遠回しに六番隊をはじめとする有象無象をなじる。演習場の壁の先では、未だに魔ガンの花火が絶えることなく上がっているから彼らは間違いなく、何の策もなく展望もなくサギの臀部を集中砲火しているに違いない。リュカが半音上げたのは、忌々しい尾が垂れさがっているあの部位を尻だと断言して良いのか判断に迷ったからだ。
「せめて尻の穴でもあればな」
サブローも便乗する。話の流れはおそらく正しい方向に戻りつつあるはずだ。確か、論点はサギのチャームポイントについてだったか。
「穴……ないの。初めて知ったわ」
アンジェリカも驚愕と興味本位の滲み出た表情を隠さない。これは一度持ち帰って慎重に論じるべき議題なのかもしれない。ニーベルングに尻と呼ばれる部位は存在するのか、そしてそこにあるべき穴は──。
皆が期待の眼差しをサクヤとカラスに向けた。サクヤは答えず、更に新たな疑問を重ねる。
「そういえば排泄物ってどう──」
パーンッ!! ──悪意をこめてクラッカーの紐を全力で引き抜いた、みたいな破裂音が響いた。ナギの合掌による強制終了の合図だ。毎度おなじみ脱線走行を止めるにはこれが一番有効である。ばつが悪そうに視線を逸らす面々の中央で、ナギはいただきますポーズのまま打ち震えていた。いや、だって、痛い。先刻シグを殴り飛ばした右手が、ありえないくらいに疼く。
「尻の話はまた今度改めて。えーと、今は、サギにダメージを与えるためにはどうするのがいいかって話だったよね、たぶん」
取り繕おうとするサクヤに対してナギは唇を真一文字に結んだままこっくりとうなずいた。本当は「たぶん」というところに文句をつけたいが、今その話を持ち出せば全員がまた喜び勇んで脱線する。我慢我慢、いろいろと我慢。
「あの位置から引き摺りおろせばいいんじゃないか? ほら、カラスのときみたいに特殊弾とか使ってさ。何なら塔ごと吹っ飛ばすとか」
「いや、できればサギはあそこに磔ておきたい。下手に追いこんで標的が鶏になるのは避けたいからね」
「じゃあもうあれじゃねーか。俺たちが同じ高さまで上がるしかねーじゃん。尻の穴が無いなら目か口にぶっこむしかねーんだろ?」
「皮膚装甲が折り紙つきだからなあ」
思い思いに意見を述べる男性陣。視線の先はカラス。今度は彼に白羽の矢がたったというわけだ。
「そういうわけだから……カラスが信用できる、気のいい友達にかけあってもらえない?」
「乗るつもりか」
「そうでもしないと、サギの顔面まで魔ガンは届かない」
暫くの沈黙があった。ナギたちの目にそう見えただけで、カラスは違ったのかもしれない。とにかく無音の状態が数十秒、場を支配した。
「……手配はしよう。気のいい連中かは保証しかねるがな」
「ありがとう、助かるよ。さあて……これで下準備は整った、かな? 質問がなければ作戦行動に入ろう。作戦の本質を見失わないようにね」
「最優先事項は鶏の死守、でいいんですよね」
ひたすら黙りこくっていたシグが、ここにきてらしくない確認を口にした。
「そうじゃないよ、シグ」
「だったら」
「本作戦は、ここにいる全員が無事に帰ってくることが最優先事項だ。例外はない。いいね?」
シグへの確認だった。しかしそれには全員が頷いた。
「……。了解」
シグ当人は返事に数秒を要した。示し合わせたみたいに遅れて、ナギも同時に返事をしたものだから思わず顔を見合わせる。シグは単に、自分とサクヤは既に「無事」とは言い難いのではないかという疑問を、多少強引に解消していただけであったが、ナギの方はいささか事情が異なるようだった。少し寂しそうに、どこかほっとしたように微笑っていた。
「魔ガン、撃てるの。その手」
