フレデリカが昨日もルルのキャビンを訪れて、交渉を持ちかけたことは既に聞いている。希少な遺物や魔道具との交換をあれこれ提案してみものの、ルルは頑として首を縦に振らなかったらしい。それで、頭に血が上ったフレデリカさんは「分かった。ルルがそういうつもりなら、私も頭を下げてお願いするのはもうやめにする。こだわらなければ、それを手に入れる方法は私にはいくらでもある」とかいう、過激な脅迫をして帰宅してきたというわけだ。本人は一応反省している。
ただ単なる慰めでなく、おかげで計画がうまくいく確率が上がったのは事実だ。
僕らは今日、ルルからドワーフ紀のワインを奪取する。ブラックドアを利用した、出来得る限り最大の高精度転移魔法で。ルルには気づかれずにこっそりと、である。
僕がブラックドアを開けるのは、自分の視野内、もしくは明確にイメージできる場所に限る。だからワインの所在を明らかにしておくこと、それを僕が把握しておくことは必須事項だった。
ほとんど死体に近い体を引きずってまで、わざわざ遺跡へ来たのはそういうわけだ。初日と同じ外縁ルートなら、体力の低い女性でも子どもでも頑張れば何とかなる。危険な変異体との遭遇率も低い。選択は間違っていなかったはずだ。見通しが甘かった点をあげるとすれば、女性でも子どもでも頑張れば何とかなる瓦礫階段は、重度の貧血野郎には攻略不可能だったというところだろうか。
それで全く本意ではないが、フレデリカに頼んでワインの所在を確認してきてもらった、というわけだ。
「ルルがワインをすり替えている可能性は?」
「大丈夫だと思う。飲み口は未開封だったし、あのワインボトル……形状がそもそも全然違うから、中身も外見も偽装は難しいはず」
「ああ。ドワーフ紀後期の、細身のボトルですよね? 独特の」
ルルのキャビン内の構造は知らないが、ルルそのものをイメージすることは難しくない。その懐に抱え込まれているワインだけを、転移で取り出すにあたって、ボトルのイメージは明確なほうが精度は高まる。僕が実際に見たかどうかは、さほど問題ではないのだ。僕のイメージと現実が一致していればそれで良い。
「それじゃあ、パパっとやっちゃいましょうか」
「うん、お願い」
深呼吸、後、両ひざに両手をついて立ち上がる。完全におじいちゃんの所作。それでも、ブラックドアは開ける。体力や魔力が底をついていたとしても。
右親指の腹で、左手首の動脈に触れる。マッチみたいに擦る。それだけ。右手のひらの中で渦巻きながら、ブラックドアが開く。これが際限なく広がりたがるから、調整にほんの少しだけ意識を割く。本当にほんの少しだ。
封印術の陣に最初に触れるのは、間違ってもブラックドアを開きすぎないようにするための保険みたいなものだ。必須の工程ではないが、僕は極力いつも通り、慣れた方法で安心安全に事を進めたかった。そうでないと、少し距離をとって見守るフレデリカに、追加で心配をかける気がする。
ルルの魔力や気配を辿って、その手に抱え込まれているワインボトルをイメージして、僕は確信をもってもう一方のドアをこじ開けた。イメージの先に現実がある。掌の中にワインボトルの感触を覚えると、僕はそれを一気に引き抜いた。
「……っ、ハイス!」
フレデリカの悲鳴に似た金切り声を、僕は初めて聞いた。大声を出すのは苦手だと言っていたのに、結構本格的に緊迫感がある、などと揶揄している場合ではない。
彼女が叫んだ理由は明白だ。こちら側のドアから半分顔を出したワインボトルには、しっかりと少女の手が絡まっていた。ルルが、ワインを握ったままこちらへついて来ようとしているのだ。
トラウマ級のホラー体験、その最中にありながら、我ながら恐ろしいほど完璧な対処をしたと思う。
