そんな遺跡に、フレデリカはどうしてわざわざ赴いていたのだろう──この疑問を、僕は列車の中で既に本人に投げかけていた。返ってきた答えは「別に趣味でたまたま」というもので、僕はそれに納得した素振りを見せるほかなかった。
あたりまえと言えばあたりまえなのだが、フレデリカは僕をそれなりに警戒している。情報の開示が最低限であるのは、そういう理由からなのだろう。それでも根が善人な彼女は、事あるごとに僕を気遣おうとしてくれているのが分かる。それが「さりげなく」やろうとして「さりげなく」なっていないあたりが、不器用極まりなくて微笑ましい。
そんなことを考えていた矢先に、フレデリカ自身による実演が始まってしまった。
「普段はエルドラ遺跡を探索して物資の調達をしてるから、落ち着いたら……ハイスにも手伝ってもらうつもり」
遺跡の話題が出たので、何でもない内容を何でもないように確認しただけの、ありふれた日常の一コマ──を演出しているのが分かってしまうから、僕は申し訳なさと微笑ましさ、それと嬉しさで口元が緩むのを止められなかった。僕はその手の機微を見逃さない。僕の名を呼ぶ前の一瞬の緊張、一瞬の間。フレデリカが僕の名を呼んだのは、これがはじめてだ。
「分かりました。楽しみにしています」
僕は思ったとおりを言葉にして、感じたとおりに素直に口角を上げた。それで彼女は安心したように少し微笑んで、背を向けてまた歩き出す。このように、フレデリカが持っている警戒心の「それなり」という程度は、僕にとって居心地が悪くないものに調整されていた。その気遣いが、僕にはとても嬉しかった。
しばらく足早に市街を歩く。活気づいた市場を通り過ぎて、エルドラの街で一番大きな十字路を曲がって、メインストリートとは言えないまでも、人通りの多い路地に出た。カフェ、食堂、酒場に生活雑貨店、奥に見えるのは菓子店だろうか。道の両脇には様々な商店が軒を連ねている。どこも開店前で来訪者を拒む佇まいの中、その店だけが扉を開け放ち、早すぎる開店準備に勤しんでいるようだった。開け放たれた扉の中からは、リズムよく塵と埃が排出されている。
「ひょっとして、あれですか?」
「そう。中に住み込みの従業員……? がいるから、紹介する」
ご機嫌な鼻歌と、箒が床を撫ぜる音が鼓膜に届く距離までくると、想像していたよりずっと店構えが立派であることに驚きを隠せなかった。店の看板には「リトルバタフライポット」の文字。名前の響きも、想像よりなんだかかわいらしい。どうも僕は、フレデリカに対して幾分勝手な思い込みを持っていたようだ。次に来るだろう「予想外」を楽しむために、少しだけ心の準備をしておくことにした。
「ジョセフ、ただいま」
「おぉっ。おかえりなさいませフレデリカ様っ。今回はお戻りが遅いので心配していたところで──」
箒の音が止み、排出されていた砂埃が収まり、店の中から「従業員」が顔を出した。いや、身体まるごとを出してきた。
「うわっ!」
その姿を目にして、典型的な驚愕の声をあげてしまった。その際反射的に数歩後ずさってもいる。身体がこうも誤魔化しようもない素直な反応をしてしまったので、これはもう心中も素直に吐露するしかない。恐る恐る対象を指差しながら、フレデリカに確認をとった。
「コガネムシ、でか……すぎません?」
箒片手に出迎えてきたのは、そう、コガネムシだ。二足歩行の。その状態で僕の腰あたりまで体長──いや、身長? があるのだから、僕の発言内容は何ら間違っていないし、誠実ですらある。ツッコミどころはそれ以外にも多岐にわたる。掃除用なのか来客対応用なのか分からないが、巨大コガネムシはサイズぴったりに誂えられた薄茶色のエプロンを着用している。首元には赤い蝶ネクタイ。昆虫的には、頭部と胴部の間部分というのが正しいのだろうが、細かいところはひとまず置いておく。そんなことを言い出したら、箒を持っている部位もたぶん「前足」だ。
フレデリカも巨大コガネムシも、説明をしようという素振りを見せないから、僕らはしばらく三すくみ状態で立ち尽くしていた。
そういえば僕は、コガネムシとカナブンの違いをよく知らない。もしかしたら全く別の虫の可能性だってある。そうだとすると、かなり失礼な発言をしてしまったのかもしれない。そう思い、「ひょっとしてカナブンですか?」と言いかけた矢先のこと。巨大コガネムシ(暫定)は箒を入口扉の縁に丁寧に立て掛けると、深々と、これみよがしに、嘆息をした。
