紅一点になってしまったアンジェリカ、露骨に眉を潜める。
「その屋根裏にずっと潜んでたってこと? 何よ、盗賊かなんか……?」
「可能性はなくはない、けど彼らが持っていたのは魔ガンじゃないかと思う。憶測でこんなことを言うのはまずいんだけど、この場所でこんなふうに魔ガンを所持してニーベルングの咆哮を録音再生する連中に……心あたりが無いこともない」
「ひょっとして、今話題のニーベルング信仰団体……?」
口にしたのはシグだったが、全員が頭の隅で考えていたことだった。
ニーベルング崇拝を教義とする新興宗教はヘラ・インシデント以来徐々にその数を増やし、近年では各地に支部を構える大規模な団体も存在する。そのひとつが、彼らが話題に挙げた“レーヴァテイン”である。ニーベルングを神の遣い、あるいは神そのものとしてただ細々と崇てくれる分には一向に構わないのだが、件の団体はいわゆる過激派、反グングニルを教義に取り入れ度々妨害・暴力行為をはたらいている要注意組織だ。
「レーヴァテイン、か。良い噂は聞かねぇな。グングニル隊員を拉致ってるとか、裏ルートで魔ガンをかき集めてるとか……っておい」
「現在拉致されてる隊員が二名、隊長の見解が正しければ奴らが所持していたのは魔ガンで、屋根裏部屋に他にも仲間がいる可能性は高い。憶測とは言っても限りなく黒に近いグレーってかんじだね」
バルトとシグが揃って溜息をつく。面倒なことになった、というのが二人の共通認識だった。
彼らはグングニル隊員であり、ニーベルング討伐を生業にしている。そして彼らが特別な訓練と特別な許可を得て使用しているこの“魔ガン”は当然対ニーベルング専用兵器であり対人に用いることを許可されていない。規約違反などという生易しいレベルではない重罪になる。サクヤが血相を変えてリュカを制したのはそういう理由からだ。
「過激派といっても一般市民だ、そもそも僕らには交戦権がない。下手に闘り合えば中傷の的になるだけだし、彼ら相手に魔ガンも使えない」
「何だ、どうすんだ。ほんとにお手上げじゃねえか」
片眉をあげて首を竦めるバルトに対して、サクヤは悪戯っぽく笑う。のんびり腰をあげて少し離れたところでこそこそ作業をしていたサブローに確認をとった。
「魔ガンが駄目でもすべての武力が封じられているというわけじゃないさ。八番隊の良いところは、隊員から魔ガンを差し引いてもただの人間にならないところだ」
既に物理的な意味で魔ガンを差し引かれているサブロー、どこからどう見ても「ただの人(役立たず)」だが、最低限の仕込みは施していたらしい。サブローは奪われた自身の魔ガン「フライア」に盗聴器と発信機を仕掛けていた。親機のレーダーにはしっかりと座標が表示されている。
「なぁんだサブさん、やることはやってんじゃんっ」
「妙な言い方するな。とりあえずあっちの状況をある程度把握しとかないと動けないからな。隊長、いいですか」
サクヤが黙って頷くと、サブローの周りに隊員たちが寄り集まる。小型スピーカーから雑音混じりに人の会話が漏れてきた。主に喋っているのは穏やかな、いや穏やか過ぎて不快を誘うねっとりとした口調の男だ。
「サブローが接触した奴に声の主はいるかい」
「いえ、どいつでもないと思います。でもどっかで聞いたことあるような……」
そういえばという顔をして耳をそばだてる面々。無音の不気味な森は、こういう状況下では実にありがたいものだ。スピーカーからは朗読でもしているのかとつっこみたくなる抑揚のある声が流れつづける。
「分かった。俺、分かっちゃったわ。こいつ代表だよ、レーヴァテインの。この間ラジオでこのねばねばボイス垂れ流してた」
リュカがうんざり顔で立ちあがった。否定する要素はない、皆合点がいったように小槌をうつ。元々の性分なのか演説口調なのかは分からないが、とにかく一言一句が大げさだ。
「シスイ・ハルティアね。レーヴァテインのカリスマ代表。まだ若いし、そこそこの二枚目だって話じゃなかった?」
「知るかよっ。なんだ、そこそこの二枚目って。余計な情報を混ぜてくるな」
