僕の主張は遠回しにフレデリカの立場を非難しているようなものだ。が、そういうつもりは毛頭ない。自覚しているとおりこれは僕の勝手な解釈で、それを押し通そうだとか理解してほしいだとか望んでいるわけではない。
「それはそうだと思います。極端に振り切ってる奴は一定数存在してますもんね。僕の感じ方の話なので、あまり気にしないでください。考え方はそれぞれでいいんじゃないかなと。……──あ、そうだ。それより!」
フレデリカを少なからず不快にさせたことを何とか無かったことにしたくて、僕は別の話題を探していた。そしてそれが都合よく目の前に転がっていたことに、今回ばかりは形而上の何某かの存在に感謝の念が湧いた。
「これ見てください、この記事。リーデット商会の身売り。リーデット商会といえば、魔道具バイヤーの中では名の通った老舗です」
フレデリカは僕の顔をかなり長いこと凝視(いつもの虚無のやつだ)した後、恐る恐る僕が指し示した記事に視線を滑らせた。事の重大さは分かっているようで、顔が青ざめていく。フレデリカには申し訳ないが、僕は話題転換が殊の外スムーズに行えたことを人知れず喜んでいた。
「こういうところでさえ時代の流れに置いていかれれば、新興勢力にあっけなく買収される世の中なんですから、僕らもいつまでも赤字続きの自転車操業ってわけにもいきません。しっかり手は打っていかないと」
「それはまあ、そうなんだけど……」
気の抜ける返答だ。理解はしてくれているようだが、どこか危機感が足りないのは何故なのか。思い当たることがあった。良い機会だから、帳簿に記された「経営の魔法」についてもこの際明らかにしておくほうが良さそうだ。
僕は確固たる意志を持って、フレデリカの眼前で会計帳簿を開いてみせた。
「この際確認しておきたことがあるんですけど」
羅列された数字たちが教えてくれるのは、この店がいつ潰れても全くおかしくない経営状態であったこと。どの頁もそうなのだから、僕なんかは頁をめくるたびに鳩尾を全力で殴られている気になるのだが、フレデリカは平然としている。僕はそろそろこの開き直った態度の謎を解き明かしたいのだ。
「ご覧の通りの火の車。これがずっと続いている……んですよね、ここまで」
僕は問題の頁まで辿り着くと、めくる手を止めて大問題の欄をそっと指差した。
僕がこの店、リトルバタフライポットのカウンターに初めて座ったちょうど三か月前、あり得ない額の売り上げ額が一括計上されている。どれくらいあり得ないか? ──ひとまず、僕の人差し指が震えるくらいにはゼロの数が違う。帳簿はそこから急転直下で黒字に転じているが、結局その後の売り上げがふるわないから現在はまた赤い、という状況だ。補助簿と照らし合わせても、この一発大逆転に相当する売り上げが何に由来するのかが分からない。
深呼吸をした。今から僕は、この善人の皮をかぶった大罪人の罪を暴く。店を守るためとはいえ、およそ人としてやってはならないことに手を染めたわけだから、きちんと償わなければならない。たとえそこに絶対的な悪意がなくても、だ。
「フレデリカ。正直に話してください。僕も一緒に……できる限りのことはするつもりです。……何を、売りました?」
共に背負う覚悟はある。フレデリカの口から何を聞かされても、僕は受け止めると決めている。
対してフレデリカはというと、相変わらず危機感はない。悪びれた様子もなければ後悔の念も感じられない。それどころか、今まで見たことのない得意げな笑みを浮かべている。
「それ? それはね、髪を売った」
「──……かみ」
きっと僕が知らない、異国の言葉か隠語だと思った。ジョセフが補足してくるまでは。
「フレデリカ様の髪は、魔術師はもちろん魔力を欲する者にとってはダイヤモンド級の一品。溜めに溜めた上質上等の魔力が収められているわけですからっ。いや~しかし、腰まであった美しき髪を切ってしまうのは、こう、なかなか忍びないものがございましたっ」
