「はい、それはもう、全然。承ります」
「何が承りますだっ! 貴様~、謀ったな! そこになおれぇ! そのわざとらしい白髪、全部ひっこぬいて丸坊主にしてくれる!」
持っていたモップを振り回しはじめるジョセフを、グリムロックは笑いながらいとも簡単に制している。完璧なアシストに、僕は胸中で深々と頭を垂れて礼を述べた。
「そういうわけですから、フレデリカが嫌じゃなければ今日は僕と出かけませんか? 気晴らしに」
フレデリカは一も二もなく了承する。こちらはこちらで、謎の使命感を携えて真剣な面持ちを晒している。
「ハイスがそれで気晴らしになるなら」
「なりますなります。すっごく」
「フレデリカ様ぁ! これは陰謀です! お気を確かにぃ!」
僕とフレデリカは、泣き喚くジョセフとそれを羽交い絞めにする笑顔のグリムロックを後目に、精神衛生を回復するという極めて重要な目的達成のために街へ繰り出すことにした。
午前中少しだけ降っていた雨は綺麗にあがって、雲間には青空が覗いていた。この際虹でもかかってくれれば演出としては言うことなしだったが、雨上がりの午後の空気はそれだけで十分新鮮ではある。
それに今は隣にフレデリカがいる。買い出しや営業で街を出歩くことはあるし、遺跡探索ならフレデリカと連れだって出かけるのも珍しいわけではないが、いかんせん今は目的が違う。その事実が僕の心をひどく躍らせた。
街道に出るなりご機嫌に伸びをする僕を、フレデリカはまた観察するように見上げている。
「さて、どうしましょうか」
先刻昼食を済ませたばかりだから、どこかでのんびりアフタヌーンティーという選択肢が僕らにはない。
「ハイスは、何かしたいことはある? ほしいもの、とかでもかまわないけれど」
「僕ですか?」
さも当然そうに頷くフレデリカの、目の下のくまと眉間の皺がやはり気になってたまらない。彼女はもしかしなくても僕を接待するつもりでいるのかもしれないが、僕としては二人で時間を楽しみたい。できればこの、なくてもいいはずの眉間の皺くらいは取り除いてあげられたらいいとは思っている。
「じゃあ、のんびり街でもぶらつきませんか?」
「そんなのでいいの」
「わかってないですねー。そんなのがいいんですよ」
フレデリカは腑に落ちない表情のまま、一応の了承を口にする。
それから宣言通り、暫くの間は取り留めのない話をしながらただ街中を歩いた。話と言っても僕が一方的にふるばかりで、フレデリカは相槌をうったり簡単に答えたりするくらいで、とんでもなく話に花が咲くなんてことはない。それでもフレデリカは、僕の話を高名な教授の講義でも聞くみたいにやたらに真剣に聞いてくれる。これが僕らの「いつも通り」で、実のところ僕にとっては心地よい時間になっている。
「あら、めずらしいね。こんな時間に二人で。買い付けかい?」
紙袋を抱えた通りすがりの婦人に声をかけられた。リトルバタフライポットと同じ通りの、端に店を構える菓子店のご婦人だ。ここのバタークッキーがフレデリカのお気に入りで、僕もジョセフも、もちろんフレデリカ自身も随分お世話になっている。
「いえ、ちょっと息抜きというか休憩に」
デートです、だとか調子に乗って言おうものなら、せっかくほぐれつつある眉間の皺が元の木阿弥になりかねない。
「だったら後でうちにもお寄りよ。おまけしとくから」
「いいんですか? 帰りに寄りましょうか、フレデリカ」
無表情のまま、しかししっかり頷くフレデリカ。何のことはない、彼女の機嫌をとりたければ、それこそいつも通りバタークッキーに頼れば良かったのだ。ほっとしたような、ちょっと悲しいような事実を目の当たりにして、僕は複雑な気分になる。
「お、ハイス。いいところにっ。今ちょうど店に行こうと……お?」
