために、無理をして店に出ているのとは違う。今、一人きりで自室に籠ったらどういう思考に陥って、それが心身にどう影響するかが何となく想像できるから、気を紛らわせるためにここにいる。そういう細かいことを、いちいちジョセフに説明するのがとにかく面倒だ。従って、
「お? なんだ無視か? だんまりか?」
そう、それ。最善策。虫は無視するに限る。斜めに身体を捩りながら睨みをきかせてくる虫ならなおのこと。
にじり寄ってくるジョセフを完全に視界から追い出して、僕はカウンター端の不死蝶を観察することにした。囚われていようが不自由だろうが、こいつは今日も変わらず、我関せずと気ままに飛んでいるだけだ。翅が傷ついている故に優雅とは程遠い飛び方のはずだが、鮮やかな紫色はどこか気品があって見ていて飽きない。
「あ。……もー、なにジョセフ。話し相手なら外の虫さんたちがいるだろー」
ジョセフが近づいてきたせいで蝶が濃い赤に変色してしまった。鮮やかではあるし、目を引く色ではあるのだが、こうなると何故か変異体特有の禍々しさが強調されてしまう。
後ろ手で頭を掻いていると、いつの間にか僕を観察していたらしいフレデリカと目が合った。流石にさぼりすぎたかと反省したのも束の間、フレデリカが椅子を蹴り上げる勢いで立ち上がってこちらへ突進してきた。親の仇でも見つけたときのような凄まじい形相で、だ。
「わあ! ええ!? なに、どうしました?」
まさか逃げ出すわけにもいかないから、僕ができる対処はその場で椅子毎後ずさるくらいだ。ジョセフも同じように仰け反って道を明け渡している。
フレデリカはカウンターの外から身を乗り出して、僕の腕を鷲掴みにした。悲鳴を上げる一歩手前で留まったのは、フレデリカの顔が青ざめていることに気づいたからだ。
「髪……前、そんなじゃなかったよね……?」
行動は強盗さながらなのに、フレデリカの手は僅かに震えている。
「髪?」
一応断っておくが、僕は髪型を変えたりはしていない。縦しんば寝ぐせか何かで著しく雰囲気が変わっていたとして、フレデリカを戦慄させる要因にはならないはずだ。
僕は背後の陳列棚に並ぶ、装飾鏡(商品)に視線を移した。鏡越しにフレデリカが、ジョセフが、そして応接テーブルに腰かけたままのグリムロックでさえも、固唾をのんで僕の次の動作を見守っているのが分かる。僕は恐る恐る、前髪から頭頂部にかけて髪をかきあげた。
鏡に映った僕の姿を見て、フレデリカは眉尻を下げに下げ、ジョセフは目を丸くし(元々これでもかというほど丸い)、グリムロックは苦笑いをこぼしていた。
「えー……ああ、まあ、これくらいは別に仕方ないんじゃないですか。毎晩グラスになみなみ血抜かれたときに比べれば全然マシというか」
かきあげた部分の髪が一様に白い。寝不足とストレスで急速に色が抜けてしまったのだろうが、痛みがあるわけでも、気分が悪いわけでもないからたいして気にするようなことではない。僕はもともと色素が薄い方だからとりわけ目立つわけでもないし、いつも通り髪をおろしていればそもそも見えもしない。
フレデリカは、僕が先刻何の気なしに頭を掻いた際に、この異変に気づいたのだろう。それにしても目ざとい。確かに白くなった面積はまあ、狭くはないけれど。
「み、み、み」
驚いても驚かなくても目の丸いジョセフくんが、唐突に蝉になろうとしている。こちらのほうがよほど危惧すべき現象だ。
「みみみ、店のことはわたしがやっておくから、お前、そうだちょっと休め。出かけてきてもいい」
ほんのついさっきまでこのコガネムシは、僕のことを「ぼんやりのお手本」呼ばわりしていた挙句「あさましさの極み」とまで罵倒していたはずなのだが、妙な手のひらの返し方をしてきたものだ。高速で頷くフレデリカの首も、もげそうな勢いで恐い。
「え、なに。ほんと気持ち悪い。平気なんだけど。僕よりも──」
フレデリカの目のくまのほうが、よほど現実的で心配だ。こうして至近距離で見つめられて手を握られるまで──僕の解釈が事実と多少異なる点はこの際置いておく──気づきもしなかった。眠れていないのは、僕ではなくて寧ろフレデリカの方ではないのか。
僕は唯一状況を俯瞰してくれているグリムロックに視線で助けを求めた。
「いいんじゃないか。せっかくだから二人でデートでもしておいで。気分転換にはちょうどいいだろう」
「グリムロック殿……! 世迷い事はおやめください! 私はただ、ハイスが店の周りを十週、いや百週くらいジョギングして汗を流せば万事解決だと思った次第で──」
「君の主人も、どうも根を詰めすぎのようだ。そのうえさぼるのも下手ときているから、ハイスと一緒に適度に息抜きをしてきてくれるほうが私としては助かる。どうだ、ハイス。頼めるかな」
僕は、このとき、グリムロック女史に対する認識を大幅に改めたことを覚えている。
#6 Side A
