episode xiii 裁かれる衛兵,欺かれる奇術師




「以上が俺の知ってる、俺が見た一部始終。その後、サギにブリュンヒルデを構えてるナギに会った。更にその後は、ナギも知ってるはず」
 あの時、ナギに“サギ”を撃たせるわけにはいかなかった。純粋にその業を彼女に背負わせるわけにはいかないと思った。そこに嘘はない。ただ今更口に出してそんなことを説明しても、ただ虚しいだけだ。
「俺には、ニーベルングが何なのかなんてどうでもいい。神格だとか、高尚だとかいうやつは頭がぶっとんでる。ニブルがなきゃ理性も持てない、頭の悪い獣だろ。そうじゃないのもいる? だからどうでもいいんだって。人間だって同じだろ。頭のいいやつ、悪いやつ。生きてて価値のあるやつ、価値のないやつ」
「よく……わかった」
ナギは絞り出すように呟いた。
 シグはエッグの中のニブルが暴発しないように、ひたすらファフニールを撃ち続けた。そうやって体の良い手駒のように振舞うことで、ファフニールを自分の手元に常に置いた。それを名実ともにシグの所有物にするのに、サクヤの介入はうってつけだったのだ。「ファフニールは奪われました」と報告すればいい。事実、そうやってシグはファフニールを完全に手中に収めた。理由と目的は常に同じ。彼には“ファフニール”でロイ・グンターとアルバート・フェンを撃つこと以外に、もう生きる意味が残されていなかった。
「あなたの生きる目的は、もう人のそれじゃない」
「……かもね。俺もそもそも、生きてるとは思ってない」
「シグ……!」
ナギは意志を持って懐からハンドガンを抜き、シグに銃口を向けた。
 涙が溢れる。この期に及んで、陳腐な生ぬるい水が後から後からこみあげてきて、雫になってぱらぱらと落ちた。
「撃ってもいいから、泣くのやめてよ」
「シグ……っ!」
「だって俺は、ナギの大事な人を撃った。だから撃っていい。理にかなってるよ」
 そうやって言葉にすると抱き続けてきた違和感が消え、ようやく合点がいった。零番隊発足時、どうしてナギに声をかけたんだろう。何となくだと思っていた。傷つけることしかないと分かっていて、自分に不利な状況を作ると分かっていて、ひとつひとつの道を案内してここまで連れてきた。成り行きだと思っていた。どの時点でも、如何様にでも嘘をつくチャンスがあった。そうしなかったのは、このため。最後の最後で、後始末を全部ナギに押し付けるためだった。
 面倒なことはない。今彼女が銃口を向けている相手に、そのまま引き金を引けばいい。それはとても順当な、あるべき終わりだと思えた。
「撃てないならそろそろ行ってほしいと思ってるんだけど。答えるべきことには答えたよ」
 二人がいる地下には、外部からと思われる相当数の足音がけたたましく響いていた。のんびりと構えている状況ではなくなったというわけだ。が、そう考えるのはシグだけらしい。彼女は逃げろと言っても逃げないし、撃てと言っても撃ちもしない。刻一刻と状況が悪化するだけ。こうなると最優先事項というものが必然的に入れ替わる。
 シグは高い天井に向けて、ニブルで満たされた肺の空気を深く長く吐きだした。
「こっちが先に辿り着いちゃった、か」
 鶏の後方に伸びていた通路から、続々と人間がなだれ込んできた。皆が皆西部戦線用のマスクで顔を覆い、ニブル遮断の防護服に身を包んでいた。異様な集団だった。一様に見えるその姿でも集団の筆頭に、ロイ・グンター総司令がいることは察しがつく。ということは、ばたばたと不規則な足音を響かせていたのは、彼の側近や相談役、開発部幹部の連中だろう。
 グンターと思しき完全防備の男は、この場にいるはずのない人間、すなわちナギの姿を認めて目を見開き、次にファフニールをぶらさげたシグに、これ以上はないというほどの嫌悪の眼差しを投げた。
「どういうことだ」
おどけたように肩を竦めるシグ。ナギは彼に銃口を向けたまま微動だにできずにいた。
「ちょっと、想定外のことになっちゃいまして」
シグは今更、空っぽの両手をすごすごと上げる。
「シグ、あなた……!」
