episode xvi 星月夜


 組んだ指を頭の後ろにまわして、リュカが事もなげに言う。装ったと言えばそのとおりだった。視線はシグを捉えている。事情は知らない。だが、この機関の総司令にシグが魔ガンの銃口を向けていた現場はこの目で見ている。生きてはいるのだろうという、とんでもなく大枠の確認のつもりだった。自分たちが塔の床を粉々にしていた間に、サクヤはその結末を曲げに行ったはずだから。
「指令を丸めこむ、もしくは脅して六番隊を動かす。そういうことか」
バルトが自分への確認のために呟く。
「そういうこと。隊長、どうすんの?」
サクヤが思案するために口元を覆ったのは一瞬のことだった。
「──やろう。鶏には今夜だけ夜鷹になってもらう。作戦名は……そうだな、鶏ステルス作戦!」
とってつけたような、そしてその割にテーマは押さえた作戦名をひねり出すときには、先刻の比ではない、しっかりと下顎に手を添えて一度大きく唸ってみせた。彼のこだわりは基本的に優先順位を履きちがえた形で発揮される。その全ては苦言を呈するまでもなく一瞬で執り行われた。
「ペイント弾と魔ガンはマユリ主導で確保。サブローとアンジェリカは、マユリと一緒に整備部を経由して司令の探索に当たる。その際整備部のスピーカーが生きてれば、三番隊に応援は頼めるはずだ。司令が確保できなければ最悪この二個小隊で作戦を遂行することになる」
「考えたくありませんが、司令の確保に失敗し、スピーカーも死亡していた場合は?」
「鶏の夜間迷彩は諦めて強行突破になるね。こればっかりはもう運にすがるしかない」
「了解」
平静を装いながらもサブローは人知れず息を呑んだ。サクヤの口から飛び出した聞きなれない単語のせいだ。彼は運を当てにしない。先の先まで対応できる幾通りもの戦術を、その都度組んでは計画通りにこなす。だから常に起こりえる全ての事象が彼の想定内に収まる。サクヤとチェスをしているとそれがよく分かる。
(強行突破を視野に入れろ、っていうことか)
それがサクヤの想定内なのだろう。そう考えるといつも通りだと思いなおすことができた。
「作戦の主旨はあくまでもサギ派への目くらましだから、鶏に危害が加わることがないように徹底してくれ。これがうまくいけば、鶏の護送は随分楽になるはずだ」
「まっかしといてー。これが最終決戦ってやつなら魔ガンも弾も出し惜しみする必要ないし、
在庫一掃セールだと思って心おきなくぶっぱなすからねー」
サブローに続いてマユリも、弱音や不満は一切吐かない。黒い包帯の奥で、サクヤの目が細まった。
「ステルス作戦の進捗に合わせて、僕はカラス……協力者のニーベルングと共に鶏の護送に徹する。ナギを含めた残りの四人で、サギ派のニーベルングの相手をしながらサギ本体を討伐する……のは実際難しいなぁ」
「であれば、ニーベルングはニーベルングで引き受けよう。もとよりこちらの争いに手を出す気はないのだろう?」
 突然空から降って来た鶴の一声ならぬカラスの一声で、場の空気が一変した。カラスの輪郭は確かに夜に溶けていて、煤だらけ灰だらけのナギの姿だけがぼんやり夜空に浮かび上がる。
八番隊の半円とは十メートルほど距離をとった辺りに降下した。それには理由があったのだが、伝わるはずもないからマユリあたりが即行で突進してくる気がした。そしてそれはすぐに現実のものとなる。
「ナギちゃーん! おかえりーっ」
「待っ! 待ったマユリ! そこでストップ!」
従順な飼い犬のように、マユリはわけもわからず急ブレーキをかけた。その横をサクヤが頼りない足取りで通っていく。ひとりナギとカラスの傍へ歩み寄った。
「御苦労さま。うまくいったみたいだね」
