「ごめん、撃った。マリナの──ナギの父さんだって、知ってて撃った。……先生は俺が、殺したんだ」
罪悪感は要らない。それでもひとりでに、そして無限に湧いてくる。
──先生が憎くて撃ったんじゃない。ただ、このままだと自分も殺されると思って、それが恐くて気づいたら撃っていた。大好きな母さんは調理中の魚みたいにいろんなところがぐちゃぐちゃになっていて、先生だったもの? は、悪魔に姿を変えてごうごうと燃えていた。
撃ったときは、憎くなんてなかった。でも、俺に撃たせた先生がだんだん憎くなってきた。こんなことになるって、ちょっとでも予測がついてたなら、先生をお父さんみたいだななんて絶対に思わなかったのに。大好きになったりしなかったのに。全部先生のせいじゃないか。
あ、で、ちょっと待って。結局僕は、ここで死ぬべきなのかな。だって僕は、人を殺してしまった。先生はもう人間じゃない。だから母さんを殺してしまってもきっと仕方が無かった。でも僕は人間のままなのに。
──違うのかな。うん、そうかもしれない。ここにはもう、人間なんか一人もいないんだ。
僕は何かの手違いで、人間の姿をしてしまっているだけで、みんなと同じように人間ではなくなってしまったんだろう。
今ならそんなに恐くない。だって全部の現実味がなくて、からだも気持ちもふわふわしてる。母さんも、先生もそっちに行ってしまったなら、そっちの方が楽しいに決まってる。幸せに決まってる──
「──ってなふうにライト少年は考えた。そこで思い切りよく自分の頭に魔ガンぶっぱなしてれば全部終わってた……んだけど、そのときちらっと、思い出しちゃったんだよね。『マリナはどうなったんだろう』って。どうもこうもないんだけど。結果は、そのとき俺の目の前にあったどっちかなわけでしょ? 化け物になってるか、化け物に殺されてるか」
シグ自身が何事も無かったかのように無傷で生きていたから、もしかしたらという希望を持たなかったわけじゃない。すがるような思いで外へ出た。そして、シグは──ライトという名の少年は、そのとき初めて何もかもがなくなってしまったことを知った。
家から一歩出たその先に、街はもうなかった。人はひとりもいなかった。鳴き叫びながら闊歩していたのは暗灰色の巨大な化け物で、その足元にゴミのように死体が転がっていた。
「死んでればいいと思った」
脳が溶けていく。ヨーグルトをかき混ぜるみたいに、どろどろとくちゃくちゃと頭の中で音がする。分からない。考えられない。記憶できない。それでも血走った目でその光景を見続けた。
「死んでくれてれば、マリナは天国に行っただろうから。でも、もし、先生みたいになってたんだったら、その可能性が目の前の光景みたいに二分の一なら、マリナだけこんなところに残していくわけにはいかないと思った。……俺が生きてる理由なんてそんなもんだよ。ヘラで飛び回ってるニーベルングを一体残らず始末する。そうするためにはグングニル機関に入る必要があって、後ろ盾が必要で、全部の理由を説明する必要があった」
何か大いなる力に生かされたとは思えなかった。そこに希望や光が一片もなかったから。奇跡も夢も見なかった。ヘラから生まれたニーベルングを全て始末する、生きる目的はそれだけだ。誰も彼もを救うヒーローになろうなどと酔ったつもりはない。マリナを見つけられないから、全て殺すしかないと思っただけだ。至極単純な思考回路。そのためだけにグングニル機関の門をたたいた。西部戦線に近い中部支部を希望した。
“ヘラの生き残り”という言葉にほとんど自分を重ねることがなかったのは、救出劇の顛末が随分歪曲されているように感じたのと、気色の悪い奇跡や希望がトッピングされていたから。そして自分は“生き残り”というより、目的のために身体にしがみついている亡霊のようだと思っていたから。生きているという感覚はない。それはあの日に、消えてなくなったままだ。
「──わからない」
「何が?」
「ヘラのニーベルングを全て討つために、あなたはグングニル機関に入った」
「そう」
「だったら、なんで……そのあなたがどうして……ファフニールを撃つの? よりによってなんであなたが!」
「俺しか撃てないから」
「意味わかんないよ! なんで!? 人をニーベルングに変えて、それを知らずにグングニルが殺して、何の意味があるの!」
「さあ……。俺にとってはそれは結果論だから」
「は……? 何言ってんの、結果……論?」
「だから。溜まってくんだよ、ニブル。放っておけばエッグの中で濃縮されていくだけ。十年単位でヘラ・インシデントが起こる。それを防ぐためには、エッグの中のニブルをどっかで小出しにする必要があるでしょ。できるだけ被害がないように、どうでもいい場所で」
それが、魔ガン【ファフニール】の正体だ。アルバート・フェンが開発したエッグ制御のための二つ目のシステム。
「俺はそれを撃つ役目を買ってでただけ。グンターは俺がファフニールを撃つその場所に“粛清”したい相手を混ぜてきた。フェンもそれに乗った。完璧なニブル抗体の謎を解き明かしたかったからだ」
「ファフニール実験……って、そういうこと」
「鶏のことも、エッグのことも、それからファフニールのことも全部フェンから聞かされた。偏った情報だろうけどね。“ヘラの生き残り”の生体サンプルと、ファフニールを撃てる存在っていうフェンにとっての絶対的価値が俺にはあったから、まぁ割と何でもしてくれた。エヴァンス家を後見人に仕立ててくれたのも、グングニル機関やグンターに口利きしてくれたのもそう。それ以上の奉仕はしてんだから当然だけど」
フェンの研究結果とそれがもたらした功績の多くは、シグが実行してきたファフニールの臨床実験とシグ自身によるものだった。
「イーヴェル区も……シグが撃ったの」
「あそこはフェンに実験場として買われてた。俺は知らずに撃った。イーヴェルは本当に……知らなかった」
「イーヴェルは、って何」
「……言ったろ。グンターは粛清者を、フェンは被験者を、その都度見繕ってた。そんなところまで気、まわさないよ。どうでもいい奴が死んだり、ニーベルングになったとしてそれが何?」
そんなものを死体だと、ましてや遺体だと認識したことはない。シグにとってそれは単に死骸であり、結果だった。
「本気で言ってるの、それ」
「俺は救世主になろうと思ったわけじゃない。それがそんなに悪いこと?」
目的は二つしかなかった。初恋の女の子を助けてあげたかった。狂った世界のはじまりを作った連中を、一人残らず消し去りたかった。そのうちひとつは、ナギの存在で消化不良のまま立ち消えた。だから、もう一つだけは完璧にこなしたかった。
「娘よ。それは、私と同じただの復讐者だ」
「は? お前と同じ? 反吐が出るようなことあっさり言うなよ」
背景の一部のように壁に溶け込んでただの一言も発さなかった鶏が、ニブルと共に吐き出したのは、シグのたったひとつの存在理由だった。
「同じだろう。私もお前もエッグを制御する装置にすぎない。制御しながら、それが解放されるときを心待ちにしているのだ。私はここで待ってさえいればそれが果たされる。お前は策を凝らし己を殺し、心を捨ててまでそのためだけに生きている。鉄鎖に絡めとられた哀れな復讐者」
「ほんと……口を開けばふざけたことしか言えないんだな、お前」
シグはグングニルに入隊した直後に、フェンに頼んでこの地下を訪れた。「私を殺しに来たのか」という鶏のお決まりの台詞を一笑に付して、定められた量のニブルを供給してやった。