episode xiv 君と凪の丘で


「ニーベルングって人が乗れるのね。知らなかった」
 一難去ったところで、悠長に空を見上げて各々感想などを述べる。
 星も無ければ月も無い。妙な空だった。濁ったヘドロを垂れ流したような、重く息苦しい風が時折吹く。音声になる内容とは裏腹に心臓は早鐘を打つ。サギの存在は、世界をまるごと別物に変えてしまったような気配さえ漂わせていた。
『ユリィ隊長~? 随分のんびりしてますけど、そろそろ合流してもらえませんかねー! 黒いの、ミイラ男と美女が結構派手に応戦してくるんで人畜無害とは言えないかんじになってますよ~!』
無線から陽気な声。三番隊の補佐官、オーウェルだろうか。
「ミイラ男と……」
「美女だって。ナギさんかしら? 相変わらずいい御身分」
ユリィは無意識にまた眉間にしわを寄せて嘆息した。根拠はないが、その不釣り合いなコンビがサクヤとナギであろうことを疑わない自分がいる。二人がセットとして揃ってしまったなら戦況は派手にならざるを得ないだろう。うまく収拾せねばなるまい。
 ユリィは再びクリエムヒルトを肩に担ぐと、アカツキに目配せだけしてグングニル塔へと走った。


 グングニルの主力は、本部塔に張り付いたままのサギをひたすらに撃ち続けていた。絶え間ない爆発と轟音で敷地内にいる全ての者が、敵味方関係なく視覚と聴覚の精度を失っていく。その傍ら、黒いイーグル級ニーベルングは片翼を閉じたまま演習塔の中腹にへばりついていた。無論好き好んでこの体勢をとっているわけではない。こちらも魔弾の雨にさらされている。
「万策尽きたか、サクヤ」
カラスは閉じた羽の中で、弾切れの、すなわち完全完璧お荷物でしかない人間を二個抱えている。煙幕作戦は思った以上にうまくいったが、それは飛び立つまでの話だった。魔ガンの花火が咲く夜空を、自分ひとりで逃げ切ることも難しいのに、背中に丸腰の人間など乗せては飛べるはずもない。結局、カラスは再度盾としてサクヤとナギを抱え込むことになった。
「うーん……レベル5の魔ガンがあれば、状況は違ったんだろうけど」
「たらればの話はするな。意味がない」
「ほんと、君はよく人語を理解してるよね? 感心す──」
「サクヤ」
ナギがぴしゃりと声を張る。代替案どころか状況すらよく分かっていないから、この場は黙って見守ろうと思っていたのだが、どうにも耐えきれなくなってつい諌めてしまった。ニーベルングの片翼に二人揃って抱かれていては、互いにどういう表情をしているかは全く見えない。いつも通りなら──昔と変わらないのならば──彼は鳩が豆鉄砲をくったような顔で固まっているのだろうが。
「……ナギ。もしかしてフェン先生から、グングニルのエンブレムを預かってない?」
「え、ある、けど」
「だったらこの場は切り抜けられる、かもしれない。ただ一歩間違うと本当に大量虐殺者だ。失敗する可能性もある」
「こんなの今何の役に立つの」
「それは最高純度のラインタイトでできてる。つまり世界で一番強力な爆発物ってことだ」
「即席の、魔ガンってこと」
「そう。コントロールは一切利かないけど、ね」
 狙った場所で、すなわち演習塔と地面との狭間、誰もいない空中で大爆発してくれれば逃亡の足がかりになる。ただ、その成功率が分からない。
「こうしていてもカラスが落とされるだけだ。迷っている時間はない」
サクヤらしからぬ、自分に言い聞かせるような物言いだった。言いながらごそごそと右手でハンドガンを抜く。これでエンブレムを撃ちぬいて暴発させる。すがるにしては強大すぎる藁だったが、覚悟を決めた。
 エンブレムの鎖を引きちぎってサクヤに手渡した。その瞬間に大爆発! ──の衝撃と轟音が盾の外で展開した。カラスの足元のフロアに巨大な横穴があく。訳が分からない。二人でエンブレムを握りあったまま仲良く顔を見合わせた。この場で唯一状況を呑みこめていたのは、一部始終をしっかり両の眼に収めたカラスだけだ。
