Side A:Hyth
「ふっざけんじゃないわよ! 聞いてない! 詐欺よ、こんなの……っ、悪質な詐欺以外のなんでもないじゃない! 許さないんだからあああぁぁぁ、ぜったい、ぜったい許さないんだからああああ」椅子の上に上品に座っている黒猫が絶叫している。大音量の鳴き声──泣き声? いや、喚き声? とにかく理解可能な人語で猛抗議しているようだが、微動だにしないままの身体が不自然極まりない。
扉の前ではうんざりした表情のフレデリカが両耳を塞いで立っていて、その隣ではグリムロックが爽やかとは程遠い乾いた笑いを定期的に発している。さらにその隣、見覚えのある小柄な老紳士が──こちらは明らかに状況を楽しんで笑っている──自慢の顎髭を撫でつけながら、目を細めていた。
僕は地下室でいつものように朝を迎えたはずだ。つまり完全完璧な寝起き。その光景がまるでいつもと違うことに、妙な類の汗をかいていた。
「おはよう……ハイス」
「おはよう、ございます。えーっと……?」
フレデリカは喚き散らす黒猫をどうしても視界にいれたくないらしい。朝の挨拶を交わしながらも、斜め下の床を死んだ魚のような目で見つめているから当然僕とは目が合わない。
「こんな……こんなのあんまりよぉぉぉ……自由になるどころか、指一本も動かせないじゃない。この詐欺師! ペテン師! 悪魔!」
「うるさいなぁ……。指が動かせるかどうかなんて契約にない項目のことで文句言われても。不明点があるなら事前に確認するべきだったんじゃないかな」
「屁理屈女ぁ! 体中の穴という穴から出血して死ね! 不様に死ね! のたうち回ってみじめに死ねぇぇぇ!」
(うわあ……)
朝に見るには過激すぎる内容のドラマが展開されている。フレデリカから状況説明はされそうになかったから、僕は寝ぐせを整えながらここに至る順路を自分なりに辿ることにした。
まず、フレデリカがこの喋る黒猫を連れ帰ったのは昨日の昼過ぎのことだ。正確には、その時点では喋らない黒猫だったがそのあたりはどうでもいい。
凄まじく険しい顔つきで毛むくじゃらの生き物を小脇に抱えている様を見て、僕はてっきり、何かの手違いでフレデリカが黒猫を天に召してしまったのではないかと思って青ざめた。それがキリクの店のぬいぐるみだと気づくまでそう時間はかからなかったはずだが、それはそれで僕にとって望ましくない展開だったのは言うまでもない。フレデリカの強張った表情は、僕と相対するためにわざわざ作られたものだったということも、分かってしまうと結構ショックだった。
「今夜、これにサミジーナを移したい」
意を決して、という感じだった。生憎と昨夜の段階で完璧な反省会を済ませていた僕に、交戦意思は皆無だ。
「わかりました。何か僕の方でやっておくことはありますか?」
「……いつも通りで、かまわない。というかそもそも、いいの。このまま進めて」
「いいも悪いも。フレデリカのことは信じてますから。それに依頼者である僕がやり方に口出すのも確かに違うな、と」
意見そのものより価値観が根本的に違うときに、口など出しても仕方がない、ということを僕は昨日身をもって学んだ。そういうときは手。もう、さっさと手を出したほうがいい。誤解のないように念のため注釈を添えておくが、先に行動を起こしてしまったほうが手っ取り早いという意味だ。
しかし、その先手さえもフレデリカに取られてしまったというのが現状だ。夜に動きがなかったからといって油断した。まさか朝一で全ての準備を整えてくるなんて思いもしなかったから、この件に関しては一本取られたというか、僕の完敗だ。
僕の態度が軟化していることにほっとしたのか、フレデリカはその後はいつもの調子を取り戻して淡々と諸説明をこなした。ちなみに一部、悪魔に聞かれたくない内容については筆談も交えて、だ。
