赤と黒#4 Side A/B

「今日は早めに切り上げて、しっかり休もう。夕食はレジーナのところで摂れば、情報更新もできる」
「いいですねっ。明日はこのあたりから探索を再開すれば、時間短縮にもなります。なんだかんだ魔石用に良質な石も確保できましたし……。あれ? 今日も幸先が良いのでは?」
「本当に、楽観的」
 フレデリカが仕方なさそうに笑う。僕はそれが見たくておどけてみせたのだから、満足だ。
 宣言通り、その日は夕方前には店に戻ってレジーナの店で絶品の魚介料理に舌鼓を打った。一日の疲れを癒してくれる、賑やかで、でも穏やかな時間。僕の好きな時間だ。
 ただ今日は、一向に引く気配のない頭痛のせいで、リラックスはできなかった。頭痛そのものも厄介なら、フレデリカの過剰な心配を発動させないようにすることにも気をまわさねばならなかった。ここをしくじると、明日以降、虚弱体質認定待ったなしの面倒な状況になる。
 レジーナの店を後にし、就寝するまでの間に、僕は寝転がったままで暇をつぶせるアイテムを厳選して地下室に持ち込んだ。フレデリカ愛読の魔導書。ジョセフが薦めてきた、人間がある朝突然虫になる小説。誰にも読まれず裏口に積まれた新聞。活字に飽きたらひたすら触れば良いと渡されたゴーレム用の粘土。ちなみに、僕はゴーレムの整形は全くもって得意ではない。幸か不幸か、ジョセフ一押しの小説に三分の一ほど目を通した段階で、僕は知らず眠りに落ちていた。
 次に目が覚めるときは、またあの椅子のひじ掛けに頬杖をついているのだろう。ナイトテーブルに置かれた空のワイングラスに赤い水滴を残して。