「飛ぶぞ! 歯をくいしばれ」
 悲鳴を上げたり、うろたえたり、そういう恐怖の共有手順を一切合財省略して、二人はカラスの背にしがみついた。今の今まで守ってくれていた翼が開かれる、途端に生ぬるい風が直接肌にぶち当たった。生ぬるい、というより猛烈に熱い焔の風だ。
 誰かが、撃ってほしい当にその場所に魔ガンを撃った、ということだけが分かった。本当はもう少しだけ分かっていることがあったが、互いに確認している余裕はなかった。ブリュンヒルデやジークフリートに匹敵する高いバーストレベルであったこと、おそらく本来の狙いとは少しずれた位置で爆ぜたであろうこと。考えられたのはここまでだ。余裕がない。飛び立つきっかけにはできたが、ニーベルングの背に屋根はないから無防備のまま上昇するしかないことにかわりはない。
 ナギは自分の腕の隙間から、眼下の光景を確認しようと首をひねった。それを遮るように、サクヤの腕が全てを覆う。だから聴覚だけがやけに鋭敏になった。魔ガンの発砲音が聞こえる。聞き慣れた、聞きあきた、何故か絶対的な安心感のある早打ちと連射の音。演習塔の外壁近くで十六発の濁った花火が咲いた。小爆発を繰り返し、ただでさえ視界が悪かった夜の闇は更なる煙のヴェールで覆われることになった。煙と爆音と熱風に覆われた薄汚い夜になる。
「魔ガンで弾幕張るっていうのは、こういうことを言うんだよ」
 シグは手持ちのラインタイトが尽きるまで演習塔を撃った。五階から上がぼろぼろとお菓子の塔のように崩れていく。ストレス解消にはちょうど良かったのかもしれない。ローグとヴォータンの役割は終わった。空撃ちの情けない音までをしっかりと聞き、三本目の魔ガンと入れ替えた。
「冷静沈着のモンスターだと思ってたけど、そうでもなかったのかな」
柄にもなく、苦笑を洩らしながら独りごちた。あのまま、どこかの誰かさんの、下手くそ極まりない援護射撃がなかったらサクヤたちはどうするつもりだったのだろう。あれのおかげで、シグも結局、反射的に引き金を引いてしまった。ほとんど無心、無意識でからだが勝手に動いてしまった。
 意識がちらつく。こういうのを朦朧というのだろうか。感覚がないようで痛みだけがしっかりと支配する左足を引き摺って不様にここまで来た。サクヤは詰めがあまい。毎度、意図的にあまい。それとも彼の知るシグ・エヴァンスは、こういう目も当てられない醜態は晒さない男だったのだろうか。
「まあ今となっては……どうでもいいことばっかりなんだけど」
そのどうでもいい独り言を、また声に出した。少し鼓膜がおかしい。そういうことを確認するためでもあったが、だからといって何がどうということもない。
 視界がとんでもなく悪い。全ての音が籠って聞こえる。バランス感覚もない。ただ立っているだけのつもりなのに、世界がゆらゆらと振り子のように左右に揺れた。足の痛みがなければ今すぐにでも寝てしまいそうなほど全身が疲れ切っていた。それらが全て、今はとるに足らないことだと思えた。
「あんたたちは選ばれるのか、弾かれるのか」
常に共にあった三本目の魔ガンを構える──いや、何なら構えなくたっていい。どこを狙ったっていい。狙わなくたっていい。それでもそれが、銃の体裁をとっているからどうしても銃口を誰それに向けるというポーズになってしまう。
 誰かが「ファフニールだ!」と叫んだ。それが起爆剤になったらしく、パニックになった。サギが居て、ついさっきまで黒いニーベルングにも翻弄されていたわけだから、はじめからパニック状態は出来上っていたのだが、それに輪をかけてひどい、無秩序な世界となった。
「サクヤ隊長」
もう見えない。ここにはおそらくもう、居ない。だから言える。
「俺は、あなたになりたかった」