episode ii 救いのお求めは市場で


 手遅れだ。リュカは湿った地面の上でころげまわって酸欠状態である。仰向けになって地面を三度たたく。誰に降参しているのか。一方サブローは恐怖と自己嫌悪で心が折れたらしい、四つん這いになったまま動かない。
「……リュカ」
流石にサクヤも諭さざるを得ない。
「すいませっ……いやでも、隊長っ……サブさん、置いて行った方が良く、ない?」
息も絶え絶えのリュカの提案は内容としては一理ある。サブローは思案顔のサクヤの視界に躍り出てきて鬼気迫る勢いでいやいやを繰り返した。
「サクヤ隊長……後生ですから俺一人置いていくのだけは勘弁してください。ニーベルングなら、ニーベルングならじゃんじゃんばりばりじゃんじゃんばりばり狩りますから……!」
「そんなに出ないと思うけどなあ」
「え、どっちの話?」
「どっちとかねえって言ってるだろぉぉがあああ!」
再び涙を流しながら笑い果てるリュカ。暇だ暇だとアピールした甲斐あってか、ここにきて一気に遊び要素が目白押しである。今回はなのか、今回もなのか、とかく八番隊の緊張の糸というやつはたるみきっている。
「ひとまず入ってみないことには始まらないな……。みんな作戦の主旨を忘れないように、気を引き締めていこう」
 返事だけは良かったが、皆玄関の扉をくぐる頃にはアトラクションに入るとき特有の高揚感や期待感を垂れ流していた。入るなり感嘆や驚嘆をあげる面々を背景にして、ナギだけは未だに扉の前に突っ立って洋館の屋根付近を注視していた。それに気づいてシグが玄関前で立ち止まる。
「どうしたの」
「ん、何ていうか……。うまく説明できないんだけど、なんか変、じゃない? この家」
「まあ普通ではない」
「うーん、そういうことじゃなくて『家』としてなんか欠けてるっていうか、逆になんか無駄があるっていうか」
「よく分かんないな。違和感の正体が分からないなら注意して進むしかないよ」
一旦は納得してシグの後に続くナギだったが、玄関の扉をくぐる前にやはりもう一度見上げてしまう。この屋敷の違和感はおそらく古さではない。全ての苔や蔦をとっぱらったとして市内の荘厳美麗な邸宅のようにはならないだろう。何か根本的な部分が妙なのである。
 形ばかりの玄関ホールを中心として左右に廊下が伸びている。右の廊下に扉が三つ、左の廊下にも三つ、その奥に上がりの階段が見える。各出入り口を常に警戒しながら、二人一組で扉を開けていった。どの部屋にも共通していたのが埃かぶった調度品と簡素な机、その割に少ない椅子。本棚がある部屋もあったが、本自体が残っているものはひとつもなかった。
 一通り一階を探索し終えると、全員玄関ホールから階段に続く廊下の途中に集まって所狭しと円を組んだ。
「みんなはどう思った?」
上がり階段を見つめながらサクヤ。こういうときに真っ先に意見を述べるのはいつもシグだ。
「……リュカじゃないですが、いよいよ俺たちの範疇外って印象です。ここ、住宅とか別荘じゃないですよね」
「普通は一階にリビングだのダイニングだのがあるからな」
バルトも補足で参加する。一階にある六つの部屋は均一化された小奇麗な牢といった印象だった。今いる廊下にはこれでもかというほど窓があるのに、部屋の中には一切ない。ナギの持つ家に対する違和感は早々に皆に伝染することになった。
 サクヤは一度大きく唸って天を仰ぐ。
「気になることは五万とあるけど、僕らが調査すべきなのはあくまでニーベルングの鳴き声についてだ。それを念頭に置いた上で調査を続行しよう。ただし警戒レベルは最大限に」
各々異議なしとばかりに何度か頷く。
「ここからは分かれて探索する。シグには出入り口の見張りと屋敷周辺を任せる」
「了解」
