Bad to the bone
#2 Side A
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結局その日、店を訪れたのは魔術監察官の二人をのぞいて、隣の酒場の店主であるレジーナとゴーレムの調整にきた老紳士、駅前で店を開いている同業者、の三人だけだった。帳簿の記入も整理も悩むことなく終わってしまう。いや、別の意味で悩みは尽きないのだが。僕は、僕自身が抱えている諸問題よりも、目下この店の抱える大問題のほうに危機感を覚えている。僕の中の悪魔が全員いなくなる前に、僕らがこの場所から立ち退かねばならない未来のほうが早くやってきてしまうのではないだろうか。と、頭を抱えているのは何故か僕だけで、経営者であるはずのフレデリカと古参従業員のジョセフは何の憂いもなさそうに、今日も呑気に夕食に舌鼓をうっていた。いや、食事を楽しむのは良いことなんだけど。
夕食を済ませた後、僕は店のカウンター席に腰かけて例の登録書とやらを作成した。フレデリカが控えていた彼女自身の登録書の写しを参考にしているが、この事務的な作業がもう面倒くさくて仕方がない。
「はぁぁぁぁー……」
周りに誰もいないのをいいことに、僕は深呼吸するように深々と嘆息する。
聞いていた通り、目の前の書面には扱える魔法をすべて記入する欄がある。ペンを握る僕の右手はその上空で延々と旋回中だ。術それぞれについて、やれ覚えたのはいつだの主たる使用用途は何だの、極めつけには今までに何回使っただのといった、たとえ僕の記憶が万全であったとしても絶対に正確に書けない項目だらけなのだからどうしようもない。虚偽なく書くなら答えは「知らんけど」になる。
僕は一旦ペンを置いて、脇によけていたフレデリカの登録書(写し)に目を通すことにした。それを見ているうちに、僕は馬鹿正直に悩むのをやめることにした。
間がいいのか悪いのか、背後に彼女の気配を察知して僕は半眼で振り向いた。
「フレデリカ……確かこれ、虚偽なくって釘さされましたよね」
僕が指でつまんでいる部分、ちょうどその項目におけるフレデリカの記載は嘘八百だ。
フレデリカはそんなところに目くじらを立てられるとは思ってもいなかったようで、冷や汗をかきながら、この場を切り抜ける受け答えを考えているようだった。そうしてわざわざ選んだ語彙が、何とも始末の悪いものだった。
「嘘はついていない。少しその……謙遜して、書いてる」
「けんそんっ……!」
開いた口が塞がらない。それがまかり通るなら「最上級火炎魔法を毎日料理に使っています☆」も絶対ありだ。ちなみに僕は、そんな大それた魔法は使えないし覚えようとしたこともたぶんない。
フレデリカが大法螺を吹いているのは「魔力保有量」の欄だ。僕ら魔術師は、保有している魔力を規格に沿った月長石【ムーンストーン】に移し替えた場合いくつ分にあたるか、で数値化している。何の訓練も受けていない一般人なら0.3MP~0.7MPが標準値、一般的な魔術師だとその十倍が標準値といわれる。
僕の魔力保有量は残念ながら平均よりも少な目で、絞りだしても2MPほどしかない。だからすぐにガス欠になるし、大層な魔法を覚えたところでそもそもの魔力量が足りていないから使えないわけだ。そのあたりは今はいろんな魔道具でカバーできるから、魔術師としてとりわけ致命的な欠点というわけでもない。ただし、逆のパターンは話が別だ。
フレデリカの魔力保有量は、この登録書によると約10MPらしい。一般的な魔術師よりも多く、あらゆる魔法を際限なく使えるレベルだ。この「虚偽」に、なんとういか、可愛げがない。いや、言葉を選ばずにはっきりいうと悪質だ。彼女の魔力保有量は少なく見積もってもその十倍は裕にあって、あらゆる魔法を~とかいう長所を鼻で笑い飛ばす量なのである。そのおこぼれを吸収しているだけで、どこかのコガネムシが人間の幼児サイズまで肥大化してしまったのが動かぬ証拠だ。
フレデリカが申告を偽った理由は聞かなくても分かる。僕がフレデリカなら同じように「謙遜」して報告するはずだ。
フレデリカは、僕の意地悪な反応に対する適当な言い訳が見つけられず、冷や汗を流し続けている。少し、揶揄いがすぎてしまったかもしれない。