今度は食事処から出てきたばかりのバートックに呼び止められる。今日に限ってどうしてこうも千客万来なのか、と思ったが、街を歩いて知り合いに遭遇する頻度はだいたいこんなものだった気もする。
「フレデリカも一緒たぁ、めずらしい。この時間は大抵ひきこもりタイムじゃないのか」
「余計なお世話。バートックこそ、いつもなら遺跡にいるのに」
僕もフレデリカも、バートックの身も蓋もない指摘を否定することはできない。平日の午後はフレデリカにとって研究と錬金の時間だから、特別な事情がない限りは店の地下か書庫かキッチンで缶詰になっているのが常だ。
「さっきまで雨だったろ? 水位が上がると危ないからなぁ、あそこも。っと、そうだそうだ、ハイス。この間の件だけどな、良さそうなバイヤーが紹介できそうだ」
「本当ですかっ。さすがバートックさん、仕事が早い」
「褒めても何も出ねぇぞ~。直接会ったほうがいい先があって、そいつを話したかったんだが……今度が良さそうか?」
「間に合うならそうしてくれると助かります。僕のほうから行くので。すみません、わざわざ来てもらったのに」
「気にするな。俺も全然、もののついでだ」
バートックは出てきたばかりの食事処を指差して、気を遣っているわけではないことを証ししてみせる。そういうところが、まさに気遣いし慣れた人間の所業だと思うのだが、当の本人は気に留める様子もなくさっさと踵を返してしまった。
フレデリカは意味深長にその後ろ姿を見つめている。
「バートックと話があるなら、店に戻っても」
僕はこの発言に目と耳を疑うしかなかった。そう、これが気遣いし慣れていない人間の所業。当然、悪気は微塵もない。
「息抜きに来たのに、戻って仕事の話をしろって言ってます……?」
「そ、そうじゃない。仕事の話なの? なんでバートック──」
僕は自分の唇に人差し指をあてる。
「今度にしましょう。今はの~んびり、街をぶ~らぶらすることが僕らの目的でしたよね?」
フレデリカはこれで、自分の気遣いが見当はずれであったことを悟ったらしい。店を出た当初よりも一層決意を固めて──どうせこれも見当はずれなのだが──真剣に頷いてくれた。
「駅の向こう側に雑貨店がかたまっている通りがあるじゃないですか。今日はあのあたりに行ってみませんか? 看板のない店も多いみたいで、気になってたんですよね」
「あのあたりは……私も、入ったことがないお店が多いかも。興味はある」
「じゃあ決まりですねっ。掘り出し物があるかもしれませんよ」
「……楽しそう」
「ですよね。これはこれでわくわくしますよね」
「そうじゃなくて、ハイスが」
「──僕、ですか? いや、だって楽しいし……フレデリカはそうでもなかったですか?」
それだとあまり意味がない。僕はこう見えて、お互い興味があって一緒に楽しめるような、かつ近所で、新鮮味のあるスポットというやつを、瞬時にひねり出したつもりだった。この提案が下策なのだとしたら、バタークッキー大量買いに作戦を変えたほうが効率が良い。
というのは僕の杞憂で、フレデリカは静かにかぶりを振っている。
「あなたが楽しそうだと、つられるというかうつるというか……私もそういう気持ちになる」
「……つまりそれは『すっごく楽しい』ってことで合ってます?」
「そこまでは言ってない」
「難解だなあ」
目的地が決まるや否や、フレデリカは足早に歩を進める。
「待って待って。もうちょっとのんびり行きましょうよ、のんびり」
いつもなら一蹴される僕の提案は、今日に限ってこのパワーワード「のんびり」を出せば受け入れてもらえるようだということに、僕は早々に気づいてしまった。気づいてしまったからには、活用するべきだろう。効果は抜群で、フレデリカは僕の隣という立ち位置を保つために、注意深く歩幅を調整している。所以はこの際どうでもいい。
#6 Side A