Side B:Frederica

 夜半過ぎ、正確な時間は分からない。
 寝台の横から、ゴーレムが私の身体を規則正しく揺らしている。伸ばし棒でパン生地を引き伸ばすみたいに一定のリズム。私はゴーレムに目覚めたことを伝え、滑らかな土の頭をお礼代わりに軽く撫でた。
 夜中、地下室から鼻歌が聞こえ始めたら、私を起こすようにゴーレムには命令してあった。手段は指定していなかったが、案外に真っ当な起こし方を選んでくれたことに胸をなでおろす。ゴーレムは細かく命令をしておかないと、時にとんでもない手段で任務を遂行しようとするから、今回は幸運だったといえよう。次からは気をつけなければと自戒する。
 ここのところ私は焦りすぎている。そして感情的すぎる。魔術師としてなどと限定するまでもなく、それは推奨されるふるまいではない。
 こんなふうだから、ハイスからも不調をひた隠しにされるのだろう。
 彼は今日(もう昨日になっている)一日、無理をしていた。私が少しでも心配の色を見せると、途端に拒否反応を起こして愛想笑いを始める。
 ただ、休んでほしいだけなんだけれど──それがうまく伝わらない。もどかしさはある。でもハイスに非はない。私は魔術師として、ハイスに信用はされていても信頼はされていない。私はそれを望んでいるわけではないし、そもそもその資格もない人間だ。
 やっても仕方のない反省を打ち切って、私は寝台から這い出した。ランタンに灯石あかりいしを放り込んで、鼻歌が聞こえる地下室へ向かう。
 扉を開けた先の光景が、予想通り過ぎてつまらない。
 足を組んで偉そうに椅子に腰かけている悪魔がいる。本人は自分のことをたぶん優雅だとでも思っているのだろう、想像するだに気持ちが悪い。天窓から差す薄青い月明りを肴に、ハーゲンティは約束した「一杯」を楽しんでいた。
「ここは思いのほか悪い場所ではありませんね。地下でも、こうして月明りを愛でることができる。実におつな作りだ。こんなロマンチックな場所で女性と二人きり、美酒の条件が揃っているのですが……貴方も、そんな恐い顔をしていないで一杯どうです?」
 自分がどんな顔でその場に立ち尽くしているかなど、どうでも良かった。
 私はここへただ確認に来たのだ。この悪魔が、私の質問に対して真実を答えるか、答えなかったときそれを見破れるか、それなりの緊張を抱えていたと思う。全て杞憂だった。問い詰める必要はない。私は一目見て、自分の予想がすべて当たっていたことを察することができた。
 不用意だったんじゃない? ──それは私自身に対して言うべき言葉だったと知る。
 ハーゲンティは私が答えないのを残念がって、肩を竦めて見せた。そのままグラスに残っていたワインを軽快に飲み干す。グラスは高々と掲げられ完全に逆さま。最後の一滴は、抜かりなく堪能できるように伸ばされた舌先に落ちていった。
「ん~! 本当に美味! 今までにない上質な味わいなんですよねぇ……」
 恍惚の表情で唇を嘗めまわす。その仕草ひとつが、表情ひとつが、ハイスの身体でなされることが醜悪でしかない。
 私は怒りで何もかもがどうでも良くなっていた。自分への、怒りで。
 ハイスの左手にある最初の封印を解いたとき、ハーゲンティはすぐに顕現することができなかった。だから油断した。私はその際、この完全封印空間の欠点を自ら暴露しているのだ。
 私の完全封印は、魔力を閉じ込めて"外界への影響を断つ"ものだと。この悪魔はそれを聞いていた。そして自分の職能との相性の良さに欣喜したに違いない。
 ハーゲンティは血をワインに変える職能の悪魔だ。完全封印空間は、魔力を使って外界にアクセスすることが一切不可能になるだけで、自分の魔力を自分の身体に使用する分には何の制限もない。
 一日一杯で十日間。こいつは入念に計算していた。ハイスの血液がワインになって消費されたところで、何日生き永らえることができるかを。
 気づくべきだった。違和感を持つべきだった。もっと全てにおいて、慎重になるべきだったのに。私は初手をしくじった。
「フレデリカ嬢は何か嫌なことでも? こんな美しい夜だというのに、不憫なことですねぇ。それはそれとして明日で四日目。首尾はいかがですか。至高のワインは見つかりそうですか?」
 激しい憎悪で頭の中が焼き切れたみたいに熱い。言葉が、紡ぐ前に意味のない記号になって解けていく。
「難しいでしょうねぇ。まあ私は私で、こんなにも珍しい風味を堪能できているのですから、取引がご破算に終わっても不満はないのですがね」
「……だったら出ていって。今すぐ、ハイスの身体から」
 やっとのことで口から出たのは、自分でも驚くほど稚拙な言葉だった。それでも今の私には血を吐くような痛みが伴った。
「おやおや、そんな子どもみたいなことを。いいですかレディー? 私たちは互いに了承したうえで取引を始めた。これはビジネス。私は全ての契約内容を忠実に守っていますから、そのような顔をされるのは心外です。ご不明点があれば、サインをする前に確認をとれば良かっただけのことでは?」
 ハーゲンティは組んでいた足をほどいて、少しだけ前に身を乗り出した。これは商談だと言わんばかりに。
「あなた方人間は、自分たちに都合が悪いことは受け付けず、足りないものを虚飾で誤魔化し、保身のために驚くほどたくさんの嘘をつく。とにかく醜くあさましい。非難しているのではありません。だからこそいじらしいと言いますか、愛おしい。眺めているだけで酒がうまくなる。至高の肴です」
 その通りだ。否定はしない。私はその醜さとあさましさの最たる例で、その事実にいちいちもう心を痛めたりはしない。
「御心配には及びません。この完璧な器、奪い合うことはあっても殺すことはない、どんな悪魔も。まだ契約期間はあるのですから、せいぜい奔走していただきたいものです。私はただここで、貴方と盃を交わすのを楽しみにしています」
 結局何ひとつ言い返せないまま、私は地下室を後にした。自己嫌悪を通り越して、自分の甘さを呪い始める。もう失敗は許されない。私が対峙しているのは悪魔だ。誰も傷つけず、恨まれず、解決できるかもしれないとほんの僅かに持っていた期待を、私はその夜きれいに処分した。


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