僕はサポート役として、一応随所に気を配っているつもりだ。ただ、フレデリカは僕が思っていた以上に遺跡の歩き方を知っている。慣れている、といったほうがいいかもしれない。遺跡の醍醐味ともいえる変異体についても、必要以上に構えることなく対処しているように見えた。さっきの不死蝶に関していえば、店で飼っているくらいなのだから当たり前といえばそうなのかもしれないが、普通はもう少し嫌悪を抱く。生まれ持った「形」を失ったものに、人が憐れみより先に抱く感情が、残念ながらそれだからだ。
物質界のものが何らかの要因でブラックドアを通過してしまい、異形化してしまったものを僕らは「変異体」と呼ぶ。遺跡周辺に生息する虫や小動物に多く見られる現象だ。先刻の不死蝶のように極端に肥大化したり、手足が増えたり、無かった翅が生えたり、その逆にあったものがなくなったりもする。僕が記憶している中では、手足が合計ニ十本生えた金色のミミズというのが、気色悪いランキング第一位だ。犬や猫になると、その報告数はぐっと減る。単純にその大きさのブラックドアが自然に開くことが、無きに等しいからだろう。
僕がジョセフを一目見たとき変異体だと思ったのは、やはりそこまで飛躍した論理ではなかったと今なら胸を張って言える。よくよく考えてみると、あいつは変異体でないにも関わらず、僕の中の気色悪いランキング上位に食い込んでしまっている。
思考が途中から脱線してしまったが、要は、フレデリカの肝の据わり方が、常人のそれではない可能性について言及したかったのだ。僕はそれに期待してしまっている。彼女の感じ方が、捉え方が、価値観が異質であればあるほど、僕を受け入れてくれる可能性も上がる。そうであってくれないと困る。
世界の理を逸脱した存在に寄り添えるほど、人の心は成熟していないから。
しばらく歩いていると、景観がまた少しだけ変わった。足元の柔らかい地面には石材が点在するようになる。正しくは、もと石床だった場所が侵食と風化の過程で剥き出しの地面になってしまったのだろう。かろうじて原型をとどめている壁面や柱は、住居にしては背が高く、ここもドーム同様何かの公共施設だったのではないかと思われた。
「あれ……地下でした? 今まで」
かつて階段だったと思しきもの、は十段先からぱたりと続きを諦めている。その代わりとばかりに、崩落した天井やら壁やらが折り重なってできた瓦礫の階段がある。まさかこれが順路になるのだろうか。
「元々そうだったのかは分からない。地盤沈下とかでどんどん落ち込んでしまったのかも」
「じゃあ地形としては今まで歩いてきたところの方が危険ですね。これは登ると?」
「似たような建物の続き。そこから海岸沿いに出る」
「目的地ってわけですね」
開けた天井からは陽光が差しこんでいる。僕は一瞬目を細めて上方を確認した後、安全性ゼロのアスレチックステップへ踏み込んだ。前人未到の地というわけではないのだろうが、踏み慣らされた形跡もない。
「フレデリカはいつもこのルートを?」
「いつもじゃない。他の冒険者と一緒のときとか、たまに使うくらい。急ぎでなければ大周りしてる」
「それがいいと思います、よ、っと」
二階部分の床なのか、天井そのものなのか判然としないが、崩落して積み重なった瓦礫はどれも盤石で、ちょっとやそっとの体重移動でがらがらと崩れ落ちる心配はなさそうだった。極度の傾きと、実は絶妙なバランスで平衡を保っているだけの足場もどきに注意を払っていれば、これは確かに階段としての機能を果たしてはいる。
フレデリカは僕が選定した道順を、丁寧に辿ってきてくれている。中腹あたりでどうしても巨石に囲まれてしまうので、ひとまず僕がよじ登って上からフレデリカを引き揚げることにした。
「フレデリカ」
伸ばした手を、フレデリカはまた何を考えているのか分かりにくい無表情で見つめてくる。はいはい、信用度ね? この手をとった場合、一緒に転げ落ちる未来の可能性を憂慮してね? ──と、フレデリカによる僕の軟弱設定に一人勝手に苛立っていたのも束の間、フレデリカは割とあっさり僕の手をとって、大人しく引き揚げられてくれた。
