「僕、死んでました?」
「死んでない。封印されてた」
「僕が悪魔だから?」
その結論だけは流石に容認できない。僕は人類を破滅に導きたいとも、陥れて弄びたいともこれっぽっちも考えていない。逆に、目に映るすべての人を救いたいとも思わないし、そのために自己犠牲を厭わないなんて発想も持ち合わせていない。でも目の前に困っている人がいたら、自分ができる範囲で力になりたいとは思う。そういう至って普通の、どちらかというと善良寄りの、平凡な人間が僕だ。
フレデリカは困惑していた。すぐさま「そうだ」と切って捨てなかったのがその証拠だ。
「悪魔が……あなたの中に数体いるのは、確かで」
「え? 数体?」
「そう。そういう人の自我が、まともに保たれているっていう想定が私の中にはなかったから、演技というか、嘘を、ついていると」
「ちょっ、ちょっと一旦ストップしてください。数体? って言いました? 僕の、身体の中に? 隣の隣とかそのまたお隣の話ではなく?」
隣の隣にある閉じられた棺と、そのまた隣にある半開きの棺(埃にまみれて暗灰色に変貌した中身が、実は視界の端にずっとちらついていた)を、僕は大仰に指差した。
対して、フレデリカは軽くかぶりを振っただけだ。
「あなたの中に。あなたの、左手に封印魔法が多重掛けされているの、分かると思うんだけど」
蚊にでも刺されて猛烈に痒みを感じているとかでない限り、自分の手なんかそうそう見つめない。いや、たとえそうでもノールックで違和感の在り処を突き止めることはできるから、やっぱり見ない。だから言われてはじめて、確認のために猛スピードで袖をたくし上げた。
それを目にしたときの感慨は言葉にならなかった。
左手首の内側、太い動脈を中心にして魔法陣が幾重にも重ねて刻まれている。守り石に刻まれた名前とは違って彫られたわけではない。おそらくは魔力によって僕の腕に刻まれているのだろう。そして僕自身の魔力を原動力にして、今も稼働している。鈍く、紅く、仄かに光っているのが、ただただ禍々しかった。
黙り続ける僕に、フレデリカはまた困っていた。目の前に困っている人がいたら、自分ができる範囲で力になりたいと思うタイプの僕は、何とか感想なり感慨なりを述べようとは思ったのだが、適切な単語がどうしても思い浮かばなかった。
空気は音を発しない。風もないから、天井が一部崩落していても、壁に覗き見し放題の穴が開いていても、無音が保たれる。この場所は僕らが会話をやめれば途端に静寂に包まれる、墓所としては最適な性質を持っていた。つまりはこのままここでこうしていればいるほど、空気にあてられて状況が悪化するだけだ。
僕はもう一度、開き直ることにする。深呼吸をして、親の仇のように睨みつけていた左手から視線を逸らす。
「情報を整理しましょう。あなたの見立てでは、僕の精神には何重にも封印がかけられていて? えーと、正確には一、二……四重かな? つまりは少なくとも四体の悪魔だか精霊だかがシェアしている極めて不安定で危険な状態、と」
フレデリカが無言のまま頷く。肯定されたのは、ここにきて初めてのような気がする。
「はー……。四体。えー……。そんなことあります? それ、僕、大丈夫なやつですかね」
「だから、大丈夫ではないと私も思っていたからこういう対処になったんだけど……ちょっとよく、わからない」
フレデリカは眉根は寄せながら眉尻は下げる、という独特な困り顔を作った。そしてようやく、突きつけていた魔導杖を下ろしてくれた。これには僕も胸をなでおろす。僕はこの機を逃すまいと、いそいそと棺から抜け出した。フレデリカもそれを咎めるような素振りは見せない。そもそも棺とは遺体を納めるためのものであって、死んでもいない人間の安置場所としてはおよそふさわしくない。どうにも罰当たりでとんでもなく不謹慎な寝台を後目に、棺を安置するため床から一段高くなった台場に座り直した。凝りに凝った全身をほぐしたかったが、それはたぶんまだ、止めておいた方が賢明だ。
「……かなり、力のある魔術師があなたをこの場所に封印していた、のだと思う。私はそれを見つけただけで」
「あ、封印したのはフレデリカではないんですね?」
「私じゃない」
