episode i 黒い羽のラプンツェル


「ない、ないわ。ただただ黒い。頭から尻尾までひたすら真っ黒」
「っていうか、この距離から瞳がどうとか分かりませんし。リュカさんテキトーすぎ」
 口元を引きつらせるリュカを尻目に、サクヤは別のことを考えているのか黙って漆黒の翼を見つめる。そこへヴォルフ司祭がおずおずと進み出た。
「あの、それで。この後の対応はどうなるのでしょうか。我々はどこかに退避した方が宜しいのでしょうか」
隊長、と呼ばれていたから彼に問いかけたがどうにも不安だ。この隊に限ったことではないのかもしれないが、誰も彼もが年若い。平均年齢は二十台半ばといったところか。
「いえ、それはもう少し情報を揃えてから判断させてください。あそこでああしてるっていうことには、何かしら意味があるでしょうから」
サクヤは一度視線を司祭に戻して、穏やかに微笑んだ。そしてすぐに視線を空へ、黒い塊へ戻す。それは置物のように、初めからそこにあった装飾のように、時計塔と一体となっていた。生きているのかどうかも疑わしい。ここまで微動だにされないと無害のようにも思える。
「ひとつ提案なんですが」
「はい。はい、なんでしょう」
「……もしあれが何もしてこないということが明らかになった場合、このまま新しい街のシンボルとして迎えてみるってのはどうですか」
「……はい?」
 サクヤは至って真面目に、思ったことを口にした。時が止まったかのように司祭の表情が固まる。その二人の後ろで塔を見上げてなにやら熱心に拝んでいる老人がいる。指を差して生き生きと笑う子どもがいる。手を振る幼児もいる。このニーベルングは意外に人気者なのではないだろうか。
「と、とんでもない! ニーベルングを崇めるような真似、できるはずもない!」
サクヤの斬新過ぎる意見は司祭にとっては寝耳に水だったようで、残念ながら検討の余地もないようだった。心底残念そうに肩を落とすサクヤ。瞼を伏せて「そうですか」と悲しそうに呟いた。
「被害らしき被害は確かに、今のところありません。ただ、この場所は困るのです。大時計塔は、このリベンティーナの象徴であり守り神でもあります」
「なるほど。大時計塔に危害を加えてはならない、と」
「そうです。それに毎日真夜中になると咆哮をあげるのが恐ろしくて……。今にも襲ってくるんじゃないかと気が気じゃありません」
「咆哮? 真夜中に?」
「ええ、そうです。遠吠えといいますか」
「それ、正確な時間は分かりますか」
「え。あ、そうですね、他の司祭に確認すれば記録をしている者がいるかと」
ヴォルフ司祭は戸惑った。それと同時に今の今まで一切抱かなかった安堵というやつを多少覚える。目の前にいる男は、つい数秒前まで「ニーベルングニューシンボル」案を頭から拒否されて思いきりしょげていた男と同一人物とは思えない。この隊は若い、しかしそれによる不安を感じさせない異様な余裕がある。それは全てこの隊長に由来するものではないのか。
「毎日決まった時間の咆哮となれば、調べる価値はある。何か重要なメッセージかもしれないし、そうじゃなかったとしても決まった時間に吼えるなら……鳩時計みたいで便利だ」
「サクヤ。冗談はそれくらいに」
ナギが嗜めた。しかしもう司祭には分かる。これは冗談ではない。彼の発言はどれもこれも本気なのだ。咆哮に意味がなければ彼はもう一度「ニーベルング時計として街のシンボルに」などと進言してくるだろう。しかもその際は自信満々にだ。
 司祭は神に祈った。この漆黒のニーベルングが、特別な理由で時計塔の頂上に座し、特別な理由で咆哮をあげていますようにと。
「みんな、概要は聞いての通りだ。と言っても情報は僅少、街の構造も把握しておく必要がある。そこで僕らがまずやるべきことは──」
 部隊長の指示に皆が黙って耳を傾けた。
「観光……!」
 そして皆がおもむろに頷く。今度は機敏に“リベンティーナてくてく散策マップ”なるものを懐から取り出す。事前に手配しておいたものだ。国教の総本山があるこの街は広大な上、路地が複雑に入り組んでいる。歴史ある建造物、伝統ある鑑賞物も多い。巡礼以外でも物見遊山や買い物で賑わう格式ある街である。把握するには絶対に必要なアイテムだった。
「バルトとアンジェリカは二人で東側をまわってくれ。シグ、サブロー、リュカ、マユリはヴォルフ司祭をお連れして教会に立ち寄った後、西側を。日没前、そうだな午後六時にはこの時計塔に戻ってくるように。はい、じゃ各自解散っ」
「了解!」
無駄に歯切れの良い返事が響く。皆が皆、生真面目に迅速に行動に移った。その手にはしっかりと「リベンティーナてくてく散策マップ」が握られている。ヴォルフ司祭もなんだかんだ言って観光案内にノリノリではないか。
 ナギの口からひとりでに嘆息が漏れた。てくてくマップを穴があくほど見つめているサクヤの顔を横から覗きこんだ。
「で、私はどうしようか?」
「ああ、ナギは僕と。ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ」
まるでそれだけは予め決まっていたような口ぶりだ。決まっていたのかもしれない、彼女は八番隊隊員であると同時にサクヤの補佐官という立場でもあるから必然的に二人きりでの行動も多くなる。という解釈をずっとしてきたが、ここ最近、実はよく分からなくなっていた。
 真意を確かめようと思ったわけではないが、気が付いたらサクヤの顔を凝視していた。気付いてサクヤが笑顔をつくる。一応作戦中のはずだが、この男はどうしてこうもにこにこと笑うのか。今回も謎のまま終わりそうだ。今度は気付かれないように小さく嘆息して、ナギは黙ってサクヤの後ろを歩いた。


