episode x 嘘吐き だれだ


「ああ……そういうこと。……くだらない」
「どこがだよ!」
「リュカ……っ」
 シグはずっと銃を構えたままだ。適当だった照準を、今は完全にリュカに定めてある。あと一歩、踏み込んできたら撃とうと決めていた。その一歩をぎりぎりのところで踏みとどまらせたのはサブローだった。苦虫を噛み潰したのような顔でシグを見る。
「自分以外は全員見下してるって顔だよな、それ。相変わらずといえば相変わらずだけど……気分のいいもんじゃない」
「別に誰のことも見下してるつもりはないですよ。尊敬もしませんけど」
「……サクヤ隊長のことは?」
「さあ。それを今のあんたたちに説明するほど、俺はお人好しじゃない」
 吐き捨てるように言って、今度こそ銃を下ろした。ブリュンヒルデがこの手にある今、もうここにも、彼らにも用は無い。伝えたいことも確かめたいことも、シグ個人としては生憎持ち合わせていなかった。
 ただ、孤軍奮闘するサブローにはいささか同情心を抱く。感情的になったリュカをなだめ、膝を抱えて隅でうずくまるマユリを気にしつつ、保身のために最善を尽くす様は、元八番隊という肩書きを持つ者の模範解答のようだった。それが哀れで滑稽に思えてならない。
「リュカの質問、俺も気になる。せめてそれくらい答えて行けよ」
 哀れで、滑稽な、難破船。その船には舵が無かった。その場に留まるための碇も無く、激しい波に翻弄され続けている。やがては、シグとは真逆の遠い岸に座礁するのだろう。興味は無いが、幾分羨ましくはあった。
「誰を信じるかとか何で信じるかとか、そんなの人それぞれだ。俺がナギを信じる理由を他人と確認し合ったって意味が無い。説明もできないし」
本当は「信じる」という言葉は適当ではない気がしている。しかし、それに代わる適切な言葉を模索するのは面倒だし、仮にあったとしても訂正する必要性を感じない。
「いや……うん。そうかもな。そういうものなのかもしれない」
「もう行っても?」
「立場をはっきりさせとこう。……俺たちは“サギ”と遭遇したら迷わず討つ。討って俺たち自身にかかった嫌疑を晴らす。お前たちは、お前とナギはどう動く」
「別に同じだと思いますよ。サギを追ってファフニールを回収する。サクヤ隊長がそれを持っていたとして、討つ必要性を感じれば討つ」
「そうか。それが分かればいい。行けよ、ナギも待ってるんだろうから」
 サブローの声には諦めに似た潔さがあった。こういう類の察しの良さは、今も昔も彼が随一だ。シグはここへやってきた時点で、和解も協定の意志も持ち合わせていなかった。そしてそれはどんな条件が付加されようが動かない。この三人が、査問でナギの名を挙げたという事実が、もう動かしようがないように。


 出てきたときと同じように、二階のナギの部屋の窓から帰還した。人の気配はない。ナギには、隣のシグの部屋で待つように告げてきたのだから当然といえば当然なのだが、妙なことにその隣からも気配が感じられない。訝りながらも念のため隣室のドアを開けたが、やはりナギの姿は無かった。
「シグっ。ごめん、下」
 ラウンジのソファーからナギの声。二階の渡り廊下の柵から身を乗り出すと、彼女の姿を確認することができた。
「なんでよりによって下……」
脳裏をよぎった愚痴がそのまま口から漏れた。
 戻ったら話をしよう、と言って出てきた。それはパブリックスペースでハーブティーを嗜みながらする類の話ではない。いや、ナギが構わないのなら別にどっちでもいいのだが。
「銃声の件で適当に話をでっちあげてたら、シグが戻るまではラウンジに居るように言われちゃって」
ナギが声を潜めるのに合わせて、シグもそれとなく店主に視線を移す。我関せずと帳簿に目を通しているが、彼は彼なりに客に対する的外れな気をまわしてくれたようだ。
 すぐにそそくさと二階に上がるのも憚られたので、シグも一旦ソファーに腰を落ち着けた。
「ブリューは……ひとまず後でいい? ここで出すのもなんだし」
「うん。ありがとう。嫌な役、させたね」
「ナギが気にすることじゃない」
 ローテーブルに鎮座している、ティーカップのひとつを摘みあげた。何かの花の香りだろうか、甘ったるいそれが鼻腔をつく。
「この際だから、ちゃんと確認しておきたいことがあるんだけど」
シグは結局、カップには口をつけずにソーサーに戻した。その茶器の擦れる音と、店主が帳簿をめくる音、そして壁掛け時計の針の音──静寂を強調する材料がここには多すぎる。一度黙ると、二の句を告ぐのが難しい。
「ナギは、“サギ”をどうしようと思ってんの」
脳内をがさごそと漁ってはみるが、これだと思える言葉が選べない。もともと持っていないのかもしれない、だとすれば考え考え話すのは時間の無駄だ。
「零番隊の任務は、サギを討って、ファフニールを回収することだ」
「分かってる」
「分かってる? じゃあ今ここに“サギ”が現れたら、どうする? 討つのか? そんなわけないよな」
 シグの語気はナギに反論を許さない。
 彼女の魔ガンを以てすれば、否、そうでなくとも彼女のグングニル隊員としての能力を以てすれば、サギの討伐は不可能なことではない。そうできずに半年が過ぎた。そこには少なからず彼女の意志が働いている。意識的にか無意識にかは、もう関係がない。問題は、もはやその意志とやらに悠長に付き合ってやれるほど、時間が残されていないということだ。
「そういうスタンスが見えるから、一部の連中はナギと隊長の関係をずっと勘ぐってる。マークされ続けてるんだよ、ナギは」
「だから、分かってる……! 何を言わせたいの? サギを討つって……そういうこと?」
「それ以外の選択肢があるなら、どうするつもりなのかを知りたいだけ」
「そんなの……決まってる。私はただ、話を──」
「それはもう試したろ。あのニーベルングが、俺たちの考えてるレベルでの話ができるのかそうでないのか、ナギだってもう分かってるはずだ」
 ──分かってる。
「それ踏まえて、どうするのかっていう……そういう話」
 ──分かってる。分かっている、痛いほどに。分からないふり精一杯してきただけだ。
 時間稼ぎをしてきたつもりはない。考えることを放棄したわけでもない。ただ、たった一度きりのサギとの対峙、そのとき起こった全てのことを、一旦脇に置いていなければ進めなかった。選択肢など始めから存在しない。
「私はただ、サクヤがあの日何を話すつもりだったのか……それを知りたい。知らないと、いけないと思ってる。そうじゃないと身動きがとれない」
「あの日って……最後の、通信?」
 ナギは黙って頷いた。正確には通信の後、ナギが間に合っていたなら明かされただろう黒い真実。
「そういうことなら、俺たち独自のやり方でファフニールやサギを追っても無意味じゃない? 要するに、あの人の見たもの聞いたもの、それで考えたことを辿っていかないと」
「サクヤの軌跡を辿る……」
「……同じものを見て俺たちが同じように感じるかは、ちょっと際どいけど。ナギは? そういう観点でなんか心当たりはないの」
 口元に自然に右手をあてがってしまう。長年近くで見てきた、考えるときの癖。因果関係は一切ないと分かっていても、これをやると頭の片隅で眠っている名案を引きずり出せる気がするのだ。