episode xvi 星月夜


 そんな眼下の静寂地獄とは対照的に、耳元では断続的に魔ガンの発砲音が鳴っている。相棒は湯水のように惜しげもなく魔弾を消費し、消費した分確実にニーベルングを地に墜としていった。
「ねえ! ヴォータンとローグ、持ち替えてないよね! なんでそんな一発で墜とせるの!」
「何! 聞こえない! っていうか、撃とうよ。何さぼってんの?」
 シグが狙う先を目で追う。眼球、口元、あるいは翼の決まった箇所を撃っているようだった。だから完全撃墜とまではいかなくても、戦意をそぐことはできる。もともと確固たる信念を持って集合したわけではない賑やかしのニーベルングたちだ。負傷しただけで塔からは距離を置いてくれる。
 それにしても妙ではあった。サギは随分長いこと主塔から動いていない。現れた直後はさておき、今は積極的に塔を破壊するふうでもない。時折数体のニーベルングが、雛に餌を与える親鳥のように、近づいてきてはまた飛び去っていった。シグは時間稼ぎと時間つぶしにそれらを撃っている。
「こんな高速でぐるぐる回られると、まとまる考えもまとまんないな……」
 アトラクション化したら一定の興行収入を見込めるかもしれない。ただし子どもは乗れません。あしからずご了承ください。
「止まれば的になります。王の準備が整うまで今しばらくご辛抱を」
「分かってるよハヤブサ。ありがとう」
 唯一の救い、唯一の癒しがこれだ。搭乗したニーベルング、ハヤブサはナギが望んだ以上の紳士的性格だった。ただちょっと速すぎるというか加減知らずすぎるというか、つまりバターになるのも時間の問題というか。とにかく何でもいいから早急に、下の連中に鶏ステルス作戦というやつを完遂してほしかった。などと幾分雑に神だのみしていた結果、地上の隊員たちが蜘蛛の子を散らすように広がっていくのが見えた。
「来た! 来た来た来た! シグっ」
「分かってるって! ナギも撃とう、マジで!」
 シグお得意の十六連射で夜空に濁った花火が咲く。冷やかしとしか思えない数体のニーベルングが、文字通り尻尾を巻いて逃げだした。その奥でサギが咆哮をあげるのが見える。無防備に開けられた大口に向けて、ナギは開戦の狼煙とばかりに一発を放った。着弾はしなかった。サギの口元一歩手前で、奴の吐いたニブルに着火して爆発する。毒の霧を巻き込んだ熱風が吹き荒れ、ブリュンヒルデの一発は一際大きな花火となって夜空に掻き消えた。
 このド派手な煙幕の中で、事態は次の局面へ移行する。
 地上から巻きあがる風があった。先刻ナギが撒き散らしたニブルを全て上空に押し戻す、その風に煽られてハヤブサは少しだけ滞空位置を上方にずらした。少し下の空中で、闇が動いている。夜を味方につけた黒いニーベルングと黒い男が、ムスペル上空を目指して飛び立った。ナギたちに分かったのは気配だけだ。ステルス効果は十二分に発揮されている。
「邪魔者も飛んでったし、こっちも仕事をしようか」
「そうだね。もたもたしてるとリュカたちに横取りされちゃう」」
「どうだか」
シグの嘲笑を是認するように、件の男が撃ったであろう高圧エネルギーが明後日の方向にすっ飛んでいく。ニーベルングに騎乗した状態で魔ガンを扱うのは初めての経験だろうから無理もないのだが、リュカの場合それとは無関係に狙いどころが悪い。同じくミサゴに搭乗したバルトの威嚇射撃は、それなりにサギの身体に傷を負わせているようだ。実はそれが、シグには有難迷惑でしかない。
「あっちに注意ひきつけてどうすんだよ、当たらない主砲しか搭載してないのに。大人しくエキストラを散らしてくんないかな……!」
下手に追い詰めてニブルを吐かれても厄介だ。だからサギを仕留めるのは、自分たち二人が適任だと思っている。高濃度ニブルをもろともせず、サギを翻弄し確実に撃沈できるこの二人でなければ。
「確かにこう……ちょっと逸れると、私あの二人を撃沈しちゃうと思うんだよね」
