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episode i 黒い羽のラプンツェル


(みんなは好き勝手に観光に行って美味しいもの食べたりしてるのに、なんで私だけこの苦行につきあわなきゃいけないの……)
数段先を鼻唄混じりに上るサクヤの背中を恨めしげに見やる。鼻唄はこの際放っておくとしても、どれだけ上ってもサクヤの足取りが軽快な点は不愉快だ。現グングニル最強の異名は伊達じゃないらしい。張り合うのもなんだか馬鹿馬鹿しくなって、ナギは立ち止った。
「ねえ、なんでよりによってここなの……」
一定だった足音のひとつが途切れたことで、サクヤも立ち止まった。
「それを僕も考えてた」
「……はい?」
「昼間はどうしたって極端に目立つ。……目立つ必要性があるってことなのかな。どう考えても討伐されるリスクの方が高いのに」
 ナギは一瞬浮かべた青筋を瞬時に引っ込めた。サクヤはどうやらニーベルングの不可解な行動について考察するためにここへ来たようだ。なるほど。いや、待て。納得しかけたが別に自らが上る必要性は全くないのではないだろうか。そもそもそれに付き合う必要はもっとないのではないだろうか。
「ナギなら、どういうときにこれに上ろうと考える?」
そしてニーベルングとナギの思考を照合しようとしてくる時点で、とんでもなく腹が立つ。腹が立つがサクヤは至って真剣だ。ここはもう付き合うしかない。
「いや、私はできればこれには上りたくないけど。高い所に上って、目立たなきゃいけない理由を考えればいいんでしょ? なんだろう……監視、探し物、するには高すぎるか。あとは待ち合わせとか……って誰とって話だね」
あの黒いニーベルングが、デートに遅れた彼女でも待っているのであれば話は別だ。それは危険を冒してでも待ち続ける必要があるだろう。
 ナギはそこまで考えて、自分の空想に自嘲した。ニーベルングがそんなメルヘンな思想の持ち主なら苦労しない。そもそもニーベルングに思想なんてものがあるのだろうか。サクヤの口ぶりからはそれは当然存在するもののように聴こえた。
「待ち合わせ、なら確かに動けないな……」
「ごめん、忘れてそれ。さすがに考えなしだった」
「そうかな。概念はそう外れてないと思うけど……。お」
数段上った先で、サクヤがまた立ち止まった。今までの構造から雰囲気ががらりと変わり、広大な屋根裏部屋のようなスペースに出た。どうやら時計盤の真裏のようだ。今までは単なる通気口でしかなかった明かりとりの穴も格段に大きい。サクヤはそこから身を乗り出して、リベンティーナの街並みを見下ろした。
「いい眺めだ」
「真上にニーベルングが座ってると思うと落ち着かない……」
ナギは本音を漏らしただけなのだが、サクヤは何がおかしいのか軽快に笑った。上空に吹く強い風がほぼそのまま流れ込んでくる。風はサクヤの銀の髪を揺らし、ナギの長い金の髪を真横に流した。
 ここからはリベンティーナの街が一望できる。夕焼けに染まる宗教都市は、荘厳で美しい。真上にいるニーベルングも同じ景色を見ているのだろうか。
「サクヤ。ちょっと、訊いてもいい」
「なに?」
「さっきの。もし、ニーベルングがこのまま居座ってるだけで何もしないって分かったらどうするつもりなのかなって。まさか本気で観光名所化しようなんて思ってないよね」
「うーん……今回は居座ってる場所が場所だけに、放っておくってわけにはいかないだろうね。ただ必ずしも討つ必要はないのかもしれない」
思いのほか真面目に解答が返って来た。しかしそれもサクヤの価値観の中での話だ。グングニル機関は対ニーベルング、すなわちニーベルング殲滅を目的として存在する組織だ。その主義から、サクヤは時折外れた言動をする。無論、時と場合は彼の中で慎重に選別されているようだったが。
