Side A:Hyth
暴漢か何かが潜んでいて、僕が目を覚ますと同時に頭を思い切り殴ってきた、のだと思った。そうでなければ頭の痛みにのたうち回りながら、などという世にも奇妙な目覚めが成立するはずがない。実際は情けない呻き声をあげながら、多少ブランケットの上をころころ転がっただけに過ぎないが、それだけで僕の世界は、固定金具が外れてしまったみたいに右に左にゆっくり回転を始めた。
(うわぁ、酔う……)
瞼を固く閉じたまま、上半身だけを無理やり起こした。暗闇の世界でさえ、回っていることだけは分かる。一旦落ち着くまで下手に動かないでおこう、と心に決めた刹那。
「ハイス」
やはり暴漢か何かは潜んでいた。そいつが耳元で僕の名を囁くと同時に、吐息が鼓膜をくすぐった。
「う、わっ」
恐ろしくフレデリカの声に似ているなどと、馬鹿なことを考えながら僕の世界は完全に反転してしまった。持ち込んでいる大量のクッションに頭からダイブ、次の瞬間には地下室の天井とフレデリカの神妙な顔つきが視界を埋め尽くす。
「びっ……くりした。息かけないでくださいよ、力抜ける……」
フレデリカの吐息のせいにしてしまおう。僕は寝起きで、何なら少し寝ぼけ気味で、無防備極まりないところに女の子から奇襲をかけられたのだから、仕方ないということに。
「今日は店番をお願い。朝食は、きのこと野菜のスープがあるから……食べられたら」
「かまいませんけど、フレデリカは今日は別行動ですか?」
「私は、遺跡に。ルルのところへ行ってくる」
「え、だったら僕も一緒に──」
勢いで何とか起き上がると、思いきり眉間に皺を寄せたフレデリカの姿が目の前にあった。
「"体調が良いとき"は私の仕事を手伝う約束だったはず」
僕は咄嗟に反論できず、喉の奥で呻き声をかみ殺してしまった。まさかこんなところで、あの訳の分からない条件が適応される状況になるなんて予想外もいいところだ。
「それはまあ、はい、そういう約束でしたけど……いくらフレデリカでも、単独での遺跡探索は危険です。樹海地区に行くならなおさら」
「必要なら途中で冒険者を雇えばいい。だいたいそれは私の問題であって、今日のハイスの行動についてこれ以上問答するつもりはないから、大人しく店に居て」
受け取り方次第ではかなり心象が悪い言い草だったが、僕はあれこれ言わず白旗をあげることにした。体調が芳しくないのは事実だし、これ以上それを誤魔化しても仕方がない。それに、このフレデリカのつっけんどんな言い回しは、僕流に解釈すると「私の心配はしなくていいし、ハイスと喧嘩をしたいわけではないから、身体を労わって店にいてほしい」という嘆願になる、はずだ。無碍にはできない。
「分かりました。言いつけ通り店番して待ってますから、フレデリカも無茶をしないと約束してください。ルルと交渉するなら、物々交換のみです。先走って武力行使とかは論外ですよ」
「……そんなことしない」
(分かりやすいな……)
こう釘を刺しておけば、フレデリカは早まったことはしないはずだ。危険なことをする必要はない。少なくとも今は、まだ。無茶を敢行するなら体調を万全に調えて、計画を練ってからだ。
僕は全身鉛でできたような重たい身体をなんとか操作して、フレデリカを見送った。
「貧血だ、貧血。毎晩グラスなみなみの血液をワインに変えられてるって聞いたぞ。お気の毒にな~」
店のカウンターにぼんやり座る僕と、はたき片手に店内を右往左往するジョセフ。今日はこの最悪の組み合わせだけで店を守らなければならない。
ジョセフはくすんだ灰色のエプロンに、主張の強いオレンジ色の蝶ネクタイという出で立ちで、今日は一日清掃作業に没頭するつもりらしい。僕の存在はできれば無視してくれればありがたいのだが、ジョセフはカウンター前を横切るたびに、やれ「生きてるか」だの「鉄を食え」だの、話しかけてこないときがない。
「なんでジョセフがそんなこと知ってんだよ……」
「はぁん? 知れたこと。このジョセフが、フレデリカ様から最も信頼されている助手でありパートナーであるから……に、決まってんだろうが貧血役立たずお荷物野郎っ。てめぇがそんな体たらくだから、フレデリカ様おひとりで危険極まりないエルドラ遺跡に赴く羽目にっ。極めて遺憾っ」
「あーはいはい。それに関しては言い訳もございませんよ」
「憎まれ口が叩けるならまだ死にはしないな。昼食にはこの私が手ずから特上ステーキを焼いてやるからひとかけも残さず平らげろ、いいな」
「……」
「返事くらいできねぇのか、ん? 死んだか?」
「ありがとう、ございます」
僕は素直に礼を述べただけなのだが、ジョセフは身震いしながら小さく悲鳴までご丁寧にあげて逃げていった。言葉の端々は気に入らないが、あの虫、どうやら僕のことをそれなりに心配してくれているらしい。フレデリカといい、ジョセフといい、この店の従業員はもう少し素直で柔和な言語表現というものを学ぶべきだと感じる。
店内は静かだった。ジョセフが箒を滑らせる音が響くだけ。店の売り上げとしては全く宜しくないが、今日に限ってはこのまま静寂が続いてくれるほうがありがたいと考えていた矢先に、ドアベルが鳴った。
「おや。今日はフレデリカ嬢はおらんのかの?」
僕よりも一回りも二回りも小柄な老紳士が、ドアの隙間から滑り込むようにして店内に入ってきた。彼はこのリトルバタフライポットの、数少ない大事な常連客だ。フレデリカには「先生」と呼ばれている。
「外出中なんです。夕方には戻りますけど、急ぎますか」
「ぜ~んぜんっ。ふらっと立ち寄っただけでな。まぁでもそうじゃなー、
「だったら今はいいのがありますよ」
僕は断りを入れてカウンターを空け、地下倉庫に出向いた。
連日の遺跡探索の副産物として、店の商品については質も向上、数も充実している。こういうときこそ顧客を集めて良い評判を広める仕掛けでも作っておけばいいのだが、いかんせん今は僕にその気力と体力がない。階段を下りて、また上がるだけの道のりが途方もなく感じられるくらいに。
僕が戻ったとき、老紳士は応接用の丸テーブルに着いていた。彼がカウンターでの接客を好まないことは何となく知っていたので、僕はそのまま丸テーブルまで出て、口を大きく開けたまま麻袋を置いた。
「厳選したつもりですけど、不要な石があったら言ってください。すぐ交換するんで」
老紳士は目じりに皺を作りながら、麻袋の中から一番上に置いてあった清浄石を手に取った。掲げて色や大きさを吟味していたかと思うと、すぐに袋の中に戻す。
「確認不要、これを袋ごといただこう。お主の目利きは信用しておる。フレデリカも良い助っ人を雇ったもんじゃ」
「はは……、そこまで大したものじゃないですが。端の方にちょっと珍しい灯石も入れてあるんで、そっちはいらなかったら処分してください」
「ふぉふぉ。おまけか? こりゃ立ち寄った甲斐があったの~。有難く頂戴するとしよう。おお、青いな?」
反応はまずまず。
#4 Side A
