episode x 嘘吐き だれだ


おかげで言いかけたことも途中で忘れてしまった。視線を外す口実ができて適当に上着を物色したが、都合よく見当たらない。仕方なく着ていたジャケットを脱いで、ナギに羽織らせた。バスタオル一枚で、マネキンさながらに突っ立っていられるよりは幾分ましだろう。
「……ごめん」
「いや、俺は寒くないから別にいいけど」
「そうじゃなくて……今、無神経なこと言った」
「そうでもない。事実は事実だから」
「私は──シグに八番隊を撃って欲しくて、一緒にいるわけじゃない」
 シグは一瞬、息を呑んだ。それから意識的に視線を外して、ナギの顔を見ないように細心の注意を払う。
「……ナギはもうちょっと、言葉選んで喋ったほうがいいよ。今の、場合によっては解釈が歪む」
 例えば相手があまりにも無防備な状態で、ほんの少し腕をまわすだけで抱きしめられるような距離にいる場合。今の今まで溜め込んできた大粒の涙を次から次へとこぼしているような場合。ただでさえ華奢な身体をさらにすぼめて、小さな子どものように震えている場合。
 だから彼女を抱き寄せたことに、大それた理由はない。条件が整いすぎていて、その方が自然だと判断したからだ。
「ブリュンヒルデ、このままあいつらにくれてやるってわけにもいかないだろ」
 ナギの耳には先刻の銃声と同じ距離感で、シグの声が響く。鼓膜はまだ、正常に機能していないのだろうか。優しく穏やかにも聞こえたし、どこまでも冷たくも感じられた。シグの手が冷えきっていたせいかもしれない。
「当ては無くも無いから、ブリューの方は俺に任せてくれていい。ナギはここに居て」
シグは薄明かりの室内に視線を走らせた。彼が撃った三発は全て開け放した窓を通り抜けていったから、弾痕があるとすれば隣のアパルトマンの壁だろう。宿の主を強引に誤魔化すことはできそうだ。
「ナギ」
あまりにも反応がないから、流石に心配になった。できれば見ないままやり過ごしたかったナギの顔を、確認しようと少しだけ身体を離す。幸か不幸か、明かりの無い中で俯かれれば表情は読めない。せいぜい分かるのは、まだ髪が濡れたままであることと、身体がすっかり冷えてしまったことくらいだ。
 もう一度、名前を呼ぼうとしたちょうどそのとき、ナギがおもむろに唇を動かしたのが分かった。
「ごめん、大丈──」
ほとんど反射的に、シグは手のひらでナギの口を塞いでいた。その行動に驚いたのはお互いで、涙目を見開くナギ以上にシグの方が困惑の色を隠せずにいた。数秒石化した後、恐る恐る手を離す。
「や、こっちこそ、ごめん。……好きじゃないんだ、それ」
──ナギが口にするのは特に。だってそれはもう自己暗示を超えて、ただの呪いだろうと思っている。じわじわと精神を蝕む、持続性の高い毒のような言葉。それを口にするときのナギは、決まって、なにひとつ「大丈夫じゃない」ときだ。
「とにかく、行ってくるから服着て、俺の部屋で待ってて。すぐ戻れると思う。戻ったら少し話そう」
「……分かった。お願い」
シグは一度だけ頷いて、ナギの肩から手を離すと開け放たれたままの窓から街路へ降り立った。
 当てはある。有りすぎるほどに。自分のやり方が大層賢いとは思わないが、今回に限っては「敵」の行動が浅はかだったから、全て想定内の範囲に収まった。
 グングニル隊員は“ファフニール”の全貌を知らない。それは全ての魔ガンが“ファフニール”である可能性を示唆している。そういう結論に自分たち以外がたどり着くことは少しも不思議ではないし、だとすればナギが黒だと信じて疑わない連中がとる行動は限られてくる。


 精肉店だろうか、そういうぶらさがり看板の店にたどり着いた。周囲の店も含め営業はとっくの昔に終了している。時刻は午後10時。街が寝静まるには早いが、商店街から人気が無くなるには十分な時刻だ。
 それにしても、とシグは歩を進めながら眉根を顰めた。裏口に近づく程に生臭さが強くなる。こういう場所だからこそ「悪い奴ら」が集まるにはもってこいなのだろうが、いくらなんでも趣味が悪い。誰の案だろうかと、つまらない疑問が頭をかすめた。
 裏口に出る。ゴミや資材を溜め置くための、割に広いスペースがあった。
「昔、サブローさんがやってたのをそのまま利用しただけなんですけどね。ここまで策も無く来られると拍子抜けというか」
 サブローとリュカ、そしてマユリの姿を認めて、シグは開口一番種明かしをした。分かっていたのか三人は特に慌てた素振りも見せずに、一人現れたシグを凝視する。
 シグは、ナギには断らずブリュンヒルデに発信機をつけていた。それは当然、この手の展開が容易に予想できたからだ。予想外だったのは、網にかかったのがよりによってこの三人だったという点くらいか。
「誘い込まれた、とは思わないのか」
「全然。俺をおびき寄せて不利になるのはそっちでしょ」
シグの銃のコッキング音が、周囲を取り囲む壁に反響して、やけに仰々しく鳴った。この期に及んで誰も銃を抜かないから、シグもそのまま構えない。唯一分かりやすい反応を見せたのはリュカくらいで、シグの言動のいずれかに明らかに不快を示していた。
 不快なのはこっちだろ──リュカを意図的に視界から外す。どうせこのお粗末なチームのまとめ役はサブローだ。 
「やるならもっとうまくやってもらえませんか。せめて正体は分からないようにするとか、いくらでもやりようはあったでしょう」
「どっちがだよ……。ここまで露骨に敵意出して何になる」
「何に? なりますよ。その平和ボケした頭に、俺があんたたちを敵だと認識してることくらい理解してもらえると思って」
 話し合いをする気は毛頭なかった。だから痺れを切らしたといっていい、シグは適当な照準で銃を持つ右手を構えた。
「ほんとにお前……びっくりするくらい躊躇なく銃向けるよな」
「同じことを、ついさっきあんたはナギにやってただろ」
「撃つ意志はなかったよ。お前とは違う」
「……そっちも負けじと、都合の良い理屈だけを押し通してると思いますけどね。それで? 強奪したブリューからは何か欲しい情報が得られたわけ。例えば、それがファフニールである証拠とか?」
 ブリュンヒルデはリュカの手に握られていた。だから自然と視線が移動し、口調が変わった。壁にもたれて座り込んでいたリュカは、無言でシグを見上げていたが、やがて重い腰を上げた。
「なるほど、ね。そういう情報はしっかり持ってるわけだ。俺たちは、訳わかんねーまま気づいたらこんなことになってて、訳わかんねーまま執行猶予だとか言われて、今だって訳わかんねーから、可能性のあるものひとつひとつ潰していくしかできねーのにな」
リュカは無造作に、ブリュンヒルデを放り投げた。ナギの魔ガンは縦回転で弧を描いて、勢い良くシグの手元に転がってきた。当然のことながら、ブリュンヒルデからは何も出なかったのだろう。
「なあ、シグ。お前なんで、ナギについてんの」
「は?」
「ナギは八番隊の頃から、俺たちに何か隠してた。隊長もだ。そういうの全員、うすうす分かってたよなあ?」
「それが?」
「なんで信じられるかって訊いてんだよ。少なくとも俺たちは、隊長が何を画策してたかなんてほとんど知らないままだ。知らないまま馬鹿みたいに信じてついてきた……! 結果こうなってんじゃんか」