episode xv バゲットの中の美しい世界


「あなたが落としたのはー、こっちの超高性能高バースト魔ガン“ヴェルゼ”ですかー? それとも、こっちの超扱いづらい常時暴発気味の魔ガン“ブリュンヒルデ”ですかー? ドッチデスカー?」
「……は?」
ここにきて、垂れ流し気味だった涙がぴたりと止まった。宣言そのままに、リュカの右手にはヴェルゼが、左手にはブリュンヒルデが握られている。まるで手品で鳩でも出したかのような、不思議な空気が周囲に漂った。黙って事の次第を見守っていただけのサクヤも、この光景には眼を剥いている。
「どっちだよ。魔ガンの泉の精霊は、この後も多忙でケツカッチンなんだから、さっさと選べって」
「え、あ、はい。すいません。そっちの、ブリュンヒルデだと、思います。……え。なんで?」
「ブラボー! 正直者のあなたには、このブリュンヒルデに、なーんと予備の魔弾カートリッジ3セットをつけてプレゼントっ。これであなたも役立たずからご卒業! ちゃきちゃき前衛で働けよ~」
手品師=リュカはナギの疑問の一切を解消する気もなく、ブリュンヒルデの上にカートリッジを次々と重ね、ひたすらに満足そうだ。ナギは疑問符の矛先をサブローに向け直す。
「シグがブリュンヒルデに発信機をつけてたろ。それを利用して、こっちでも信号が追えるようにしておいたんだ。それがこんな形で役に立つとは思ってなかったけどね」
「取り返して……くれたの?」
「それはナギの手元にあるべきものだろ?」
「ほんっとにさー、ナギは魔ガンの管理が甘すぎるんだよな。ここ一年で何回没収されてんのよ。ってその内一回は俺たちなん──」
リュカの皮肉は、あえなく尻切れトンボとなる。全く予想だにしていなかったところからの不意のタックル、いやハグ攻撃により言語野が真っ白になったためだ。
「……ひゅーひゅー。やだーリュカさん、公衆の面前で破廉恥ー。隊長もマユリも見てるよー」
サブローの地味な仕返しが始まる。
「そうですよー、リュカさん狡いです……」
「はあ? 待てよっ、見てたろ今の。ナギが勝手に……!」
「ナギちゃん私もー」
「マユリも……! そうだね、マユリも!」
 こうしてマユリの自主参加により、謎のハグ大会が勃発。生き別れた姉妹の感動の再会シーンさながらに、三人は言葉も無く抱きしめ合った。五月蠅いのがひと固まりになってくれてちょうどいい。この機を逃すまいと、サブローは横穴の淵でたそがれるサクヤに駆け寄った。
「隊長」
呼びかけながら、この呼び名に小さな違和感を抱く。八番隊はもうない。それ以前に、この全身黒い包帯に身を包んだミイラのような男が、自分の知るサクヤ・スタンフォードだという確信が持てずにいる。
「さすが、痒いところに手がとどく男だなぁ、サブローは」
その反応ひとつで、サブローは知らず安堵のため息を漏らしていた。声が、仕草が、一挙手一投足の間が、そして黒い瞳が笑うたびに細まるのが、目の前の男が自分がよく知る人物だと証明してくれた。
「本当はゆっくり話をしたいところですが、言うほど時間がありません。状況がどうなってるかと俺たちがどう動くべきかだけ、指示をもらえますか」
 包帯の隙間から覗くサクヤの黒い瞳が、まるくなる。サブローの申し出はそれだけ彼にとって意外性を伴ったものだった。ここにいる彼らが、元八番隊がそれぞれ何を思いどう行動を起こしてきたか、サクヤはある程度知っている。
「結論だけ話しても、君は納得しないと思うけど」
サクヤらしからぬ殊勝な態度に、今度はサブローが目をまるくして思いきり嘆息した。深く、長く、今の今まで溜めこんでいたありとあらゆるストレスを吐き出すみたいに。
