赤と黒#4 Side A

「……22秒を越えると過程関係なく、形は完全に消えてなくなります。まあ、そういう過程全部すっとばして問答無用で跡形もなくなることもあるんですけどね」
 僕は完全完璧なポーチドエッグを作ってしまった自分の器用さを呪った。卵の変異体にも劣るらしい僕への興味を、何とか少しだけでも引けないだろうかと、これみよがしに嘆息までしてみせた。
「──……驚かないでください。その問答無用の法則も、実は解析済みなんです」
 フレデリカの顔がここでようやく僕の方へ向けられた。
 こんがり焼けたきつね色のパンが、カリカリに焼いたベーコンが、つやつやで瑞々しいトマトが、そしてそこに満を持して投じられたポーチドエッグが放つ魅力に、やっとのことで僕は打ち勝つことができたらしい。フレデリカがここまでの話を聞いていたかどうかは、不問とする。
「スパークするんです」
 カンッ──調理台に打ち付けた三つ目の卵は、小気味の良い音をたてて一発で割れた。ちなみにこれは、ジョセフの分。
「シールド張っていても気づくくらい派手に。この現象の後は0秒は言い過ぎですけど、ほとんど猶予なく全消失しますね。これは失敗するなぁっていう合図なんで、即物質界に引きずり出して──」
 出来上がりつつあった朝食プレートを見ているときとは打って変わって、フレデリカの視線は厳しいものになっていた。それが僕を見る目。
 何となく予想はついていたけれど、フレデリカは僕の話に興味がないわけではない。肯定的には聞けないから、僕が話を止めるのを待っていたのだ。
「失敗、っていうのはあなたの都合で強制的に変異させることにって意味?」
「……誤解しないでください。楽しみのために検証していたわけじゃありません。特殊で危険な力なら御するための知識は必要だと思ったんです。得意げに話したのは軽率でしたけど」
 共感や賛同を得られないことは初めから分かっている。ただ知っていてほしかった。
「そういうことは、全部覚えているの」
「そうですね、言われてみれば」
「……凄く、都合良く聞こえる」
「え~……そんな風に言われてもな。魔法関係の知識と技術はちゃんと思い出せるし、いや、そんなこと言い出したらポーチドエッグの作り方だって別に忘れてないし……逆にですよ? ブラックドアについて何にも覚えてなかったら、もうそれはとんでもなく面倒くさい状況になっていたと思いませんか?」
「それは……確かにそう」
 お互いに発狂しただろうし、それで済んだとも思えない。
 思うに、僕がここまでブラックドアにおける知識と技術を洗練させるに至ったのは、自分を守るためだったのではないか。正気を保つため、と言い換えてもいい。
(坩界の出入口が開けて、そこに目をつけた悪魔が次々身体を乗っ取ってきて? 見かねた誰かさんがガッチガチの封印術をご丁寧に四体分かけた後、結局どうしようもなくて僕の身体ごと封印した。っていうストーリーが今のところ一番しっくりくる)
 そうなると、グリムロックが言っていたとおり、僕の身体に悪魔を詰め込んだ輩と封印術を施した魔術師は同一人物だと考えたほうが無難だ。
(でもこれは、違う……)
 今は三重になった左手首の魔法陣、その中央にある一際色濃い封印術の刻印だけは、年期の入り方が違う。これがなければ、どうなるか。それも僕は「知っている」。際限なく開いたブラックドアが、僕をあっという間に呑み込んでおしまい、ならハッピーエンドに近い結末だ。
 実際はおそらくそうならない。坩堝の世界から出てきたくてたまらない数多の精神体が、我先にとドアを通って、物質界に顕現する。そこら中のものを勝手に器にして、必要ならなり替わって、この世界を謳歌する。地獄絵図の完成だ。
 フレデリカは一応の納得をしてくれたようだから、それで十分だと思う。
「じゃあ、この話はこの辺でやめておきましょう。僕も不用意に話したり、使ったりしないよう気を付けます」
「それ──。不用意にって……不用意だったんじゃない、今」
「ああ、悪魔たちが聞いているからってことですか? 『知っている』ことと『できる』ことは、話が全然違うので問題ないと思いますよ。フレデリカなら分かるでしょ?」
 彼女が独自に開発した「完全封印空間」魔法の陣を、僕は知っている。発動条件が何で効力が何で、というのもフレデリカ自身から聞いている。そうかと言って、陣を再現できるでもなく、用意された陣があったとしても発動できない。そもそも圧倒的に魔力量が足りない。
 要は、ブラックドアを自由自在に開けるのは僕だけの特権ということだ。一朝一夕では猿真似さえできないだろう。事実、ハーゲンティは夜中になっても、僕の身体でドアを開こうとした形跡がない。
 フレデリカはまた、腑に落ちそうで落ちない生返事だ。それでも納得しようとする方向に舵を切ってくれているのはありがたい。よくよく考えてみると、彼女は『知っている』と『できる』はあまり切り離して考えない人だったから、この反応でも目的は達成できたと思うべきだ。
 三人分のポーチドエッグ(僕の分は半熟ゆで卵だが)を載せた見た目にも美味しい朝食が完成し、僕らはその日も、いつものように明るい食卓を囲んだ。品定めする気満々だったジョセフの舌をも唸らせることができ、気分も上々。
 ただ、肝心のワイン探しについては進捗のない一日だった。ルルへの交換品の当てもなく、バートックからの入荷連絡も当然ない。斜陽に比例して焦り始めるフレデリカを、あの手この手で宥めて一日が終わった。そういう日もある。仮にそういう日が残された期間の全部だったとして、僕は──。
 脳裏をよぎるあまり推奨されない類の感慨を、間違っても口にしないように、僕は努めて明るくふるまった。