 シグは冷えきった眼でナギを見つめながら、鶏のお決まりの台詞を思い返していた。私を殺せないのなら去るがいい──どこまでも利己的な自殺願望だと思っていた。しかしそこに、少しだけ共感も覚える。これだけ舞台を設えて、引き金ひとつ引けない女にもはや用は無い。
「何故お前がここにいる。それに……この充満したニブルはどういうことだ」
「さあ? それを俺に聞かれてもって感じですかね。俺も彼女も来たときにはこうなってたんで。言っておきますけどここへの道を手引きしたのは俺じゃなくてフェン。ちなみに彼女は中途半端に秘密を知ってる状態だったんで、ここに連れてきて消えてもらった方が早いかなって。そうしたら、ま、見ての通り。俺と同じ体質みたいで」
「Bルート進化、しているというか」
「さあ。そういう名前とか、いちいち興味ないから。ひとまずはそういうわけなんで、丁重にお連れしてもらっていいですか? 傷つけるとフェンにも怒られそうだし」
 グンターもシグの説明に全て納得したわけではなさそうだった。不服そうに顔を歪めて、不信感を顕わにする。が、ここで弾劾しても始まらないのは明白だ。とりもあえずという感じで目配せして後方に指示を出すと、防護服の数人が速やかに左右に分かれてナギを取り囲んだ。彼らの手には、やはりというか魔ガンではなく対人用の機関銃が抱えられている。鶏のいるこの地下で、魔ガンは御法度というわけだ。
 ナギはシグに銃を向けていながら、何もできずに自由を奪われた。マネキンのように固まっていただけだから当然と言えば至極当然。ハンドガンを奪われ、ジャケットの中のブリュンヒルデを奪われ、その上で双方から両腕を絞められた。何の抵抗も出来ず、何の弁解もできない。眼球だけがずっと、シグの姿を追っていた。
「ナギ、言ったろ。パートナーごっこは終わり。俺に、君はもう必要ない」
 だからさっさと視界から消えてくれ。できるだけ無傷で、安全に──そんなことを思って、自らも踵を返した刹那。
 ドンという太鼓を打ち鳴らしたような重い音が響き、足元と天井が揺れた。短い悲鳴を上げて防護服が、ナギが、グンターが、そしてシグさえも大きくよろめいた。状況を確認する前に、再び足場が揺れる。場所が場所だけに無意味と分かっていながら、各々本能的に姿勢を低くしていた。太鼓のような地鳴りに連動するかのように警報が鳴りはじめた。
『本部塔にコンドル級ニーベルング出現。識別名“サギ”と確認。ニブル警報が発令されました。総員マスクを着用し、戦闘に備えてください』
「サギ……?」
アナウンスは地下まで明瞭に響く。スピーカーがどこかに設置されているからだろうが、そんなことはどうでもいい。かろうじて立った状態で、ナギの口から疑問符がこぼれた。シグの口からは極上の皮肉まじりに舌打ちが。
「タイミングがいいんだか悪いんだか……うちの隊長さんはっ」
『非戦闘員は直ちに塔外へ避難し……さい。“サギ”が本部塔中腹……撃。一番隊、六番隊が応……中』
 スピーカーが破損したのか、指令室が攻撃を受けたのか、流れるアナウンスも途切れ途切れになった。微弱な揺れが続いている。サギが地上、塔にへばりついている限りは収まるどころか、いつ塔ごと破壊されてれもおかしくない。地下に留まるのは危険だと誰もが感じた。
「レイウッド曹長はこのまま連行。シグは我々を先導し、その後地上で、あれの始末を」
「……了解。そろそろサギの派手な立ち回りにも飽きてきたところだしね」
ファフニールを懐に収め、シグは鶏の後方、グンターたちが下りてきた本部塔へ続くルートへ歩を進めた。その後をグンターが、そして防護服に囲まれたナギが機関銃で背中を押されふらふらと続く。その一部始終を鶏だけが無言のまま、ただ見送った。恨みごともなく、情けを請うこともなく、地下の壁の一部のように傍観者に徹した。
 グンターたちが下りてきた通路は人が往来するように設計されていて、壁も階段もある程度の清潔感があり舗装がなされていた。電気だって通っているから明るい。それなのに何故こんなにも、ナギの足元と眼前は真っ暗なのだろう。