episode xvi 星月夜


「今さら何をしにきたのか知りませんが、邪魔をするなら押し通ります」
ナギには今更迷いも恐怖も無いようだった。無いものを挙げるなら、ファフニールの中のニブルも実はほとんど無い。ナギがそのあたりをきちんと理解しているのかどうか疑わしかったが、カラスから助言はしないことにした。
 グンターに動じた様子は見られなかった。何もかもを承知のしたような妙な落ち着きさえあった。
「それが君の出した答えか……イオリ」
 醜い鶏の前で美しく魔ガンを構える女をよく知っているような気がして、グンターはほとんど無意識にそう呟いた。はるか遠い昔この場所で、あるいは毎夜の夢の中で、瞼を閉じた暗闇の奥で、女はいつも同じ台詞を繰り返していた。一点の曇りもない瞳で彼を射ぬき、非難しつづけた。
 貴方のつくる世界は、一体誰のためのもの? ──眼前の女が同じ台詞を口にしたように見えた。錯覚かもしれない。幻聴かもしれない。それでも構わない。その問いに、グンターは淀みなく答えることができる。
「人のため。人は、人の心だけは進化などしない。振り出しに戻り続ける。だから……必要とされる。絶対の弱者が、絶対の悪が、そういう世界の装置が」
「そうかもしれませんね。でもその論理を、絶対の弱者と悪である私たちに説いても無意味では?」
「そうなのだろう。私の生涯を費やした大きな実験と観察は、終わった。一定の結果は出た。それで充分だ。……普遍の真理には至らなかったがね」 
グンターはやはりどこか眩しそうに、自らが仕立て上げた絶対悪の装置を見つめた。彼にとってはじまりのニーベルングは恐怖の象徴でも崇拝の対象でもない、ただ「在るべきもの」だった。空気のように、水のように、太陽や月や、あるいは愛や憎悪のように人の世に在るもの。世界の構成要素がひとつ消えようとしているのだから、それが終わりでなくて何だというのだ。その終わりに自分は立ち会おうとしている、それだけの話だ。
「ごちゃごちゃ言っていないで職務を果たしてください……! あなたがグングニル機関の最高司令だというなら、やるべきことが残されているはずです」
「そうだな。君の意見は正しい。今この瞬間においては」
含みのある言い方だったが、グンターは踵を返すとしっかりとした足取りで地上へ続く階段を上っていった。
 去っていくグンターの背をしばらく目で追っていたが、ナギはかぶりを振ってファフニールを下げた。頭痛がする。ついでに寒気も。極度の緊張と弛緩の繰り返しが、精神と身体に無理を強いている。それでも泣きごとを言っている状況ではない。言っても、カラスには一蹴される。酷い場合には用済み扱いされて、ここに捨て置かれる。その方がよほどぞっとしないではないか。ナギは身震いして冷えきった身体をごまかした。
「私たちも上に戻ろう。大変なのはたぶんここからだと思う」
自らの心を奮い立たせる。何かの終わりに立ち会っている、その感覚はナギの中にも確かにあった。


 グングニルの敷地内では最大規模の円形演習場、その陰にサクヤ、シグ、アンジェリカは身を寄せた。安全地帯というわけではない。それでも主塔からは死角になっているし多少の距離もある。この草むらが急ごしらえのブリーフィングルームというわけだ。
 サギの無差別ニブル砲と、呼び寄せられたニーベルングたちの妨害、未だに状況を把握してくれない一部の隊員たちの攻撃を振り切って、彼らは死に物狂いでここへ辿り着いた。普段ならもう少しうまくやる。が、今はアンジェリカを除く二人のコンディションは最悪なわけだから、こうして辿り着いているだけでも僥倖だ。壁際に座りこんで呼吸だけに集中するサクヤの姿を、シグは何か貴重なものでもみるように眺めていた。かくいう自分も、満足には走れない。
「よぉ、生きてたな。お互い」
 不意に後ろから肩をたたかれた。それが知った声でなければ、シグはおそらく反射的に引き金を引いただろう。警戒を怠った自分に苛立ちながらも、成す術も無くよろめいた。慌てたのは声をかけたバルトの方だ。シグが倒れこまないように抱き支える羽目になった。
「ぼろぼろかよ、らしくもなく」