シグは無事かどうか、という問いを眼前にいるドメスティックバイオレンスの具現者にもしておくべきだろうと判断した。青紫に変色したナギの右手の甲、アンジェリカが特大の溜息をつきながらテーピングしていく。小言を言われているのにナギはどこか嬉しそうだった。シグの問いは無視をされたので、たたみかけることにする。
「普通は利き手で殴らない」
「……うるさいな。そんなところまで考えてる余裕なかった」
「そういう問題じゃないっ。普通はそもそも“殴らない”のよっ。女が男を、よりにもよってグーで」
神妙な面持ちで頷くシグ、そして後方の男性陣。ナギの額に再び青筋が浮きたつ前に、良いタイミングで邪魔が入った。
カラスが呼び寄せたらしい数体のニーベルングが、演習場の外れに急降下して立ち並ぶ。サクヤはカラスと話しこみながら、何やら面接めいたものを行っているようだ。その内にあからさまに闘争心むき出しの、強面の一体が飛び去った。カラスよりも一回り図体の大きい者も、手を振るサクヤの顔にニブルらしき息を吹きかけて去っていく。残った二体は翼に顔立ち、胴周りに至るまでシャープ、イーグル級の中では比較的小さい方かもしれない。
「ハヤブサと、ミサゴ。スピードと柔軟性があるから、人が乗ってもうまく対処してくれると思う」
やはり残存の二体に決めたらしい。サクヤが紹介にナギたちも黙って頷く。てっきり見た目の印象で選んだんだと思っていたがそうではなかったらしい。
「ちなみに名前って……」
「決めていいって言うから僕が今決めた。気にいってくれたみたいだよ。ナギはどっちに乗る? 試乗する時間があれば良かったんだけどね」
「……そんなのあるわけないでしょ。じゃあいきなり急降下したり、こっちの射撃に文句とかつけてこない方」
カラスが何か言いたげにこちらを見ていたが気にしないことにした。もうニーベルング酔いはこりごりだ。どうせ乗るなら紳士的なニーベルングがいいに決まっている。サクヤが新顔のニーベルングに半ばどうでもいい聴取を行うのを尻目に、ナギは演習場の向こうに見えるサギの姿を焼き付けた。あれには借りがある。今度こそ手加減なしでブリュンヒルデを撃つときだ。そして、おまじないのように胸中で繰り返す。作戦の本質を忘れないように、と。
ブリーフィング終了からおよそ一時間、ハヤブサを駆ってグングニルの塔を旋回しながら、ナギは目の前の現実に人知れず溜息をついた。上も地獄、下も地獄、だから中間地点を高速で旋回して時間を稼いでいる。そろそろバターになるかもしれない。
「なんか今思うと馬鹿みたいだよなあ……」
「何が」
シグの独り言めいた呟きが背中越しに聞こえてしまったから、ナギは間髪入れず反応した。
「俺たち、あれ相手に一生懸命話しかけてたわけだろ。まあ、概ねナギが、だけど」
それはそれはしみじみと、シグは遠い目でサギを見る。ナギはそれには敢えて応答せず「下」の進捗状況を確認するためにハヤブサの背から身を乗り出した。
主塔の一階部分にこれでもかというほど集まったグングニル隊員は、皆一心不乱に魔ガンの引き金を引いている。爆音は一切ない。マユリが整備部から根こそぎ引き摺りだしてきた黒いペイント弾が音も無く放たれていく。かれこれ二十分この状態だ。
総司令であるグンターが、大した脅しも必要とせずにこちらの言い分を呑んだことに驚きはなかった。少なくともナギはそうだった。彼は自分の残された職務をまっとうしようとしていた、その延長線上にサクヤの作戦があっただけのことだ。そうして統率のとれた六番隊はそれなりに頼りがいがある。一糸乱れぬ陣形でペイント弾を乱れ撃つ様は、上から見ているだけでも圧巻の一言に尽きた。彼らは大所帯の動き方を熟知しているからこそ、敢えて個を殺す。隊という巨大な個体に綻びが出ないよう歯車に徹する。