僕はブラックドアを通じて物質を転移させる際は、変異や消失を防ぐために例外なくシールド魔法をかける。それが一瞬に満たない時間だとしてもだ。
まずワインボトルにかけていたシールド魔法を、へばりついている手に、そしてそこから続くルルの身体全体へ拡張させた。それとほぼ同時に、掌サイズに収めていたブラックドアを人間サイズにまで大きく広げる。そうでないと、ルルだけがドアを通れず坩堝の世界に置き去りにされてしまう。ホラーに次ぐバイオレンスなんて、死んでも御免だ。
ドアから吐き出されるように、ワインを抱え込んだルルが「こちら」側へ転げ出てきた。ごろごろとしばらく横に転がりながら、あろうことか声をあげて笑っていた。僕はこれこそがホラーだと思った。動悸が止まらない。
「あんた何考えてんだ……自分からドアに入るなんて……!」
ルルは石床の上に寝ころんだまま、高らかに笑うのを止めない。止めないというか、止まらないといったふうに、呼吸がままならないほど笑い続けている。
僕はそれを遠巻きに見ながら、彼女の外見に何も変異が見られないことを入念に確認していた。シールドは絶対に間に合わせた。大丈夫だ、絶対。
ルルは気が済むまで笑い転げた後、大きく息を吐いたかと思うと跳ね起きた。
「すごいすごいすごいすごーーーーい! 何、君、今のどうやったの! ドア開ける人初めて見た! しかもおっきい! あたし今坩界に居た? 坩界とおちゃったー!」
ぬいぐるみでも抱きしめるみたいに、抱えたワインボトルに頬を寄せてはしゃぐルル。
どうするのが正しい反応なのか、迷った挙句フレデリカを見た。彼女は呆れているとも怒っているとも違う、何とも言えない虚無の顔。先刻、切羽詰まって大声を上げていたのが嘘のように、無表情を決め込んでいる。これは参考にならない。ならないが、フレデリカの気持ちは少しだけ分かる。珍しく苛立っている、ということくらいは。
「ね、もう一回やってよ、さっきの。次はもうちょっと長めでっ」
興奮冷めやらぬ様子で纏わりついてくるルルに、僕はわざとらしく考える素振りを見せた。答えは決まっている。
「分かりました。いいですよ」
「ハイス」
僕を諫めるフレデリカの声に、今度ははっきりと怒りが込められていた。フレデリカには、僕がどこまでも軽率で向う見ずな、考えなしで調子のいい阿呆にでも見えているのだろう。ついでに言うと、虚弱体質の役立たず認定も早いうちから受けている。などと自虐に走っても始まらない。
僕にも一応考えはある。その十分の一くらいは伝わると信じて、フレデリカには視線だけを返した。
「つまり、取引ってことで」
「おお? 悪魔みたいなこと言うね、君」
笑えない冗談だ。僕は引きつった笑みで適当に流す。
「僕らが欲しいのはそのワイン。君が後生大事に抱きしめてるそいつ。で、君が求めるのは、坩界へのダイブ。希少価値から考えれば同等、等価交換ってことでかまいませんか」
「いいよ~。全然いい~。ねぇねぇ、ひょっとして君、案外話分かるタイプ? フレデリカのヒモなのに? 頭やわらかめ?」
「あーはいはい。やわらかめかもしれませんね、いろいろあり得ない身の上なもんでっ。ヒモではありませんがっ」
どこかで聞いたことのある評価と言いがかりは、今はとにかく間が悪すぎる。フレデリカ本人の前ではとかくやめて欲しい。
「……取引は成立ですね」
「わぁーい! やたー! じゃあはい、これは君に、さしあげましょう」
ルルは一蓮托生とばかりに抱きしめていた太古のワインを、あっさりと僕に差しだしてきた。受け取って、あまりの馬鹿馬鹿しさに涙が出そうになる。今までの苦労は何だったのか。一気に肩の力が抜けた。それが何故か膝にきた。
「フレデリカ。すみませんが、ルルにかけるシールド魔法は任せて構いませんか。僕がやるより、遥かに信頼度が高いので」
#4 Side A
