夢で逢いましょう#5 Side A/B

(これがフレデリカだったら……。いや、そんな想像はやめよう)
 封印は解かれている。そうでなくても、悪魔は僕の目と耳を無許可でジャックしている。不用意な発言は控えるべきで、その大元になる不用意な思考は遮断しておきたい。
 悪魔との第二次大戦は耐久戦になりそうだ。しびれを切らして尻尾を出した方が負ける。僕は夢から、フレデリカは書物から、そして悪魔は僕自身が知らない記憶から情報というカードを引き出していく。
 その日を境に、僕は連日似たような夢を見ている。細部が異なる、というのは案外重要なことのような気がして、繰り返される同じ場面で何が違ったか、できるだけ記録するようにした。あるときは女主人が恨み言を呟いていたり、さめざめと泣いていたり、反対に攻撃的で暴力的なときもあった。最終的に発火して家までまるごと燃やし尽くすという結末は変わらないので、夢から覚めたときにはいつも汗だくだ。
 僕が今のところ導き出している残念な結論は「この女の人、めちゃくちゃ情緒不安定だな」
というものだ。丘の上の家も、手入れの行き届いた庭も、喉かな風景も一寸違わず再現されるのに、女主人の喜怒哀楽だけが日ごとに変わる。僕が飽きないように、悪魔としては演出に幅を持たせてくれているのかもしれないが、どの感情も特に矛盾していないように思われてしまう。ただ、このしょうもない検証結果だと、細部が変わることに重要性はなくなる。僕が夢の中から得られる情報は、早々に頭打ちになりそうだった。