フレデリカは語気を強める。心外だと言わんばかりに顔を強張らせた。
「えー、それ本当かなー……。フレデリカの主張にはかなり無理がありますよね? 見つけて、わざわざ封印を解かないかぎりこの状況にはならないわけでしょう。そのうえで退治しようと思ったから"この陣"を敷いている、で、他はさておき"この陣"はフレデリカが描いたもののはずです。ですよね?」
フレデリカは分かりやすく目を見開いた。回答はそれで十分だ。
僕が言っている魔法陣は、左手裏側に施されたもののことではない。この墓所の床石一面に張り巡らされた、一目見ただけでやばい代物だとわかる陣のことだ。封印術の一種なのだろうということがぼんやり分かるくらいで、時間を費やしたところで解析だとかはできそうにもない。フレデリカが僕に向け続けていた杖の後端部分は、常にこの魔法陣が発動できるように位置調整されていた。後は魔力を流すだけ、という万全の状態に設えられていたのである。
「この陣は確かに……私が敷いた。でもこれは、あなたの精神の自由を奪うような魔法じゃない」
「あ~……っ、すみません。非難してるわけじゃないんです。あなたはこの陣を発動できるレベルの魔術師だってことですよね?」
「それはまあ、そうだけど……」
「じゃあですよ? 僕の身体もろとも悪魔を灰にしたり、魔術管理局に引き渡したりしないで、もっとこう、安心安全平和的に悪魔をなんとかすることできませんか? だってほら、見ての通り僕、今、ものすごく正気ですよね? なんならその辺のちょっとやばい思想の人たちよりよっぽど理性的ですよね?!」
覚えている限りでは──こういう一般的、社会的情報は問題なく脳内にある──悪魔に憑りつかれた人間は、まず魔術管理局に通報、連行される。彼らは魔術が市井の人々の安寧を脅かさないように管理、統制するのが主な業務だから、悪魔や悪魔の器となった人間の「処理」も一手に担っている。このまま順当にいけば、僕は間違いなくその処理対象だ。
分かりやすく命の危機にさらされていた先ほどよりも、僕は少し先の未来で確定しつつある無機質な死のほうが恐かった。だけどこの交渉に無理があることは分かっている。僕は今、出会ったばかりの、実力もあって人のよさそうな魔術師の少女に「僕といっしょに一級犯罪者になろうよ」とお誘いしているようなものなのだ。フレデリカの答えは、容易に想像がつく。
「あなたに憑いている悪魔について詳しいことが分かれば、もしかしたら送還できる、かもしれない」
反論を準備するまでもなく、フレデリカは想定外の答えで僕の虚を突いた。
「できるんですか?! いや、できるのかもしれないけど……! そもそも引き受けてくれるんですか?! 魔術管理法知ってます?!」
「管理局とは持ちつ持たれつというか、いろいろ貸しもあるからきちんと申請すれば問題ない。たぶんだけど」
「だったら! 正式に依頼してかまいませんか? 報酬はその、え~~~っと、ちょっと今お金を持ち合わせてる気配が微塵もしないんで応相談ってかんじになりますけど」
「──わかった。それでかまわない」
「そうですよね! 一回よく考えましょう! ……え?」
さっきから先取りしていた回答と違うものばかりが返ってくることに、僕は順応できなくなっていた。頭の中で準備していた答えをそのまま返してしまったせいで、フレデリカは疑問符を浮かべている。おかしいのは僕じゃないはずだが、一度落ち着いたほうがいいのはお互い様かもしれない。
呼吸を深めにして、状況整理に努める。僕としては当然、ありがたい提案だ。そして正直心配にもなる展開だった。
「……いや、ちょっと、あまりにも安請け合いしすぎでは? 僕がいうのも違う気がしますけど。やっぱりきちんと交渉したほうがいいですよ」
フレデリカ曰く、僕らが揃って一級犯罪者になる確率は思ったよりも高くないらしい。それはそれとて、リスクが高いことには何ら変わりなく、僕の存在が彼女にとって何の益もなく、時間と労力と人生の無駄使いをさせる確率も圧倒的に高いままなのだ。情けないことに、今の僕から有益な提案はできそうもない。だからフレデリカの方から、見合う対価を要求してくれるほうが、いっそ気が楽だ。
Side A-1