「たぶん。鶏には一階部分で待機してもらってる。それより、さっきの話だけど」
「うん、ちょうど作戦を詰めてたところだった。ナギたちもこのまま一緒に話そう。ニブルはほとんど残ってないみたいだし、心配ないよ」
「え、うん。そうならいいんだけど」
 マユリを止めたのはもちろんそのためだった。が、ナギが今一番確認したいと思っているのはそのことではない。またよろよろと踵を返すサクヤの背を見て、ナギは慌ててその手を掴んだ。
「さっきの……。カラスと一緒に鶏を護送するって」
「? うん? ステルスが成功しても追撃を防ぐ役は必要だし、カラスとの連携も考えるとそうなるよね」
 分かってない──相変わらず、こちらの質問の意図は一切汲んでくれない。この脱力感も久しぶりだ。ナギの口から思わず深々と嘆息が漏れた。
「それは私がやる。……これ以上の無理はしないで」
察しの悪い上官に、補佐官は苛立ちを顕わにした。ナギがこの手の話題で一度むくれると、何を言っても手遅れだ。この抜き差しならない状態も少しだけ懐かしい。サクヤからは嘆息ではなく苦笑いが漏れた。
「相変わらずだなあ」
「はあ? どっちが……っ」
「適材適所には自信がある。僕の采配は疑わしいかい?」
「そういう意味じゃ……」
口ごもるしかなかった。が、引き下がる気もなかった。
 サクヤは完璧じゃない。無敵でもない。ただ、無理の仕方が人並み外れて上手い。ナギはそれをよくよく承知しているからこそ、彼のやり方を尊重してきた。が、今のサクヤの塩梅を認めるわけにはいかない。今この手を離したら、サクヤはまた簡単に手の届かないところへ行く、そんな確信があった。本当は気付きたくなかった。
 ニブルに適応したサクヤになら、ファフニールを撃つことができただろう。そうしなかった理由はひとつ。彼は今、そのパフォーマンスに耐え得る身体を持ち合わせていないのだ。
「ナギ」
 無意識のうちに目を伏せていた。だからサクヤの諭すような声は上から降ってきた。
「僕は君のおかげで、今もこうしてここに立てている」
 地面を見つめたままかぶりを振った。
「君が隣にいたから、僕はいつでも感情のある判断ができた。機械にも獣にもならずに、人として選ぶべきものが見えた。ナギのおかげだよ」
「そうじゃない……私は、ただ」
 サクヤが珍しく言葉を尽くそうとするから、ナギもそれに応えなければと思った。しかしサクヤのように胸を張って伝えられる言葉が、ナギにはない。その胸に渦巻くのは利己的で非合理であさましい感情ばかり。自覚があるから自己嫌悪にも余念がない。サクヤはそんなナギの次の言葉を根気強く待っていた。
「ただ──」
その先が続かない。口にするまでもない単純な望みが、言葉にならない。歯がゆさで俯いたその一瞬、鼻先をかすめる微かな香りに気付く。ナギは胸ポケットに潜ませていたものを大事そうに取り出すと、サクヤの掌の上にそっと乗せた。
「ユキスズカ……」
「咲くかどうかわからないけど」
 それでもいい。応えは無くてもいい。ナギが言葉にしなくても、この花が持つ言葉だけなら伝わると思った。特別珍しい花ではない、けれど特別な意味を持った花。
 サクヤは唖然として、がくから上しかないユキスズカ草の蕾を見つめていた。繭のようなサナギのような一見して珍妙な印象、その感想をはっきり持ってしまったがために堪えていた笑いが噴き出した。ナギはとんでもなく心外そうだ。
「確かに形はなんか……ちょっと、あれだけど」
「そうじゃないよ、ごめん。いや、それもあるにはあるんだけど。普通はその……逆だと思って」
「──知ってる」
サクヤが笑いながら言う「逆」の意味を、ナギはすぐに察することができた。サクヤにとってはそれが意外でしかなかったから、笑いも同時におさまる。