「二階はバルトとリュカ、三階は僕とアンジェリカ、四階はナギ、マユリ、サブローの三人で。もしニーベルングを発見した場合は空砲後速やかに応戦。但し屋敷内での魔ガンの使用は極力控えてほしい。……破壊しちゃうからね」
「案外骨が折れるな。またどこそこに誘導ってことか」
「気に留める程度で構わない。いるとすればかなり小型のニーベルングだと思うから、僕やナギが撃たなくても何とかなるはずだ。ただ、もし部屋いっぱいに、ぎゅうぎゅうにでかいニーベルングが詰まってたとしたら……そのときは、玄関ホールに集まって対策を練ろう」
サクヤは至って真面目である。五メートル四方の部屋に箱詰め状態のニーベルング、意図は不明だがあり得ない話ではない。先日も時計塔の先端でオブジェ化しつつある訳の分からないニーベルングの対処にあたったばかりなのだから。
(二階の部屋全部がニーベルング祭りってこともなくはないか……)
広がる想像に唸り声をあげながら思案するサクヤ。彼らは自ら室内に? それとも新手の虐待なのか? それとも習性──
「サクヤ。ニーベルング以外のものが出た場合は? どうすればいい?」
ナギも至って真剣だ。サブローが顔面蒼白でびくついていようが、リュカが笑いを噴き出そうがお構いなし。
「え? ああ、何か気になるものを発見した場合ってことかい? そうだね、そのときは空砲二発で対処しよう」 
「なになに。ナギもひょっとして何か出るって感じちゃってる?」
「そういうわけじゃないけど。あり得ないとは言い切れないから」
リュカが面白半分、いや面白全部で擦り寄ってくるのを避けながらナギは淡々と返す。サブローは耳を塞いだ状態で謎の発声練習に勤しんでいた。
「……いやあ、ここ出ると思うよ、俺。隊長、そのときは空砲三発ね。サブさん聞いてる~? 三発撃つのよ~?」
「うるっせえな! 聞いてるよ! リュカお前帰ったら覚えてろよ……!」
温厚冷静なサブローを苛立たせることに限ってはリュカの右に出るものはない。そしてそのリュカを黙らせる手腕に至ってはバルトが一級である。
 ゴチン! ──鈍い、そして情けない音が響く。本日二度目のメリケンサック(勿論仕込んではいない)を脳天にくらってリュカは無言でうずくまった。
「そんじゃあ俺とリュカはこのまま二階を周る。サブローも両手に花なんだから、ちったぁ気合い入れろよ」
脳天を押さえたまま引きずられていくリュカ、サクヤの班分けはいつも様々な状況において適切である。バルトたちに続いて他の者たちも、細心の注意を払いながら振り分けられたフロアへ向かった。


 森の中の屋敷内、三階。一階とほぼ同じつくりで廊下が伸び、部屋が並ぶ。サクヤは自分で言いだしたはずの警戒心という言葉を、階段途中で放り投げてきたらしい。少なくともアンジェリカにはそう見えた。サクヤは閉め切られたドアのひとつひとつを実に無造作に開けていく。予想に反してどの部屋にもニーベルングはつまっていなかった。半ば残念そうに嘆息して、かび臭い室内に入る。
「この分だと二階も同じかしら?」
「たぶんね。何かの施設なんだろうけど……」
ほとんど空の整理棚と机の引き出しを物色する。アルバ教の経典が一冊、羽ペンが一本、動いていない置時計がひとつ。古い屋敷ならどこでもありそうなものが出てくるばかりだ。危険は無さそうなのでアンジェリカと手分けして各部屋を周ることにした。
「サクヤ隊長! ちょっと!」
隣り合った部屋にそれぞれ分かれた直後に肘を思いきりひかれる。片足でリズムをとりながらアンジェリカの指さす先を覗き込むと、次の瞬間には二人で顔を見合わせていた。その部屋の中央にある机にはレコードプレーヤーが残されていた。円盤が一枚、今の今までまわっていましたよとばかりに乗っている。実際そうなのかもしれない、ほとんど埃をかぶっていなかった。
「合唱同好会の練習施設っていうオチなら平和的でいいんだけどな」
冗談っぽく笑いながらサクヤはプレーヤーの針をとった。