「グングニル機関として魔ガンを手にし、ニーベルングを撃つのはあくまで『手段』だ。手段は変えることができる。……と僕は思っている。そこに囚われると大事なことを見落とす気がしない?」
「大事なこと、か」
「これは僕の勘だけど、彼らにとっても街や人を襲うのは『手段』にすぎないような気がする。ニーベルングにも目的があるはずなんだけどなぁ。……とは言え、今は全体の目的よりもこのニーベルングがここに座りこんでる目的を知ることが先決かな」
天井を見上げるサクヤの影が、気付けば随分長く伸びている。沈み始めた夕陽は眼下の街並みだけでなく、時計塔内部も同じように濃いオレンジ色に染めた。
「サクヤ、そろそろ戻らないと。情報があってもなくても、作戦方針を決めないとまずいでしょ」
生返事が漏れる。サクヤは下顎を右手で支えて何やら思案顔である。まずい、スイッチが入ったか。面倒なことを閃く前にさっさと強制連行するに限る。
「下りるよー、置いてくよー」
「……ナギ。ちょっと頼まれてくれないかな」
 遅かったか──ナギの足と笑顔が静止する。ナギにとっては苦行と世間話と絶景スポットの組み合わせでしかなかったこの僅かな時間で、サクヤは何か確信に近い仮説をたてたらしい。
 形だけ確認をとっているものの、ナギがイエスともノーとも言う前にサクヤは依頼内容(無茶ぶり)をさくさくと説明した。嬉しそうだ。対してナギは、堪え切れず口の端を引きつらせる。
「ねえサクヤさん? 今からこの階段を全速力で下りて、本部に連絡をとって、資料室をこじ開けてもらって、結構優秀な隊員に超高速で調べてもらって報告をもらったとして一時間くだらないよ?」
「そうか、そういう流れになるね。じゃあとりあえず今すぐ全速力でここを下りよう!」
言うが早いかサクヤは既に階段を下りはじめている。軽快を通り越えて神速でタップを踏んでいるかのようだ。
「じゃなくて! 作戦開始時刻は20:00でしょ!? それじゃ間に合わないよねって言ってるの!」
出遅れたナギも神速タップを余儀なくされる。一体これは何の修行なのだろう。そもそもここはそういう塔だったっけ。混乱する脳内に二人分の足音が太鼓のように鳴り響く。
「間に合わないね! 遅らせよう! 言い訳は僕が精巧にでっちあげるから」
悪びれもせず小悪党の台詞を吐くサクヤ。これでも若き八番隊隊長、グングニル最強だとかなんとかよいしょされまくる実力者、ただし見ての通り上層部からはゴキブリのように嫌われる男である。
 ナギはスイッチをオフにした。常識という名のスイッチである。そして今日も自分は精神的にも体力的にも確実にレベルアップしていると無理やり暗示をかけた。


 20:00。サクヤをはじめとする八番隊の面々は宿の談話室に集まっていた。本来であれば既に作戦を開始している時刻だ。
「それではミーティングを始めます。……サクヤ隊長、どうぞ」
 ナギは見るからに疲れ切っていた。ふくらはぎが異常に痛い。サクヤは至って平気そうだから、それがまたどことなく腹立たしくもある。
 サクヤは“リベンティーナてくてく散策マップ”の拡大図とこの地区一帯の地図を長テーブルに広げた。
「作戦開始時刻を遅らせてしまってすまない。司祭の意見を踏まえた上でリベンティーナにとって最善の策を練るには、ちょっと時間が必要でね。おかげで“カラス”が大時計塔の上に居座ってる理由については見当を付けることができた」
「うぉ、マジか。流石というかやっぱりというか」
バルトが広域地図の方へ身を乗り出した。リベンティーナのニーベルング一体を討伐するに当たっては本来不要な代物だ。ところどころに赤インクで印と書きこみがほどこされている。それこそがナギの血──いや、血のにじむような努力の結晶である。