「フレデリカ様。いけません。このような礼儀も教養もあまつさえ財力も露ほども持っていなさそうな人間のオスを拾ってくるのは。憐憫の情が禁じ得ないのは重々承知の上ですが、もと捨ててあった場所に戻していらっしゃるべきです。ささ、日が暮れる前にお早く」
そこまでを早口に言い終えると、僕が店内に足を踏み入れるのを阻止するために扉の前に立ちはだかった。僕は多少なりとも反省したことそのものを、反省した。今度は言葉を選んではっきりと言ってやろうと思い、指差していた腕をしっかり伸ばす。
「何なんですか、このデブコガネムシ」
僕は虫が嫌いなわけではない。失礼な虫が嫌いなだけだ。早口と丁寧さで誤魔化そうとしていたが、こいつはさっき随分な罵詈雑言をまくし立てていた。こいつが仮にカナブンだったとしても、僕からはもはや謝罪の意思は消え失せていた。こうなるともう徹底抗戦しかない。
「で…ぶ……? 貴様ぁ!」
デブコガネムシはわざわざ置いた箒をおもむろに持ち直す。それを僕に向けて何の躊躇もなく突き出してくる。やはりこの虫、行儀の悪さというか育ちの悪さは印象通りだ。
「この私に向かって! このダイナマイトバディと七色に光り輝く美しき翅を有するこのジョセフ様に向かって! デブなどという下劣な中傷を! そこになおれぇ! 私が直々に土に還してくれよう!」
武闘派というわけでもないだろうに、規格外サイズソダチワルムシは、箒を槍のように突き出し、薙ぎ払い、振り回し始めた。動くたびにエプロンがはためいて、足の付け根が密集した昆虫特有の腹部がチラリズム。僕はそれを顰め面で視界の外に追い出すことに神経を集中した。
早朝、開店前の人通りの無さとはいえ、従業員が半狂乱で箒を振り回す様は看過できるものではない。フレデリカがようやく割って入って、暴れ狂う巨大なエプロンコガネムシを窘めながら、店内に押し戻していった。後ろ手に手招きされ、僕も後に続く。ドアが閉まり警戒にドアベルが鳴ると、さすがにジョセフも喚き散らすのを止めた。
「ジョセフ、いきなりでごめん。彼は依頼人。ここに住み込みで、お店と遺跡探索の手伝いをしてもらうから。できれば仲良くしてほしい」
ジョセフと呼ばれた巨大昆虫従業員の口は、閉まりなく開いていた。口と言っても昆虫サイズなので本当のところは開いているかどうかの判別は難しい。僕が勝手にそういうふうに想像しているだけだ。
「も……申し訳ありません、フレデリカ様。少々、いやあまりにも無礼千犯な輩だと思いまして、私としたことが取り乱していまいました」
フレデリカは特に狼狽えるふうでもなく、粛々とジョセフから箒を取り上げると再び入口横に立て掛けた。ジョセフはしばらく興奮冷めやらぬといった感じで、肩(みたいなところ)で息をしていたが、徐々に落ち着きを取り戻し始めてはいた。
「ハイス、改めて紹介するね。ジョセフはギルドを通して契約してる精霊。魔力感知や、探知が得意でとても優秀。店もだけど、いろいろと手伝ってもらってる。ジョセフ、彼はハイス。身体の中に……複数、悪魔が入り込んでる、からそれを何とかする代わりに彼にもここで働いてもらうことになった」
ペッ──舌打ち(虫には構造上、舌はないはずだからあり得ないが)のような音をたてて、ジョセフは巧みに不快をアピールする。フレデリカが間に入っていなければ、今すぐこいつの蝶ネクタイを念入りに引き延ばした後、顔面にぶち当ててやりたいところだ。
「無礼で阿呆で文無し、そのうえ悪魔憑きでございますか? それも複数? フレデリカ様、お戯れがすぎますよ。そんな危険人物を店に立たせるなんてできようはずがございません。悪魔が憑いているのなら、魔術管理局に引き渡してめでたしめでたしです。連絡はこのジョセフにお任せを」
「そうだね、連絡は必要」
「そうでしょう、そうでしょう」
「グリムロックさんに言えば、たぶん面白がって許可はしてくれるだろうから」
「そうでしょう、そう──……ではありません、フレデリカ様っ。少し冷静にお考え下さい。百害あって一利なしではありませんか。こいつに何を吹き込まれたっていうんです? 悪魔ですよ、悪魔。嘘をつくことだけが取り柄の害虫みたいなものです。お涙頂戴、同情待ったなし! な身の上話でも聞かされたのだとしたら、全部どぶに流してきれいさっぱり忘れるべきです」
ジョセフは極度に偏った自身の見解を、あたかも正論のように得意げに話す。すらすらと淀みなく、予め決まっていた台詞でも読み上げているようで不快だった。
Side A-1