 対ニーベルング機関“グングニル”──それが、彼らの所属する組織の名称だ。今から二十七年前、空の亀裂という常識では考えられない場所から出てきた翼竜“ニーベルング”の討伐を専門とする機関である。ニーベルングは固い表面皮膚に覆われ、通常の火器ではその皮膚を貫くことができない。そこで開発されたのが爆発性物質を多分に含む鉱石「ラインタイト」を主原料とした兵器“魔ガン”だった。“グングニル”は、この魔ガンを使いこなすための特殊な訓練を受けた者の集まりである。
 サクヤ率いるグングニル小隊第八番隊は、一言で言うなら色モノだ。サクヤ自らが選出、交渉した隊員たちは皆、機関の中でもひと癖も二癖もある連中ばかり。ただし実力に関しては皆が皆、機関トップクラス。上層部から見ればただただ扱いづらい連中であることは言うまでもないだろう。そんな八番隊にお鉢が廻ってくるのが、今回のような想定枠から見事にはみ出した案件だ。
 中央に大型ニーベルングが現れたというだけでも充分に特殊なケースである。それに加えて大時計塔の先端にオブジェさながらに居座って三日間。普通に考えれば不気味だ。更に更に討伐に当たっては、大時計塔に危害を加えないという条件まで付されている。


「完全に八番隊の案件ってかんじ……」
「何ー? なんか言ったー?」
「なんでもなーい」
独りごちたつもりがしっかり聴こえていたらしい、振りかえってわざわざ立ち止まるサクヤにナギは気だるく切り返した。実際気だるい。二人は今、リベンティーナで一番、いやこの地区で一番高い建物の頂上を目指している。大時計塔だ。延々と続く螺旋の石階段、等間隔に設置された明かりとり用の窓から指す斜光、やはり一定のリズムを刻む足音、それらを繰り返しているだけで充分気が滅入る。作戦前にこんなに体力を消耗して良いのだろうか。今どのくらいの高さで、後どれくらい上らなければならないのか、それが分からないから余計に疲労を感じる。