未知との遭遇#3 Side A

 張り詰めた奇妙な静寂が場を支配した。後方でフレデリカが絶句している。それに輪をかけて僕は自らの行動に驚愕している。自分の鼓動がうるさすぎて、何も考えられないほどには。
「え、えーっと……これはその、体質? 特技? みたいなもので!」
 ほとんど何も考えていない頭で、先手だけは打つべきだと思った。嘘は言っていない。坩堝の世界の出入口であるブラックドア──僕はそれを開ける。好きなときに好きな場所で好きな大きさで、自由自在に。その、ほんのちょっとだけ特異な体質について、フレデリカに理解を求めるには、この状況は全く以てふわしくなかったということだけはひしひしと感じている。
「あ! 誓って僕が自分で悪魔をぽいぽい召喚したとかじゃないんですよ! 絶対! ……いや、確証は……ないですけど」
「そんな馬鹿なこと……あり得ない」
「そうですよね! あり得ないですよね、そんなの! ん? あ、ブラックドアそのものの話ですか、ひょっとして。僕が、開いた、ところを……見て、なかったりは……」
 フレデリカはかぶりを振る。彼女の落ち着きに反比例して、僕は思考回路が焼き切れそうだった。もう少し現実に即していうと、吐きそうだった。
 僕は地面に胡坐をかいたまま、深々と頭を垂れた。
「ハイス、一回落ち着いて」
「それはちょっと、難しいかもしれません」
 逆じゃないのか。大混乱のフレデリカを僕があの手この手で宥める、そういう構図ならまだ分かる。でも実際は、信じてもらうための適切な説明や言い訳が全く準備できていなかった、僕の一人負け状態だ。それがあまりにも不憫で、フレデリカはこの悟りを開いたような対応になっているのだろうか。そうでなければ、いくら何でもこの無反応ぶりは不自然だ。
「話すつもりでした、ちゃんと。ただタイミングが計れなくて」
 苦しい。言い訳にしても苦しいことこの上ない。それが自分でも分かるから、情けなさで吐きそうなのだ。知らなかった。人は度を越えた情けなさを覚えると胃液が上がってくるなんて。
「分かった。信じるから、一回深呼吸して」
「……え~……? 今の僕は、信じられる要素ゼロだと思いますよ、客観的に見て。ちょっとそれは優しすぎ──」
 これだ。僕は大急ぎで口をつぐむとフレデリカの助言通り、一回深呼吸した。可及的速やかに消えたほうがいい気がしている。気分が悪いのと自己嫌悪とで、僕はまともにフレデリカを見ていられなくなった。地面を一生懸命見ていようと心に決めて、視界に入り込む左手首の魔法陣を見て、またうんざりする。逃げ場がないから固く瞼を閉じた。
「何体もの悪魔があなたを器に選んだのは、きっとこの"特技"が理由なんだろうね」
 瞼を閉じただけの簡易の闇の中、フレデリカの声が頭上から降ってくる。瞑想する僕に合わせて屈んでくれたことが気配で分かった。こういうのを「優しい」以外で何と表現したらいいのだろう。
 僕は一人で絶望ぶるのをやめて、彼女の優しさに応えることにした。
「僕の左手首の四重の魔法陣、まあ今はひとつ消えて三重ですけど……中央の文様は、悪魔用の封印術じゃありません。ブラックドアの開閉を制御するための封印です。……鍵みたいなもので」
「それはじめから、知っていたの」
 久しぶりに、フレデリカの語尾の上がらない詰問を聞いた気がする。苦笑いが漏れそうになるのを、僕は意識して堪えた。
「そうですね。はじめから。四体の悪魔とやらに覚えはなかったんですけど、この真ん中の封印が意味するところは分かってました。あのとき、ゴルド遺跡でフレデリカが僕を攻撃してくるようだったら、使っていたと思います」
「さっきの蜂みたいに、私を坩界送りにしたってこと?」
「そう、ですね。そうしたかもしれませんし、そうじゃなければたとえば──」
 もう一度左手首を撫ぜる。その何でもない動作の後、僕の右掌から小さなブラックドアが開く。そこから僕はバタークッキーを取り出して、フレデリカに差し出した。
「こんなふうに何か喜んでもらえそうなものを転移させて、必死に命乞いをしたかもしれませんね。あ、これメイドイン坩界とかじゃないですよ。昨日レジーナさんが持ってきてくれたものです。ブラックドアを任意の場所二か所に開けば、坩界経由で物を転移させられるんです」
 呆然とするフレデリカにクッキーを握らせて、僕は彼女より先に大儀そうに立ち上がった。
「ちゃんとシールドかけましたから、変異はしてないですよ? レジーナさんが、フレデリカが好きなクッキーだって言ってたんで、それにしたんですけど」
 ブラックドアから取り出された食べ物を渡されて、安全だから召し上がれと言われてもさすがに困るか。手品みたい、などと喜んでくれるのを期待したわけではなかったが、無反応で凝固されると僕もどうしていいか分からなくなる。
「これを店のキッチンから、選んで転移させた、ってこと? それくらい、緻密にブラックドアを開け閉めできる」
「少なくとも、当たるかどうか内心冷や冷やだった火炎魔法よりは思い通りに使えます」
「そう、なんだ」
 フレデリカは半ば強制的に持たされたバタークッキーをしげしげと眺めて、特に予兆なく思い切りかぶりついた。そのまま軽快な咀嚼音をたてながら、綺麗に平らげる。
 僕はそれを呆気にとられたまま眺めていた。
「帰ったらレジーナにお礼を言わなくちゃ」
「……無理していませんか? 僕は──」
「ハイス。グリムロックさんから預かった魔術師登録書に、このことは記載した?」
「まさかっ。書いていませんよ」
「じゃあ何も問題ない。遺跡探索時は構わないけど、街では使わないようにしてほしい。謂れのない嫌疑をかけられないためにも」
「あ、それはもちろん」
「じゃあこの話はここまで。それ片付けて、先を急ごう」
 フレデリカが視線で指し示した「それ」こと、巨大蜂の遺骸のことを僕はすっかり忘れていた。僕らは最初と同じやり方、役割分担で、放置されていたそれを灰にした後、満ち始めた波音に誘われるように沿岸部へ向けて歩を進めた。