「ここから先は瓦礫が細かいみたいですから、滑らないように気を付けていきましょう」
一般住宅だったら3階分くらいは上ってきたと思う。僕は残り僅かとなった瓦礫の階段と、ここまでの軌跡を見比べて注意喚起をしたわけだが、フレデリカは上方にも下方にも目もくれないで僕を凝視していた。そう、これ。凝視。本日三度目の、ロマンチック度圧倒的マイナス値の見つめ合いに、僕はようやく適切な名前をあてることができた。名前がしっくりくるだけで、抱く虚しさの度合いは別に何も変わらない。
「どうかしましたか?」
聞こう、と決めて僕は何でもないようなふりで確認をとった。
「いや……体調は問題ないのかと」
「? 絶好調ですね」
「そう、なら構わない」
軟弱設定というのとは少し違ったのかもしれない。フレデリカは悪魔憑きである僕の体調を気にかけてくれている、のだと思う。そう思っただけで、ここまでの三度の凝視にも付加価値が生じる気がした。要はこちらの捉え方次第だ。
僕は微調整を繰り返しながらも、なんだかんだ当初の上機嫌を保っていた。遺跡探索そのものがまず楽しい。フレデリカは物凄く分かりにくいだけで、僕のことを随分心配してくれているようだし、そこそこ信用もしてくれている。世にも珍しい特大サイズの不死蝶にもお目にかかれた。総じて幸先が良い。
しかしそういう偏った解釈こそが油断を生むということを、僕はこの後思い知ることになる。そしてその油断こそが、人類のラスボスだったということも。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ! ──頭上を、不快としか言いようがない音の波が通り過ぎて行った。僕もフレデリカも咄嗟に耳を塞いだせいで、気をつけましょうねと言ったそばから体勢を崩してよろめいていた。聞いたことのない音量ではあったが、聞いたことのある類の羽音だ。高速で遠ざかってはいったが、鳴りやんだわけではない。僕は片目を瞑って不快を露にしながらも、耳を塞ぐのは諦めた。たぶん意味がない。空いた両手で、狼狽えることもなく静かに滑り落ちていくフレデリカを慌てて引きずりあげた。音の発生源はさておき、とにかく足場のしっかりした場所へ一旦上がるべきだ。
僕の咄嗟の判断と対応は、まずまず間違ってはいなかった。瓦礫階段を踏破した先は、フレデリカが言っていたように同じようなつくりの朽ちたホールで、波音と空が近くなったこと以外に大きな変化はない。巨大な瓦礫もそこら中に散在しているから、身を隠すにも困ることはなかった。
ひとまず僕らは「アレ」に気取られないように、十分に距離をとって瓦礫に身を潜めている。不快指数100%の例の音は、未だ延々と周囲に響き渡っている。頭だけ瓦礫からのぞかせて、僕は既に分かりきっている正体をきちんと視界に収めることにした。
「あれも初めてですか?」
「ううん。あれは、よくこの辺で出くわす。目が合うと襲ってくる」
蜂だ。体長およそ1.65Mの。目算の癖に無駄に細かいのは、だいたい僕と同じくらいじゃないかと思ったからだが、それも鯖読んでいるというか、自分に言い聞かせている数字でしかないので正確ではない。しかも奴は身体をくるりと丸めているから、思い切りエビぞりしたら僕よりも巨躯であることは否定のしようがないだろう。ただし奴はどこからどう見ても蜂だから、エビぞりはしないはずだ。
「やり過ごしますか?」
フレデリカは一瞬の逡巡を経て、すぐにかぶりを振った。
「放っておいたら他の探索者を襲うから、かわいそうだけど」
「了解です」
危険性のある変異体の排除は、遺跡探索者に課された義務でもある。あくまで努力義務だから安全に配慮してそれ相応の対処をすれば構わないのだが、魔術師の中には、変異体の討伐だけを目的に遺跡に入り浸るタイプもいる。その昔一世を風靡した威力の強い、攻撃的な魔法は、管理局の統制が厳しい現代ではこういう場面でしか活躍の場がないからだ。
僕はそのあたりに全くと言っていいほど興味がない。遺跡内の生態系は守りたい派だ。
ただし今回はそうも言っていられない。フレデリカの言うとおり、あれを見て見ぬふりするのはまずそうだ。
#3 Side A