「俺は別にたいした怪我じゃない」
「そうか? アンジェリカの様子からするとそうは見えないけどな。……っと、もっとぼろぼろなのが元気に動いてるうちに報告は済ませとかねぇとな」
バルトはあっさり引き下がる。そして壁の暗がりに溶け込んでいる、不気味極まりない黒いミイラに向かって歩を進めた。
 バルトの後ろにはサブロー、リュカ、マユリが控えていた。サブローだけが、バルトに倣ってか「よぉ」などとわざとらしく片手を挙げる。互いに驚きはなかった。自分たちははじめから、サクヤ・スタンフォードという磁石に引き寄せられて集まった砂鉄だ。磁石がここにあるのだから、必然誰もかれもがこの場所に辿り着く。
 何か声をかけるべきか、シグの中にもそういう選択肢が一応あった。しかし、後方から聞こえてきた不躾な笑い声に出鼻をくじかれた。バルトとサクヤだ。酒が入った親戚同士の集まりみたいに、脈絡のない報告事項でなぜか豪快に笑っている。
「っていうことは、鶏サルベージ作戦の方は首尾よくいってるってことだね」
「ああ。後はナギがそのでかい奴をきちっと連れてくるだけだ。しかしな、隊長。その後はどうする? その鶏ってのは、サギよりでかいんだろう? ……この状況でそんなのに出てこられたら、全会一致でラスボス認定ってことにならないか」
「……確かに、現状一番厄介なのはニーベルングじゃなくてグングニル隊員だ」
「手は打ってあるって言ってませんでした?」
二人のやりとり、とりわけサクヤの嘆息に一抹の不安を覚え、シグが合流してくる。残りの三人も座りこんだままのサクヤを中心に半円状に並んだ。一見して集団リンチの現場のようになる。サクヤは座りこんだまま、隊員たちを見上げて話を続けた。
「打ったつもりだったんだけど、思った以上に状況が芳しくない」
「そもそもどういう作戦だったんですか」
「鶏を亀裂の向こう側まで死守するには、とにかく極力目だたせないことが必要だ。カラスみたいにね。ただ、あの表面積に夜間迷彩を施すとなると人手も時間もかかりすぎる。そこを短縮するために、訓練用のペイント弾を低レベルの魔ガンで撃ちまくるっていう……」
「待て待て待て待て、そりゃ結局何人がかりの想定なんだ。だいたい低レベルの魔ガンなんかうちにはないだろ。アンジェリカとせいぜいシグのか?」
ナギがいないから、真っ当な人間の真っ当な質問はバルトが肩代わりしてくれた。サクヤはそれには答えない。どうやらその真っ当すぎる問題がネックになっているようだった。
 サクヤの想定では、ユリィ──三番隊との連携がもう少しうまくとれるはずだった。が、最初の援護射撃以降の所在がつかめない。無線さえうまく繋がれば解決するはずの問題だったが、実際ここまで現場が混乱していては、何が標的で誰が味方か判別しようという余裕すら生まれない。皆目の前にいる脅威を排除するのに手いっぱい、それが悪循環を助長する。
 肩を竦める面々、その中でひとり唸り声をあげていたマユリが意を決して口をきった。
「やってやれないことはないっていうか、今だからできるっていう気もするんだけど」
「どういう意味だい?」
「だってヒトもモノも揃ってるじゃないですかココ。訓練用の低レベル魔ガンだったら整備部の倉庫にたんまりあるし、ペイント弾なんて古い分どうやって破棄しようか揉めてたくらい。今あっちでわけわかんないまま乱戦繰り広げてる附属隊のみなさんも? 一応試験と訓練をクリアしてる魔ガンナーなわけで」
「六番隊をこっちに引き入れる、か。確かに鶏への脅威も消えて一石二鳥ではあるけど……」
歯切れが悪いのは、六番隊を説き伏せる材料と物理的手段がないからだ。あの大所帯はただでさえ指揮系統が乱れがちなうえ、今は肝試しの真っ最中のように冷静さの欠片もない状態だ。近づいただけで魔ガンで撃たれる。実際撃たれてきたのが数名ここにいる。そうでなくても昔から六番隊には煙たがられているサクヤのことだ、妙案も思い浮かばない。
「いいんじゃねーの? 俺はマユリに賛成。あいつら全部機械みたいに動かすのに、苦労はいらんでしょ。適役がいる。探す手間がかかるだろーけど」