 そこから先の一帯はドワーフ紀の人々が暮らしていた居住区とされていて、潮の満ち引きに関わらず常に海底に沈んでいる。探索しようと思うなら、それ相応の多額の費用と準備が必要だが、そんなことをするのはかなりの道楽者だ。居住区から目ぼしいアーティファクトが発見されたという話も聞かない。
 そんな海底遺跡(と呼ぶと格段に聞こえが良くなる)を、楽しく安全に効率度外視で調査する方法、それが釣りである。たぶん。
 見晴らしの良い開けた場所だった。水平線が見える。ここで釣りをしながら日が沈むのを眺めているのは、さぞかし気分が良いだろう。が、実際にそれをやるとなると、海中調査とはまた別の準備が必要になる。満潮になれば、このあたり一帯は遍く海の中だ。
 元は高層建造物の屋上部らしい、その先端部で釣り糸を垂らしている男がいた。下層が海中にどっぷり浸かっているせいで、少しの労力で辿り着けるお手軽展望所と化している。
「バートックさん」
 崩壊した壁面を足場にすればよじ登れる。が、その前にフレデリカは男の背中に声をかけた。
「おうっ、フレデリカか? どうした、こんなところまで出向くのは珍しいな。何か要り様か?」
「そう、ワインを探してる。ドワーフ紀の」
 バートックと呼ばれた中年の男は、機嫌よく振り向いてはくれたが下りてきてはくれなかった。フレデリカも応えながら瓦礫をよじ登ろうとしていたので、僕が先行して上から彼女を引き上げる。
「ドワーフ紀ぃ? 魔術師連中は何だっていつもそういう厄介なもんを欲しがるかね。古代のワインなんざ、飲めたもんじゃないがな」
「別に飲みたいわけじゃない。当てがあるの?」
「当てというか、ちょうど最近頼まれて売った。そんなに頻繁に手に入るもんじゃないが、まあこの辺りで出ないこともないから、気長に待ってくれりゃあ渡せる可能性もある」
「それじゃあ困る。売った相手を教えてほしい。街の人間?」
 切羽詰まったフレデリカの様子に何かを察して、バートックはようやく身体ごとこちらに向き直ってくれた。そこでようやく僕と目が合う。一瞬間、面食らったような顔を見せるも、すぐにフレデリカに向き直って険しい表情を作った。


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