Side B:Frederica
昨日と同じ順路で同じ路地へ向かい、同じ店の扉を開ける。まだ日は昇りきっていない。こういう店が果たして午前中から営業しているかどうかは賭けでもあったが、キリクの人形館の入口扉は、随分あっさり早めの訪問客を出迎えてくれた。
「おや、いらっしゃいませ。今日はおひとりですか?」
時間帯以外で昨日と違うのは、もうキリクが店番をしていたことと、私の隣にハイスがいないことだ。それ以外は本当に何も変わらない。メイド人形は今日も恭しくお辞儀をしているし、喪服の人形の嘆きにも終わりはなさそうだった。
「もう来られないかな~なんて思ってもいたので、嬉しい誤算ですね。彼とは、あの後こじれませんでしたか?」
まるであの後の展開を見ていたかのような言い草だ。私はキリクの質問には答えず、目当てのものに向かって歩を進める。
それもやはり、昨日と同じテーブルの上に鎮座していた。黒く艶やかな毛並みの猫のぬいぐるみ。媚びているようでどこか素っ気ない瞳に、不思議と惹きつけられてしまう。デフォルメされた形状だからさすがに本物と見間違えることはないけれど、抱きかかえるとそう錯覚しなくもない撫で心地だった。数えるのが面倒なくらいのゼロの数がついた値札が、尻尾と共に垂れ下がる。ここだけ唯一、可愛げがない。
「お気に召していただけましたか? 可愛いでしょう、その子。悪さもしないし、餌代もかからない良い子ですよ」
それはそうなのだろうが、諸手を挙げて賛成はしかねる。
「こういう……本物に近い人形を欲しがる人、というのは、たとえばどういう人なんでしょうか」
黒猫のぬいぐるみを見つめたままで、私は最後の確認をとることにした。
「お客さんですか? それはまあいろいろですよ。いろんな方がいろんな理由で私の人形を求めて、買いにいらっしゃる。買った商品をどう扱うかに関して私は関与しませんし、そういうほかないかと」
「気にしないということですか。たとえば、大切に扱われなかったとしても……?」
「そうですね? 店に置いてある間は私の作品でもありますが、一度他人の手に渡ったなら、それは買い手の所有物ですから。何も思わないかと言われれば話は別ですが、関与はしません」
私の質問の意図に、キリクは多少気づいてはいるのだと思う。十人十色の客の中に、私のような魔術師も少なからずいるはずで、その魔術師たちが人形を買い求める理由が昼夜愛でるためでないことは知っているはずだ。世にもろくでもないことに使われる。キリクがそれも折り込み済みで関与しないと言うのなら、これ以上の器はきっとない。
「これを、買います。請求書を私のお店に……リトルバタフライポット宛てに送付してください」
「わーぉ、お買い上げっ。ありがとうございます~っ。ところで……分割でなくてよろしいですか」
「大丈夫。……たぶん」
これはハイスから受けている悪魔浄化の依頼の費用だ。経費で落とせる。たぶん、そう、問題ないはず。
蠱惑的な目で見つめてくる黒猫にラッピングなどしてもらう気にはなれず、私は結局剥き身のままそれを持ち帰ることにした。尻尾に付けられていた可愛げのない値札だけ、お別れの儀式みたいにキリクが鋏で切り離す。
「またご入用であれば是非お立ち寄りください。ささやかながらサービスしますよ」
売掛書類へのサインを終えたところだった。何でもないサービストークのひとつだ。適当に相槌を打って、辞去することもできた。でも私はそうしなかった。キリクの何気ない言葉の端々に、何の変哲もない笑顔の裏に、人を見透かしたような含みを感じずにはいられなかった。
「私の人形を作りたいという話は、まだ有効ですか」
キリクは書きなれたサインの最後の最後で手を止めざるを得なかったようだ。タイミングが悪いうえ遅すぎるという点は申し訳なく思うが、この件は猫(のぬいぐるみ)の売買契約とはまた別の話だから、請求書を完成させることに特に不都合はない。
「私の人形を作ることをあなたに許可すれば、こちらの、望む人形を作ってもらうことができますか」
「おや。オーダーメイドですか? 骨格からとなると通常このお値段──」
キリクが神妙な顔つきで立てた五本の指に、私はすぐに正しい反応をすることができない。問題はその後に続くゼロの数であって、店頭に並ぶ人形達のそれにいくつか足すとなると、これはいよいよ破産の危機かもしれない。
