「それについては私から少し。赤丸はここ二週間のニーベルングの目撃情報、日付があるものはグングニルが既に討伐したものです。三日前から明らかにニーベルング全体の進路が統一されているように見えるの、分かる?」
ナギの一言で全員が地図を覗き込む。二週間前の日付は各地、それも中央からは極力離れた山間部などで目撃情報が多いのに対し、三日前の日付からほとんどのものが中央に集中している。更に言えば、このリベンティーナを目指して進路を変更したような軌跡を描いているものもあった、
「偶然じゃ、ないわね」
アンジェリカが口元を覆う。全員が意識した。おそらくこの後、サクヤはあっさりとんでもないことを口にする。皆その瞬間を固唾をのんで見守った。
「おそらくあのニーベルングは、次の拠点づくりのためのフラッグシップなんだろうね。防衛ラインをうまく迂回して、中央に近い割に一番監視が手薄なリベンティーナを選んでる。見事な手腕だよ」
ナギが咳払い、どうせそれだけでは伝わらないからついでに軽く肘鉄。標的を褒め讃えてどうする、隊長。
「まぁ要するに、このまま放っておくと“彼”を目印にぞくぞくとニーベルングの団体さんがここへ押し寄せてくることが予想される。よって僕ら八番隊は、それを阻止すべく動くことになる」
「拠点って、つまりここが次のヘラになる惧れがあるってことですよね」
「可能性の話だけどね」
シグが口にした「ヘラ」という単語に皆表情が凍った。シグも、サクヤとは別の意味で爆弾をあっさり投げるタイプだ。ひとまずこの単語に対しては他の連中の反応の方が正しいといえよう。
ヘラは今や地図上にだけ存在する地区の名だ。11年前ニーベルングの大襲撃にあって壊滅し、今は大量のニブルに覆われたニーベルングの別荘地となり果てている。人類に限らずこの世界の生命体はヘラにはもう住めないとも言われている。
「それはちょっときっついだろ。第二防衛ラインだってまだねばってんのに、まるごとショートカットして一気に首都に進出するつもりかよ。礼儀がねー、順序がなってねー、ぶっちゃけ気にくわねー」
湿った空気を一瞬で一掃してくれるのがリュカだ。自分本位な考え方だが思わず口元が緩む。
「で、隊長。具体的にどうすんの。的がでかいとは言え、アレだけを攻撃して時計塔を無傷で残すってのはコトよ」
「うん。まずは“カラス”に時計塔から下りてもらう必要がある。それまではとにかく牽制と誘導に徹するしかない。狙撃ポイントを決めて、序盤はシグに任せることになる」
得心顔で皆がうなずく。指名されたシグも至って平常運転である。八番隊内で狙撃となればシグの名を挙げるのが定石だ。彼の魔ガンの命中率は記録上99%、狙撃だけでいえばもはや神のレベルである。
「そういうわけで良い場所の提案がある人はどんどんよろしく。みんなしっかり“観光”はしてきたよね?」
一同顔を見合わせる。苦笑して肩を竦める者はいるが、冷や汗を流す者はいない。サクヤの意図を皆が汲んでいたということだ。ナギだけでなく、八番隊隊員は皆サクヤのやり方に良くも悪くも染まっている連中ばかりだ。アンジェリカがいち早く挙手して勝手に口を切る。
「消去法で申し訳ないんですが、市庁舎屋上からの狙撃はまず無理です。障害物多すぎ、高さもたりません」
「時計塔の真正面にあるアパルトマンも、まあ同じ理由でアウトだな。位置的には申し分ないんだが」
アンジェリカと行動を共にしていたバルトもすぐさま補足する。
「それと……」
バルトはテーブル端に追いやられていたペン立てに手を伸ばし、地図上の市庁舎横に丸印を描きこんだ。
「ここの出店で売ってるヴァーナムミルクのソフトクリームは尋常じゃなく美味い。司祭が一押ししてくるだけはあった」
「そうそう、私ブルーベリーおまけしてもらっちゃった~っ」
「やっぱりそうか……上から見たとき凄い行列ができてたもんな……」
サクヤは今日一番の沈痛そうな面持ちで目を伏せた。できればリベンティーナ拠点説を披露する際にその表情をしてほしかったものである。ともかく今はアイス情報にこれ以上花が咲かないよう軌道修正をせなばならない。補佐官の役目である。
「小時計塔は? 確か大時計塔の次に高いんじゃなかった?」
リベンティーナにはナギたちが上った大時計塔を中心として3時、6時、9時、12時の方向に四つの塔がある。大時計塔からちょうど全ての文字盤が見えるように向かい合わせに配置されている芸術性も高い塔だ。これにはシグがかぶりを振る。
「あの距離は流石に無理。風に流されて肝心の大時計塔周辺に被害が出る。……って、あ。ちょっと待って。この小時計塔の……」
シグが慌ててペンを執った。珍しい。ナギも思わず息を呑む。
「──下にある花屋。店員がかわいい、タイプ。……ってサブローさんが」
ぶふっ! ──冷えた紅茶に口をつけた瞬間を狙われた。狙撃手はこの類のトリガープルも抜群のタイミングでこなす。
「シグ! なんだよその情報、要らないだろ! 俺になんか恨みでもあんのかっ」
「えー、俺見逃したなぁそれ。確かになー。サブさんの女の好みはちょっと、なあ? あれだもんな」
「私も見てないですー」
「何よそれ。一周回って逆に興味ある」
パァンッ! ──発砲音ではない。単に隊長補佐官殿が、意図的に全力で合掌しただけのことだ。脱線、脱線、また脱線。どれだけ切羽詰まった作戦会議でもいつもこうなる。わき道だの獣道だの道なき道だのに喜び勇んで四散する隊員たちを一人一人つまんで、正道に戻す。これも補佐官の仕事、らしい。八番隊に限っての話だが。
「えーっと……サブローのタイプの女性については後日確認するってことで、本題に戻ろうか」
(確認するんかい)
珍しくシグが脱線委員会に加担、むしろ率先したものだから収束もめずらしくサクヤが引き受けた。
「距離で言うとこれじゃないのか。管制塔」
今度はサブローが無造作にペンをとる。そして無造作に大時計塔広場の端に丸印。ようやくペンがまともな理由で活躍した。
「下は市民のちょっとした集会とか勉強会とかに使われてる。住居ではないし、下は開けた広場。狙撃にせよ誘き出すにせよここが妥当じゃないかと思うけど」
「シグはどうだい?」
「任せてくださいって言いたいところですけど、ちょっと遠い、ですね。ヴォータンの威力じゃ不安が残ります」
「ヴォータンじゃなく、遠距離用魔ガンなら?」
「……であればもちろん射程内ですよ。え、まさか」
「決まりだ」
サクヤは満足そうに笑みを浮かべて、早々に席を立った。
「三番隊に応援を頼もう。ユリィならうまくやってくれるはずだ」
作戦会議は鶴の一声であっけなく終了した。応援要請はサクヤ自らが行うらしい、諸事情によりその方が話が早いからだ。三番隊到着までは再び待機、調整時間と相成ったわけだが各々気だるそうに散開していく中で、シグだけは露骨に嘆息していた。
「出たー。シグ・エヴァンス曹長の必殺技、ヒトミシリっ」
ナギが棒読みで茶化す。振り向いたシグの眉間には、全てのストレス疲れを結集させたかのようにしわが寄っている。