 翌日も、そういう意味では進展のない日だった。ただし少しだけ、前日までと違うこともあった。フレデリカの言霊が、ついに効力を発揮してしまったのだ。
 というのは、もちろん冗談だが、僕はその日集中力を欠いていた。気のせいだと片付けるには自己主張が強めの頭痛に悩まされていたからだ。遺跡探索に支障が出るほどではなかったが、時折無意識にこめかみを押さえる仕草をしていたらしく、それをフレデリカに見咎められた。
「病気とかそういうのではないです。寝不足、ですかね」
 僕にその自覚はない。夜中は身体の主導権がハーゲンティに奪われるとはいえ、それは眠って意識を失っているからこそだ。脳の休養は摂れているはずである。
 考えられるのは身体のほうで、夜もすがらハーゲンティが僕の身体でパーリーナイトを決め込んでいるのだとすれば、疲労は蓄積してしまうだろう。このあたりは流石に仕方のないことだと思う。
「横になって身体だけ休める時間を作るっていうのも、手かもしれませんね」
「それで良くなるなら、そうしてほしい。遺跡探索は、私一人でもできないわけじゃない」
「え~……そんな淋しいこと言わないでくださいよ」
「淋しいかどうかは関係がない。体調の問題」
「それはまあ、そうなんですけど」
 魔術師としてのフレデリカの力量なら、エルドラ遺跡の探索に大きな支障はないだろう。逆に言うと小さな支障なら有り余るほどだ。まず樹海地区は絶対一人で行かせたくない。高層建造物の墓場みたくなっている瓦礫地区も、聞くところによると浮浪者や犯罪者が入り浸っているそうだから、不用意に近づいてほしくない。
「確認なんだけど……ワインが身体に合わない、とかはないの」
「ハーゲンティが毎晩やってる晩酌の話ですか? うーん、特別、ワインが体質的に合わないとかはないはずですけど」
 僕の答えが曖昧だったせいか、フレデリカは聞いておきながら気のない返事だ。


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