「髪はまた伸ばせばいいし」
「はははっ。短いのも、フレデリカ様はお似合いになるから困ります」
フレデリカとジョセフが、当時を思い出して朗らかに笑い合っている。僕はその光景を見てもまだ、理解が追い付かない。
かみ。カミ。KAMI。──髪。人類の頭部を守るために生えてくる、毛髪のこと。大抵の魔術師は、魔力保管にまず自分の頭髪を使う。魔力の質の劣化がほとんど起こらず、長さの分だけ際限なく貯蔵できるうえ、持ち運びにも使用にも余計な手間がない。それだから魔術師には髪の長い輩が多いし、手入れにこだわる分見た目にも美しかったりする。
ただ魔術師なら全員がそう、というわけでもない。現に僕は管理が面倒だからという理由で髪は伸ばさない派だし、てっきりフレデリカもそうなのだと思っていた。
「最悪立ち行かなくなったら髪を売ればいいんだよ。だからそんなに、店のことは心配しなくても大丈夫」
フレデリカが自信満々で言う。僕は一拍置いて、これ以上ないというほど深々と嘆息した。わざとやった。店主と従業員、揃いもそろって発想がぶっとんでいる。買ったほうも絶対やばい。
「だめです。髪を売るのは金輪際禁止。いろんな意味で危険すぎます。そもそもがそういう考え方だから店が軌道に乗らないんですよ」
僕は、つい今しがたまで持っていた訳の分からない覚悟をかなぐり捨てて、新たな決意を固めた。この店を、真っ当なやり方で絶対に黒字にしてみせる。そしてこの危険思想の、商売人の風上にもおけないようななんちゃって店主と虫従業員の性根を、根本からたたき直す。それが僕にできる、せめてもの恩返しだ。
「別に臓器売ってるわけじゃないのに……」
「だ、め、で、す。傾いてる店が直立不動になるレベルの価値がある時点で、ほとんど臓器ですよ……!」
「ハイス、貴様はぁ~……! フレデリカ様のダイヤモンドヘアーを臓器扱いとは、悪魔呼ばわりに続き不届き千万!」
「その台詞はそっくりそのまま君に返す。主人の髪を得体のしれない輩に売り飛ばすことに危機感も覚えないようじゃ、助手としても従業員としても三流っ」
「んなっ──!」
絶句、後、凝固。ジョセフは二の句が継げず見事に押し黙った。彼を言い負かしたことに優越感がないといえば嘘になるが、さすがに今回重要なのはそこではない。
「売った相手は別に……危険な人じゃないけど」
「帳簿に記載してないですよね? 誰ですか?」
「それはまあ、ほら、過ぎたことだし。これからは売らないわけだし」
「隠すってことは疚しいってことなんですよ、フレデリカ。場合によっては買い戻す必要だってあります」
フレデリカはおそらく、この期に及んでもまだ「髪ごときで何をこいつは大げさに騒ぎ立てているんだ」くらいに思っている。それは構わない。価値観とか考え方とか、そういうのはさっき話していたとおり人それぞれってやつだ。
ただ僕はこの店を立て直す覚悟を決めたわけだから、そこはもう妥協できるポイントではなくなった。それに商人魂を抜きにしても、フレデリカのこの手の無頓着を、僕は笑って許容できそうにない。
「ハイス」
「はい」
「……一度売ったものを買い戻そうとするのは良くない」
真剣な眼差しで僕を諭すフレデリカ。僕はそれで諭されるわけもなく、またこれみよがしな嘆息をする羽目になった。
「いや、それバートックさんの受け売りですよね」
「そうだとしても、言いたいことは同じ。本当に、変な人に売ったわけじゃない。髪も今後は売らないと約束するから、その、あまり怒らないでほしい」
「怒っ……ては、いません」
そう見えたなら、それは僕の落ち度だ。自分だけが危機感を持っていて、その共有がどうもうまくいかないという事実に、焦ってはいたけれど。
#5 Side A
