フレデリカはどうせ、僕がオウム返しした理由など分かっていない。先刻フレデリカ自身が、遺跡内は危険が伴うと言ったばかりなのだが──もういいか。このあたりを気にしていても仕方がない。彼女にとっての常識は、今の僕が唯一自信を持ってお届けできる常識的知識とかけ離れている場合が多々ある。そういうのを折り込み済みにしておけば、次は違った反応もできるはずだ。
「さっき、中は危険という話をしたけど」
「え? ああ、はい」
「危険云々の前に結構体力勝負になるから……その、大丈夫?」
大丈夫? ──何の話だろうと疑問符を浮かべる僕と、ただただ心配そうなフレデリカで顔を見合わせることになった。本日二度目の、特に高揚感も緊張感もない見つめ合いが発生したわけだが、その意図するところに気づいた僕の胸中に広がったのは、虚しいだとかの次元を越えていた。ちょっと、さすがに、ひどい。
「……今の、まさか僕に言ってますか」
眼精疲労というわけでもないのに、目元が痙攣しているのが分かる。何の衒いもなく力強く頷くフレデリカに、僕はとどめをさされて項垂れた。
確かに僕の体躯は、屈強さだとか強靭さだとかとは無縁ではある。そうかといって、別に風が吹いたら砂になって飛んでいくわけでもないし、雨に濡れたらすぐさま熱発するような脆弱さも持っていないつもりだ。が、少なくともフレデリカはそう思っていないらしい。
「体力は、戻っていると思うので心配いりませんよ」
「そういう意味じゃ……ないんだけど」
じゃあどういう意味なんだ──という真っ当な疑問でも、僕は苛立ちに任せて口走ったりしない。それはもう曖昧に笑って誤魔化しておく。皮膚の痙攣は目元から唇の端まで広がっている気がしたが、愛想笑いを作るくらいわけはない。ただ、ぼろが出ないように、今度は僕が意図してフレデリカより先行する。
彼女の心配が何に向けられているのか、僕は結局よく理解していない(したいと思わない)ままだったから、フレデリカは煮え切らない表情で後をついてくる。この件は、あれこれ問答するより実践で納得してもうらほうがきっと早いだろうし、正直蒸し返したくないから僕は気づかないふりで歩を進めた。
それとは別に、周囲の様子の変化には気づいてはいる。橋の中腹あたりから、すれ違う人種が固定化されてきていた。渡りきる頃にはそれは顕著になっていて、遺跡入口のランドマークでもある巨大な円形建造物の前に屯しているのは、冒険者か魔術師のいずれかだと推察された。要するに、冷やかしではない「探索ガチ勢」である。
地図を広げて真剣に話し合う一行もいれば、休憩中なのか談笑している者もいる。僕は彼らの背後に佇む「ドーム」と呼ばれる太古の建造物を、後ろ髪惹かれる思いで見上げながらも、打合せ通り先を急ぐ。エルドラ遺跡の探索時間は限られているし、今日の目的は別にある。それにドームは遥か昔に探索が終わっていて、今は訪れる者たちの休憩場所に使用されていることが分かっている。だから入ってみたいなどとは思わない。中の構造や、建材をこの目で見たいだとか、これっぽっちも思っていない。
「ハイス、今日は無理だけどドームはこれから利用する機会があると思うから」
いろいろと自分で言い聞かせてはみたが身体のほうは正直で、僕はもう少しで人類の首の稼働領域を越えてしまいそうなほど、ドームに熱い視線を送ってしまっていた。フレデリカからすれば、無表情のまま極限まで首をねじって直進する気色の悪いモンスターに見えただろう。
僕は適当な返事と咳払いをして、紅潮する顔を見られないように今度こそ前を向いた。
遺跡の外縁、と一口に言ってもその景観は多様で、小一時間歩いただけでも僕は何度となく感嘆を漏らしていたと思う。潮風と海水にさらされて朽ちた建造物の多くは、それでもなお形を留めていて、在りし日の光景を僕に空想させる。
