「いい加減慣れないの? 三番隊、結構共闘してるくせに」
「慣れない。苦手。特に緊迫感ゼロのあの補佐官、やかましくて死にそう」
「うちも似たようなもんでしょうに」
「うちは別。だいたいリュカでもあっちの補佐官の五分の一くらいの音量しかない」
シグの口からまた特大の溜息が漏れる。普段顔色ひとつ変えず魔ガンの引き金を引くシグも、他人が気にも留めないような小さなことで頭を抱えたりもする。今がそうだ。そしてシグのそういう現場をナギは立場上なのか性格上なのか、他の連中よりも多く見ている気がしている。
「取り繕っちゃって。ナギも苦手だろ、ユリィ隊長」
「はい!? わ! ったしは別に!」
「いいなぁ……そのくらい分かりやすいと、相手も察してこれみよがしに避けてくれるもんね」
「え。私そんなに顔に出てる」
「出てる。愛想笑いってこういう笑い方かーっていうお手本みたいな顔してる」
言葉に詰まる。ここまで断言されると否定しても無意味だ。ナギは確かに、三番隊隊長ユリィ・カーター少尉に苦手意識を持ってしまっている。何が理由でと問われると答えに窮するのだが、ありていにいえば嫉妬心なのかもしれない。ユリィ少尉は現グングニル小隊において唯一の女性隊長だ。驚くほど小柄だが身体能力は高く、遠距離用魔ガンの扱いにおいては他の追随を許さない技術を持つ。おまけに美人で冷静沈着、だがナギにとってはこの要素が笑わない精巧なマネキンのような印象を与えている。おまけに、
「同郷同期だったっけ、サクヤ隊長と」
「うん、幼馴染とかなんとか」
「……ふぅん、なんかめんどくさいポジション」
胸中で同意してしまう自分がいる。様々な要素が絡み合って、なんだか面倒くさいのだ。何故か必要以上の気を遣ってしまう。そしてそれが空回る。結果気まずい空気が充満する。などと予想される展開を思って心底溜息が洩れた。別の理由だったのだろうがそれがシグとかぶる。苦笑まで同時にこぼしてしまい、互いに少しだけ気が紛れたようだった。
民家から漏れていた温かな光がひとつまたひとつと消えていく中、サクヤは数台のガス燈の明かりだけを頼りに大時計塔を見上げていた。気持ちはその天辺にいるニーベルングを観察しているつもりだ。が、その漆黒の翼は夜の闇に溶け込んで、ぼんやりと輪郭を確認できる程度だ。夜という空間に擬態しているとでも言うべきか。
「そろそろか……」
サクヤは例の遠吠えを待っていた。司祭の情報によればカラスはこの三日間、深夜零時前後に咆哮をあげている。単なる気まぐれにしては出来過ぎている気がした。
「サクヤっ。三番隊到着したよ。ユリィ隊長がすこぶる不機嫌……って何してんの」
報告に来たナギもつられて空を見上げる。刹那──
オオォォォォォォオオオオオオオ!!!! ──吼えた。上空から押さえつけられたような音の重圧に二人は咄嗟に両手で耳を塞いだ。夜の冷えた空気を伝って咆哮はリベンティーナ中に轟く、おそらく周辺地域の安眠も妨げたことだろう。これは恐怖心云々の前にかなりの大迷惑だ。
「何今の……。ニーベルングってこんなふうに吼えるっけ……?」
「夜に自分の居場所を知らせるための特別な鳴き方なのかもしれない。しまったなー、鼓膜が変だ。ナギは大丈夫?」
今の今までナギの声がしていたからそう呼びかけたのだが、振り向いた先にはナギの姿ではなく闇夜でもよく目立つ金のショートカットの旋毛があった。次の瞬間にはぱっちりとしか形容できない大きな二つの瞳がこちらを凝視していた。
「ユリィ。良かったよ、来てくれて」
「全員じゃない。明日もライン側の警備があるから半分だけ」
「狙撃班から四人も来てくれれば百人力だよ」