「──のところを材料費だけいただく、というかたちでいかがでしょう。ものにもよりますが、人形一体特別なオーダーがなければざっとこんなところです」
メモ用紙に走り書いた数字に、私はまた目を見張った。猫より安い。いや、もちろん安い金額ではないのだけれど、この店に並ぶものの値段に比べれば相対的に安いと感じてしまう。それに、キリクが人形の材料としているものの一部は、私の見立てが間違っていなければ遺跡探索で手に入る代物だ。
この交渉は、思った以上に私にとって都合がよい。
「いずれにせよ、はした金という金額でもない。昨日の彼とは話し合っておいたほうが、後々面倒なことにならないと思いますよ。そもそも、あなたは嘘や隠し事がお得意ではなさそうですし」
「どうしてそう、思われるんですか」
切り返しの速さに私自身が困惑している。見透かしているにしても、当てずっぽうにしても適当に誤魔化しておけば良い話題に、私は反射的に食いついてしまった。不快というのではない。この類まれな観察眼を持つ人形師に、私が編み続ける嘘がどう映っているのか聞いてみたかった。
キリクが私の差し迫った事情まで知っているはずもない。それでもどこまでも鈍感な私と違って、たった二三のやりとりで何かを察してはいる。
「嘘に罪悪感を抱いているのが分かるから」
「……は?」
二の句が付けずに私はただ押し黙った。罪悪感? ──抱かずに、どう生きろというのか。それすら持たずに嘘をつけるなら、つき続けられるなら、それを人は悪魔と呼ぶのではないのか。
「不快にさせてしまったならお詫びします」
「……聞いたのは私です。そういうのは……キリクさんから見れば、一目瞭然なのでしょうか」
「え~いや~……私がどうのというか、いや多少は関係あるかもしれませんけどね。表情もそう、仕草も、瞳の動きひとつとっても、嘘が得意な人間にとってフレデリカさんは分かりやすいタイプなんですよ。私はほら、楽しい嘘を商売にしている人間ですから。かくいうあなたは……誰か大切な人のために、誠実に嘘を重ねてきたタイプでしょう?」
誠実な嘘? ──そんなものがこの世に存在するなら、見てみたい。
「まあ、ですが、そういうのは美徳ではあるけれど義務ではありません。向き不向きもある。あなたには向いていないと思いますよ。完成度の低い嘘は、あなた自身を含め周囲を不幸にしてしまいます」
美しいかそうでないか、向いているとかいないとか、そういう次元の話ではない。私が不幸になろうが誰を不幸にしようが、この嘘は最後の最後まで完璧に守られなければならない。それは美徳ではない、義務だ。
そういうひとつひとつの反論を、私はすべて胸中に押し込める。
「心に留めておきます。すみません、変なことを聞いて」
「いえ、こちらこそ出過ぎたことを言いました。オーダーメイドの件は話がまとまりそうなら、もう一度ここへいらしてください」
客用の笑顔を作るキリクに対して、常時と変わらず無表情のまま頷く私は、きっと傍から見たら不機嫌極まりない客なのだろう。愛想も可愛げもない。商売人に向いていないと言われればそのとおり。それが私にできる唯一のポーカーフェイスなのだから仕方がない。
「フレデリカさん」
入口扉に手をかけたタイミングで、改めて呼び止められた。
「重ねた虚構が壊れたときに誰も笑っていないなら、それは悪魔のつく嘘ですよ」
「……そうですね。覚えておきます」
笑えないから笑わない。このときばかりは無表情でいることさえ難しかったから、無礼も承知で私は振り返らずに人形店を出た。
どこかに避難したい。路地を出れば知り合いに会う可能性があって、店に帰れば当然ハイスとジョセフが居る。そうかといってレジーナのところにも、グリムロックのところにも逃げ込むわけにはいかない。
途方に暮れて天を仰ぐと、快晴の空が広がっていた。太陽の眩しさに目を細める。
(何を馬鹿なことを……)
私の心は強くも優しくもなく、誠実でさえない。キリクの言うとおり、私はただ罪悪感という名の悪魔にとりつかれ、その僕のように、あるいは人形のように、意思も無く振る舞い続けている。何とか人間の真似をしようと出来合いの正しさに固執しながら。
ショーウィンドウに映りこんだ生気のない自分の姿を見た。今更確認するまでもない。私が、いちばん、醜悪だ。
#6 Side B