悪魔が物質界で既に器としているものから別の器に乗り換えるには、複雑ではないがいくつかの条件がある。まず現在の器と次の器が物理的に接触していること。そして悪魔当人によって魔力の移動を行うこと。二つ目の条件が満たされるには、完全封印空間を一旦解呪しなければならないはずだ。
〈解呪はしない。魔力移動が可能な程度に封印のレベルを下げるだけ〉
〈それでも危険では?〉
〈念のためグリムロックさんを呼ぶ〉
〈OK〉
注文書の裏側に、二人で交互に走り書きをする。そのやりとりを少し楽しんでしまっているのがばれないように、僕は時折神妙に頷いてみたりもする。
「それともう一人、呼んでいる人がいる。間に合うか分からないけど」
「僕の知っている人ですか?」
「まあ、うん。たぶん」
はっきりしない返事だ。グリムロックと同じ立ち位置で呼びつけるということは、それなりに力があって、フレデリカが信用している人間で、何よりこの状況を把握しているということに他ならない。いただろうか、そんな人材が。
〈猫に移動した後のサミジーナを引き取ってくれると〉
「え!? 管理局に引き渡しじゃないんですか?」
思わず声に出してしまったことで、フレデリカが眉を顰める。
〈グリムロックさんは許可を?〉
〈彼女は、私たちが悪魔を坩堝の世界に『送還』するのを見守る立場。このタイミングで管理局に関わらせてしまったら、彼らにとっては寝耳に水の"ぬいぐるみを依り代にした悪魔"の出処から何から全て報告しなければならなくなる〉
〈それは困ります〉
「そう。だから闇に葬らないと」
フレデリカがその過激な言葉だけを選んで音声に出すものだから、僕は何も口に含んでもいないのに喉に何かを詰まらせて噎せてしまった。
そんな少し物騒なやりとりを交わしたその夜に、計画どおりサミジーナは黒猫のぬいぐるみに精神まるごと鞍替えしてくれた。話の端々を聞く限りでは、どうやら「寿命の長い変異体」だとかなんとか説明して、永遠に愛される云々の条件をクリアしたことにしたらしい。しかしいざ引っ越してみると、寿命はおろかそもそも生きてさえいない無機物の器で、四肢を動かすことさえできないときた。騙し打ちにあったと喚かれても、否定はできない。
「威勢がいいのぉ。なぁに、魔力が器になじめば多少は身体を動かすこともできよう。良い子にする約束が守れれば、ここからも出られ、多少の自由も得られる。良いことづくめじゃ」
遠縁の子どもでも見守るような達観ぶりを披露していた老紳士は、生きた猫にするかのようにぬいぐるみの身体をわしゃわしゃと撫でまわした。
「さわるなぁじじい! ちょ、やめ! や・め・ろ!」
「お~よしよし。めんこいめんこいっ」
僕は確かにこの老人を知っている。フレデリカから「先生」と呼ばれる、店の顧客の一人だ。ほんの少し見せてもらっただけだが、それだけでいろいろと勘ぐるレベルには魔法の腕が確かなことも。
「先生」
「心配無用じゃ。猫のしつけはお手の物。ふぉっふぉ。死者と夢の中で会わせてくれるのだったかな? こりゃあ毎夜お相手いただいても終わりが見えんのぉ」
「……先生」
「んん! 失敬」
「念のため、ぬいぐるみ自体に完全封印魔法をかけておきたいのですが」
「いや、不要。今が丁度良い不自由さじゃ。さ~て、サミちゃんは新しいおうちに帰ろうかの~。私はザントマン、新しいサミちゃんの飼い主じゃ」
「じじい! 撫で、まわすなっ、変なところ触るなっ!」
あのぬいぐるみの毛並みと触り心地は、本物に勝るとも劣らない。ザントマンと名乗った老人が、割と節操なく揉みしだくのも理解できなくもないが、それにしても手つきがいただけない。
#7 Side A