地面はぬかるみとまでは言わないが、多分に水を含んでいて、普通に歩いているだけでしっかり足跡がつく。振り返ると、僕とフレデリカの二人分の足跡が綺麗に一直線上に並んでいてなんだかおかしかった。
「どうしたの?」
「いえ、もう少し肩の力を抜いてもいいのかなと思って」
フレデリカが選んだルートは、他の探索者が極端に少ない。芋を洗うように人がひしめき合っていたのに、今は見える範囲に僕とフレデリカしかいない。遠くに聞こえる波の音に耳を澄まして深呼吸していると、そこに時折何かの鳥の声も参加してくることに気づいて思わず顔が綻んだ。
僕の置かれている状況は決して楽観視できるものではない。だからといって常に深刻さを演出するのも、逆に明るく振る舞い続けるのも、僕には向いていない。
「せっかく念願の遺跡探索に来てるんだから、もう少し余裕を持って周囲に目を向けて見よう、か、と、ゥレデリカ! あれっ」
言っているそばから僕は余裕を失って、加藤レデリカとかいう謎の女を爆誕させてしまった。いや、今はそんなことは些末事だ。加藤さんはきちんと自分のことだと認識して僕が指差した方向に視線を走らせてくれた。その瞳が青く染まる。彼女と僕の視界を横切ったのは、特大サイズの不死蝶。趣深さを一切考慮に入れないで良ければ、
「でっか! ……すぎません? いや、ほんとにでっかい!」
という言い方に尽きる。この感想、どっかの誰かに一度使った気がして物凄く嫌なのだが、素直に表現するとこうなってしまった。フレデリカの頭のサイズと同じか、それより少し大きいくらいで、彼女の顔の横で翅を翻す姿は魔法のリボンのように見えた。
不死蝶は翅をばたつかせながらフレデリカの顔の前を行ったり来たりしている。フレデリカはどうしていいかわからないようで、眉尻を下げてたたらを踏んでいた。その仕草が、なんだかとても愛らしくて、僕は申し訳ないと思いながらもその光景を眺めてしまった。
「ちょ、ハイス……っ。わっ。魔力吸ってくる」
フレデリカの顔面が鱗粉だらけになるのもいただけないし、魔力を吸われ続けるのはもっと宜しくない。さすがに追い払おうかと思った矢先に、不死蝶はひらひらとどこかへ飛び去ってしまった。
顔の前で手をかざしたまま、フレデリカは数秒微動だにしなかった。
「見てないで助けてくれても良かったと思う」
特に乱れてもいない肩先を何度か払って、フレデリカは先刻の狼狽ぶりを無かったことにしようとしている。僕は笑いながら軽く謝罪して、不死蝶が飛んで行った先の空間へ視線を移す。
「それにしても、とんでもない大きさでしたね。不死蝶自体、変異体なわけだから元からあの大きさなんでしょうか。それともジョセフみたいに吸収した魔力の性質で後天的に……? だったらまだまだ大きくなる可能性もありますよね? いいなあ、あれ。個体識別できるようにしておけば良かった。サイズはもちろんそうですけど、あの光り方! 見ました? 昼間なのにあんなにはっきり青く──」
再びフレデリカに視線を戻したとき、彼女が無表情で固まっているのを確認して、僕は犯した過ちに気づいた。罪状は「キング・オブ・不謹慎罪」だ。肩の力は確かに少し抜こうと思っていた。それで抜きすぎた結果、底の方に押さえつけていた好奇心がだらしなく垂れ流れてしまった。
「すみません……つい、楽しくなっちゃって」
「いいと思う。私もあんなに大きいのは、初めてみた」
僕の予想に反して、フレデリカは柔らかく笑っていた。肩に力を入れすぎていたのは、どうも僕だけではなかったようだ。
「そうなんですか? じゃあ僕たち、今日はちょっとついてるのかもしれませんね」
「だといいけど」
フレデリカが歩き始めたので、僕も慌ててその後を追った。
僕の方が少しだけ歩幅が大きいから、普通に歩いていると追い付いて、すぐに追い越すことになるのだが、僕は調整して半歩だけ先を行くことにした。こうしておけば肩越しに振り向くだけで会話ができるし、周囲の異変に気付いたときも僕が先に対応できる。
#3 Side A