ユリィは「そう」と簡素な返事だけをすると視線を上空にずらした。彼女の無表情と抑揚の無い喋り方は通常仕様だ。サクヤもよく知っているからから気にも留めない。
ナギは一歩さがって二人のやりとりを黙って見守る。いつも通り笑顔のサクヤと、どうやらいつも通りらしい仏頂面のユリィ、そして相変わらず曖昧の極みのような無難な微笑を浮かべる自分。ユリィが到着早々ターゲットの確認をしたいと言いだしたからこうして案内したのだがタイミングが悪すぎた。
「ところで今のサイレンみたいなのが標的?」
「うん。見えづらいけど塔の真上に座ったままだと思うよ。呼称はカラス」
「……見えづらいというか、全く見えない。どう撃つの」
「時計塔先端を狙ってくれればいい。正確な位置と距離を教えるよ。到着早々で悪いけどブリーフィングに入ってかまわない?」
ユリィは初めからそのつもりだったようで、やはり無言のまま首を縦に振った。空気が緊張している。視覚では捉えられない、しかし確かにそこに存在する巨大な脅威に空間そのものが怯えているようだった。
連れ立って戻ってくるサクヤとユリィを見て、ナギは広場の端で律儀に敬礼をした。
「ナギさん」
「え、はいっ」
「案内ありがとう。助かりました」
予想だにしなかった台詞に反応が一瞬遅れた。ユリィもわざわざそれを待ったりはしないらしい、目を点にするナギの横をさっさと通り過ぎていく。
(てっきり苦言がくるもんだと……。わかんない人だなぁ……)
事前情報無しでジャイ○ンリサイタルさながらの鼓膜への奇襲を受けたのだ、嫌味のひとつやふたつは覚悟していたのだが。すたすたと宿へ向かうユリィの背中を、ナギは小首を傾げながら追った。
「三番隊にはカーター少尉に続いて標的を威嚇してもらう。煽ってけしかけて上手く管制塔に誘導してもらいたい」
ブリーフィング開始直後にサクヤが告げた作戦内容に、三番隊の隊員は各々顔を見合わせた。彼らの隊長であるユリィはサクヤの傍らで直立不動で佇んでいる。
「いや……随分簡単におっしゃいますけど、あれをこちらの思惑通りに動かすっていうのはなかなか難しいですよ。だいいち狙撃ポイントに向かってくるように誘導って……聞いたことない」
「そのままどこかへ逃げてくれるならそれが一番いい。作戦の本質はニーベルングを大時計塔から排除することだからね。ただし、討伐する必要性が生じた場合は確実に管制塔で仕留めなければならない。そうでなければわざわざ君たちを喚びつけたりしないさ」
口調とは裏腹にサクヤの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。
「ま、そのための布陣だ。うまくいかせる自信はあるよ」
サクヤが広げた市街地の地図(てくてくマップではなくなっている)には、管制塔の他にも小時計塔、市庁舎、住宅の屋上などの高所に人員配置が示されている。こちらはリュカ、バルトを加えた比較的バーストレベルの高い魔ガンナーを配置、とにかく寄せ付けないことが目的だ。
「万一市街地に侵入してきた場合は、バルトとリュカを中心にここから射撃。その際は絶対に威嚇に留まってくれ。管制塔まで導いてくれれば後はシグと、ナギ、僕でうまく片づけるよ」
「とにかく私たちはアレの交通整理をすればいいのね」
「身も蓋もない言い方をすればね」
ユリィの皮肉めいた言い草にサクヤも苦笑を洩らす。言うは易し行うは難し、あのニーベルングが進撃の旗印としての大役を担っていることが確かならば、手荒な強制退去に黙って従うはずはない。暴走ジェット機の、命がけの交通整理である。
「で、シグにはちょっと特殊な役をやってもらうことになるんだけど──」