Side B:Frederica

 自分の無力さにはほとほと嫌気がさしている。私は今回も、良い手立てを提案するどころかハイスに負担を強いるばかりで、何の役にも立っていない。
 そう言葉にはしないし態度に出したつもりもなかったのに、ハイスからは焦らないように釘を刺された。情けないが、それはその通りだと思う。感情に振り回されていては悪魔の思うつぼだ。私はもっと、冷静で忍耐強い魔術師でなければならない。それはハーゲンティとの対峙を経て学んだはずのことなのだから。
 この五日間は毎日夜半過ぎから約2時間、私は地下封印部屋でハイスと無言で向き合っている。ハイスの意識は眠りについているから、正しくは顕現しているはずの悪魔と睨みあっているということになる。それも正しくはないかもしれない。鋭い視線を向けているのは私ばかりで、悪魔は足を組んで頬杖をついた状態で、楽し気に歌なんか口ずさんでいるのだから。
 これは我慢大会だとハイスは言った。だから私は、初めの二日間は宥めたりすかしたりして懸命に悪魔に呼びかけたものの、そのあとはこうして話しかけもせず時を過ごしている。夢に関与できる悪魔については、昼間のうちに書庫に籠ることで随分対象を絞ることができている。そして悪魔が特定できれば、グリモアの情報量によっては送還できる可能性が飛躍的に上がる。私たちが焦る要素は、今のところ見当たらない。
「ねえ」
 鼻歌が途切れた。そうかと思うと、普段より少し高めのハイスの声が訪れた一瞬間の静寂を裂く。
 私は顔を上げた。ハイスは相変わらず椅子の上で足を組んでいる。いつもと違うのは、その膝の上で頬杖をついてこちらを見据えている点だ。今まで一度も目を合わせなかったのに。
「ねえったら。聞こえてる? あなたに話しかけてるんだけど」
 来た──先に痺れを切らしたのは、悪魔側だった。私は状況を呑み込むと、目立った反応は見せずに視線だけを返した。悪魔は半眼で、部屋中に響かせるように大げさな嘆息をしてみせる。
「毎晩毎晩あたしのこと監視してさ、飽きない? 他にやることないの、あなた」
 態度や雰囲気から何となく感じていたが、悪魔が不意に発した二言三言で私は確信を持つ。この悪魔は女性的な性質を持つのだろう。この五日の間も暇を持て余すと前髪を弄ったり、欠伸の際は指先を揃えて口を覆ってみたりと、それらしき仕草は見せていたが、今夜はもう否定のしようがない。
「……そういうあなたは、何がしたいの。毎晩それこそ飽きずに、ハイスに同じ悪夢を見せているようだけど」
「はあ? 悪夢? 何よ、そのひどい言いがかり。あたしはねぇ、死んじゃった人に夢で会わせてあげることができるの。もちろん、もう一度会いたいと願っている相手によ」
 ハーゲンティに続き、こいつも自らの職能を積極的に開示していくタイプだ。しかもどうでもいい矜持と上っ面の慈愛を添えてきた。悪魔のくせに悪意はないとでも言いたげで癪に障る。
「そうは見えない」
「結果は大事じゃないわ。あたしは宿主さまに喜んでもらおうと思ってやってるの。あたしが感謝の気持ちを込めて、宿主様にお礼をしているかってことが一番大事なことなの」
 悪魔は、さも心外だと言わんばかりにハイスの表情を作り変える。そんなふうに私も、自分本位で一方的な信条を相手に押し付けて、そのうえ何の気兼ねもなく不満を顕にできたら、さぞかし爽快だろうとは思う。
 元より対話で説得ができるなどとは微塵も思っていなかったが、ここまで価値観がずれていると早々に見切りをつけられるから有難い。やはり悪魔に話は通じない。折り合いをつけるとか、妥協点を探るとか、すべてまやかしだ。ただ出し抜くだけでいい。そのためのぼろをほんの少し出してくれればいい。
「あたしのことはいいの。じゃなくて、あなた。暇なの? ほら、人間って時間が限られてるじゃない? あなた夜の間、ここでこうしているだけで誰の役にも立ってないし、誰のことも喜ばせてあげられてないじゃない? それってなんていうの、凄く勿体ないと思うの」
「そうかもね」
「やだ、怒った? 仕方ないじゃなーい、あたしたち、人間と違って意味のない嘘なんかつかないもの。本当のことをありのまま伝えてるだけっ」
 昨日まで、この悪魔は私のことを空気のように無視していた。それが今日になって、打って変わって饒舌に話しかけてくるのは、暇を持て余しているのがこの悪魔のほうだからだ。落ち着いて事実を再確認する。私が心を乱す必要はない。
「あぁっ、そうだ! どうせここにいても人生を無駄遣いするだけなんだもの、こういうのはどう? あなたの会いたい大事な人にも、あたしが夢で会わせてあげる。素敵じゃない? そうと決まったら、ほらっ、この鬱陶しい封印術を解いてもらわなくっちゃあ」
「せっかくだけど、必要ない」
 私の反応が予想外だったのだろう、悪魔は一瞬間、凍りついたように表情を止めた。うるさいおしゃべりはすぐさま再開されたが、狼狽の色が隠せていない。
「えーどうしてぇ? 難しいことはないの、私と添い寝してくれればいいだけよ? 大事な誰かがちゃんと、死んでればいいのっ。 条件それだけ! 簡単でしょ?」
「必要ないと言ってる」
「そんなはずないじゃない。みんな見たがるわ、大事な人の夢」
 ハイスの口元はもちろん、目元だってきちんと笑っている。けれど精巧な人形に見えてしまうのは、瞳の奥が笑っていないからなのだと思う。
「家族や友達、恋人はもちろん……。あ、もしかして。『まだ生きいてると信じたい』系? ……っきゃはは! やだ、それ不毛だからぁ!」
 淀んでいた瞳の奥がきらきらと輝いて、揺らめく。たった今まで物欲しそうに媚びて笑っていただけなのに、心底面白がっているのが伝わる下卑た笑いに早変わり。
 同じ轍を踏まないように、私は繰り返し自分に言い聞かせている。悪魔と対話はする必要がない。分かり合う必要もない。出し抜くための材料を見いだせれば僥倖、そうでなければ全て受け流しておけばいい。
 彼の顔と彼の声で、悪魔はその夜私を嘲笑い続けた。




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