「……今だから言いますけど、隊長の作戦にはじめから納得した試しなんか、数えるほどしかありませんよ」
「え。あ、そうなの」
「で、最終的に不満をもったこともありません。だから説明は今、必要ありません」
「なるほど、サブローらしいね。それじゃあ簡潔にいこう。三人にはこのままナギを地下まで送り届けてもらいたい」
「隊長は?」
「僕らの隊のエースを、連れ戻してくるよ」
 サブローはサクヤの視線の先を追った。下方、主塔の入り口にできた人垣。その中心で見知った人物が対峙していた。


 シグの周囲は騒然としていた。人々はサギから逃げ惑い、姿をくらましたカラスとサクヤに恐怖し、そんな中で突き出されたファフニールに心から悲鳴をあげている。このなんの変哲もない装飾魔ガンが、空間を塗り替える代物だと知っている者がいたのは気の毒だ。恐怖に震えるのはロイ・グンターだけだと思っていた。
 肝心のグンターは、ファフニールの銃口を向けられてもなお、取り乱すことなく怪訝そうな顔を作っていた。囲っていたファフニールの担い手が、ついに故障した程度の認識だった。そういうこともあるだろうと苦虫をかみつぶし、無理やりに想定内のカテゴリへ振り分けた。
「フェンの差し金、というわけでもないか。何が望みだ」
 シグは目を円くして一瞬間固まると、そのまま思いきり噴き出す。声を出して笑った。腹を抱えて前傾姿勢になった。
「いや、ちょっと面白いこと言いますね? 司令。望みって、望み。ねえ?」
単語も陳腐だが、その言い回しはもっと滑稽に思えた。グンターは誰それの望みを聞きいれ、必要に応じて叶えるような立場にあるらしい。それは神だか天だか世界だか、そういうものの仕事だとシグは思っていた。しかし、残りかすのような笑いを噛み殺しながら、こうも考えた。神とやらが目に余る仕事ぶりだから、こういう自称代行者が跋扈するのだろうな、と。
「お前がファフニールを撃ってきたのは私情によるものだろう。そうであるなら、望みがあるはずだ」
「……だから今、それをかなえようとしてるんですよ」
この期に及んで皮肉の押収をするつもりはなかったのだが、口をついて出た。
 できるなら全身の血を一滴残らずぶちまけて、総入れ替えしたい。が、それはあまりにも非現実的すぎる。だから誰を当てにするでもなく期待するでもなく、自分自身の力で実現可能な最低限の目的だけを胸に抱いてきた。
「俺はただ、あんたにも同じ審判を受けてほしいだけ」
 今となってはそれが唯一の望みだ。結果はもうどうでもいい。どちらだってかまわない。神だの天だの世界だの、そういうものの判断基準はどうせシグとは大きくかけ離れている。 
「……案外、動じないんですね。自分はニーベルング化しないとでも?」
「するだろうな。この場にいるグングニル隊員と市街の一般市民も含めて。……お前が自らを犠牲に守ってきたもの全てを棒に振るつもりか」
「あんたが言うと、何でも安っぽく聞こえるね。……俺が救世主ごっこをしてたのは、もののついでだから」
 シグは自嘲の笑みと共にそうこぼした。
 自分を取り巻いていた優しい環境を、初恋の女の子を、救いたいと思った。その動機には絶対の正当性と清純性があった。そのためなら人の形をしただけの人でない自分も、存在することが許される気がした。要は、十一年前のシグが必死に探してしがみついた、生きるための言い訳だ。それがどうだ。少女は何の奇蹟か生きていて、何の因果か傍にいて、毎日をとても幸せそうに過ごしていた。それを知った瞬間に、シグの存在を意義づけていたものは消えて無くなってしまった。行き場なく漂うだけだったシャボン玉が弾けるみたいに、呆気なくだ。