勢い余って強気に返したバルトだったが、アンジェリカの冷めた笑顔の上には青筋が浮いている。リュカやサブローには強いバルトもアンジェリカには頭が上がらないようだ。小さく「すみません」と呟いて口ごもった。
『それで、ニーベルングを集めて……? どうするの。ニーベルング園でも運営するつもり?』
「ナギだ」
ねっとりボイスを遮断するような形で、ナギの嘆息混じりの声が響いた。心なしかいつもより早口だ。シスイと思われる鼻で笑ったような吐息がかぶさる。魔ガン「フライア」は彼が持っているか、そうでないとしてもかなり近くにあるようだ。
『私たちは、あなた方グングニルのようにニーベルングを捕えたり、ましてや傷つけたりなどしません。人類にとってそれは何の益ももたらさない。どうですか? あなたはニーベルングを狩りだして何年? ニーベルングによる強襲は減ってきましたか? ……答えはノーだ』
シスイの言葉には迷いがない。サクヤは無意識に口元に手をあてていた。この男と自分とでは立場も行動も、ついでに足すと口調もまるで反対だ。それなのにどこか似たような論理の組み立てをする。言葉の端々にそれを感じることができる。もうしばらく黙って、彼の講釈に耳を傾けることにした。
屋根裏という手狭なイメージとはほど遠い、屋敷の五階部分は四階までの古臭さが嘘のように美しく磨き上げられ、必要な調度品が揃えられていた。オレンジ色の柔らかな明かりの間接照明、小さめの窓がひとつ、装飾の夥しいティーテーブルが一軒、そこから少し離れた長椅子にナギは座っていた。マユリの姿は無い。後ろ手に縛られるという何とも古風な方法で拘束されているが、これが案外きつい。長いこともがいていたが縄が緩む気配は一向に無かった。
目の前のテーブルには淹れたばかりの紅茶が二つ、そして魔ガンが三丁。ティーカップの一つに口をつけている端正な顔立ちの男がシスイだ。所作のひとつひとつに気品や優雅さがある。緩くひとつに結った腰まである長い髪はしなやかで、後ろ姿だけ見ると女性のようでもある。ただ華奢ではない。見た目だけで判断できる人物ではなさそうだった。
「ニーベルングを喚ぶための決まった鳴き声というものがあります。もっと細かく何のためにどこまでの範囲を招集するという風に鳴き方を分けるそうですが、我々が録音できたのは一種類だけです。目的は対話のため」
「……対話? ニーベルングと」
「想像もつきませんか。グングニルにとってニーベルングは害虫と同じですからね、発見次第息の根を止める。シンプルで分かりやすい、それなりに達成感もあり多くの人に喜んでもらえる。だから少しばかり矛盾や齟齬があっても目をつむっていたくなる。考えることを放棄したくなる」
「矛盾してるのはそっちでしょ。グングニルが嫌いなら何で魔ガンなんかをそんなに集めてるの。それはニーベルングを殺すための兵器よ」
「だからです。グングニルが天狗になっているのは、一重にこの魔ガンの開発技術と使用権利を独占できているからだ。あなた言いましたね、これは兵器だと。ニーベルングにしか効果がない? こうやって人に向ければその瞬間に対人兵器でしょう」
シスイはティーカップを持つのと同じような流れで、ごく自然に魔ガンの銃口をナギに向けた。微動だにしないままナギは息を呑んだ。この男は、魔ガンの扱いに慣れている。撃たれないと分かっていても冷や汗が背中を伝った。
「……失礼。あなたを脅かすつもりはありません。私は魔ガンも嫌いですよ、人が持つには過ぎた代物だ。こういうものがあるから、世界の頂点は人間だと錯覚したくもなる。ナギさん、あなたはどうです。この世界の頂点は我々人間だと思いますか?」
「宗教勧誘のつもり……なら無駄、ですよ」
答えながら何かとてつもない違和感に駆られた。焦燥にも似た、通り過ぎてはいけない何かを見過ごした感覚。シスイは眉ひとつ動かさず穏やかな微笑を携えたままだ。
「単に世界の頂点は人間ではなかったと、認めてしまえばいいのです。ニーベルングという我々よりもはるかに高尚な、神格とも言うべき存在にきちんとその座を譲る。その上で共存する道を進む、それが我々人間に与えられた正しい選択肢です」