「なんでバルトが乗っててそういうところに気がいかないんだよ」
「……私が伝えましょうか」
苛立つ搭乗者たちを見かねて、ハヤブサが立候補した。
「え、できるの? できるかっ。お願いしてもいい?」
 おのぼりさん二名にではなく、それらを乗せて飛ぶミサゴに。数秒間をおいて、視界の中のミサゴが上昇体勢をとった。こちらの思惑通りサギからは離れ、その上空で蠢くイーグル級の群れの中へ突っ込んでいく。小さく悲鳴が聞こえた気がした。
「何か、上の二人が揉めていたそうです。年長者の方が高いところがどうとかで」
(バルトか……)
(バルトだな……)
 今はバルトの高所恐怖症を気遣っている余裕はない。というかそんな話は寝耳に水である。もしかしたら本人でさえも知らなかった事実なのかもしれない。そうであれば御気の毒さまとしか言いようがない。
 ともあれこの機を逃す手はなかった。ハヤブサは絶好の位置取りをしてくれる。後はシグと連携してサギの大口を開けさせるだけだ。負傷した右手の痛みを堪えながら、ナギは魔ガンを構えた。引き金を引く直前に、視界に湧いて出た数体のニーベルングに思わず舌打ちを漏らす。どれだけ追い払っても性懲りもなく冷やかしがやってくる。またサギの周囲をちょろちょろと旋回しては飛び去っていくだけだ。この命がけの冷やかしに何の意味があるというのか。
「ニーベルングって……そこまで馬鹿じゃない、よね」
ふと脳裏をよぎったことが口から漏れた。
「中には救いようのない馬鹿者もいます。知能指数の話でしたらお考えの通りです」
ハヤブサが執事のように律儀に答えてくれた。
「さっきから……ううん、最初から。気になってたことがある」
「何。思わせぶりなのやめて」
「あのニーベルングたちは、サギに“何か”を運んでると思わない……?」
 シグはすぐさま身を乗り出し、訝しげに目を凝らした。
 親鳥が自分よりも遥かに巨大な雛に餌を与える、献身的な光景だった。それがそもそもナギが抱いた違和感のはじまりでもあった。サギは雛ではない。餌と呼ばれるものも必要としない。そしてニーベルングは、意味のない行動をとることはない。
「ラインタイトを……運んでるのか? なんで」
シグは目にしたままを口にした。口にしながら一つしかない答えに辿り着いていた。背筋から全身の末端まで悪寒が走り抜けたのを感じる。伝染するはずもないのに、ナギも同じように身体を強張らせていた。誰かが言っていたのをこの局面で思いだす。自分たちが「魔ガン」と称するこの小型の爆撃機は、人に向ければその瞬間に殺戮兵器に早変わりする両刃の剣だと。それは否定の余地のない真実だった。よもやこうしてニーベルングから実証されようとは思いもしなかったが。
 サギは塔の中腹でただ機が熟すのを待っていたのだ。部下から運ばれるラインタイトを体内に蓄積し、サギという名の意思を持った魔ガンが完成するのを。
「お二人ともしっかり掴まってください! 急降下します!」
ハヤブサは言うが早いか頭を下にして真っ逆さまに落ちて行った。たった数秒前まで彼らが漂っていた宙を、光の玉が通り過ぎていった。それは宿舎塔に直撃し、塔の上から半分を吹き飛ばした。ナギもシグも、見慣れている爆発の仕方だった。しかし後に残ったその光景は、二人にとって、ここにいるグングニル隊員全てにとって見たことのない凄惨なものだった。
「低く飛ぶな! サギより上に行くようにあっちにも伝えろ!」
 低空飛行を保っていたハヤブサに向かってシグが怒鳴る。宿舎塔はおそらく試し撃ちだ、サギの目的は最初から主塔、その下に「居るはず」のニーベルングの王である。
「マユリたちは……!? まだ塔内に居るんじゃ……!」
「居てもどうしようもないだろ! あいつらが危機管理能力ゼロのボンクラ隊員じゃなけりゃ、とっくの昔に離れてる!」
 主塔から距離をとり、ハヤブサ、ミサゴの二対の戦闘機はほとんど垂直方向に急上昇した。ナギは風圧で抑えつけられた瞼をこじ開けてサギの姿を追う。