「自衛は大事ですから、分かりますけどね。そうだ、僕の申告書も見ますか? フレデリカだけ隅から隅まで僕に知られてるのは不公平ですもんねっ」
「別に……表面的な情報だからかまわない。管理局に提出してるものだし」
「またまた~。遠慮しなくていいんですよ? 興味ありませんか? 僕がどういう魔法を得意としてるか、とか」
「基本的な魔法がだいたい使える、と。それだけ分かっていれば支障ない」
「……そうですかぁ」
今後は僕が盛大にしょんぼりするターンになった。フレデリカは通常運転に戻ったようだからそれはそれで良かったのだが、僕は予想よりも手ひどいカウンターにあってちょっと泣きそうになっている。
「それより。登録書が書けたら地下に来てほしい。準備はできてるから」
「そうでしたね。書類は、まあたぶん大丈夫だと思います。フレデリカのが許容されるんだから」
知らんけど、な質問に関してはフレデリカの記述を参考に適当な日付や数を書きこんだ。フレデリカに登録書の写しを返却して、自分の分は手早く折りたたむ。明日の朝にでも鳩を飛ばせば問題ないだろう。こういうものは早く手放した方がいい。どうせ僕に隅から隅まで虚偽のない情報を書くなんてことはできない。──たぶん、記憶があってもなくても、僕はフレデリカと同じ理由で嘘を吐くしかないのだから。
夜が更ける前に、僕は準備を整えて地下の階段を下った。準備といっても特別なことは何もしていない。湯浴みを済ませたり、水を飲んで用を足したりといった就寝前のそれと何ら変わりない行動をとっただけだ。就寝前と正反対なのは、極度に緊張していること。
地下のあの厳めしい両開き扉の前で、フレデリカが待っていた。地獄への案内人みたいにランタンに灯石を入れて。
「どうぞ。入って」
扉は思ったより軽快に開いた。もっと古臭く、これみよがしに音を立てて開くと思っていたのに拍子抜けだ。普段はフレデリカが研究用に使っている部屋なのだから、当然といえば当然だ。ただ眼前に広がる室内の様子は、予想通りの異様さだった。
読み止しの魔術書や作りかけの魔道具、解析途中の鉱石や植物、それらをまとめたスクロール、本来この部屋の中央に散らばっていたであろうものたちは皆、部屋の端に追いやられてなりを潜めている。今部屋の中央にあるのは、椅子、一脚。月の光に照らされて幻想的でもあり、頽廃的でもあった。月光は明かり取り用の天窓から差している。魔法研究に月光の差し込み口は必須だろうから、この部屋の本来の用途を思えば、なるべくしてなった舞台装置というわけだ。美しい光景だった。椅子に腰かけて詩集でも朗読すれば、それはそれは絵になったことだろう。ただし、視線を自分の上半身より上に完璧に固定している限りは、の話だ。
「これは……ゴルド遺跡に敷いていた陣と同じもの、ですよね?」
一応僕は、申し訳なさが滲み出るように聞いた。その甲斐なく、フレデリカは僕が正解を言い当ててしまったことに対して分かりやすく絶望と驚愕を顕にしている。
床にはアラベスクの深紅の絨毯が敷かれていた。その下から、魔法陣の端がはみ出しているのだ。隠す気があるならもう少しなんとかならなかったのだろうか。というか、なぜ隠そうという発想に至ったのか。理由はいつも同じ。「解析されたくないから」なのだろうが、とにかく、この隠蔽工作の完成度は低いにもほどがある。
「なんで、分かったの」
「なんでとかじゃなくて……。同じ魔法式のものなんだろうなっていうのが分かっただけです。この、はみ出しちゃってる部分から」
「絨毯のサイズが足りなかった」
「まあ、はい。そうなんでしょうけど。……封印術の一種でしたよね? 結局どういうものなんですか? その、言える範囲でかまわないんですけど」
遺跡の棺の中で目が覚めたとき、僕はこの魔法陣が稼働しはじめることを警戒していた。というのもフレデリカはずっと、僕に突き付けていた杖の先端ではなく、いつでも陣に触れられる末端に全集中力を注いでいたからだ。
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