耳触りの良い言葉が並ぶ。しかしそれが本当に耳触りが良いだけの中身の無い言葉なのか、ナギには判断しかねた。共感してしまう自分もいる。過激派といわれるレーヴァテインの行動理念は、実はどの新興宗教より──グングニル機関よりも軸のぶれないものなのかもしれない。
「ナギさん」
シスイの唇が自分の名前の形に動く。それを目で追って、ようやく気がついた。
私、この男には名乗っていないはず……──冷や汗が大量に背中を伝う。身分を証明するものは何ひとつ身につけていない。そもそもシスイは自分に触れてもいないのだから、あったとしても用を成してはいないはずだ。だとしたら初めから知っていて、理由があってマユリと部屋を分けられている──?
「あなたは人類で唯一、ニブルヘイムに住むことを許された人だ」
「は……?」
「その選ばれし資質で私たちを導いてもらいたい。いや、そうしてもらう必要がある。あなたは共存の要、人類を正しく導く巫女なのだから」
フォールバングの森、ブナの木の下に座りこんだまま八番隊はただただ沈黙を守っていた。スピーカーからは未だに詩吟のようなシスイの講釈が流れている。サブローが意を決して勢いよく立ちあがった。
「なんか話がトリッキーな方向に爆走してたけど……なんだ、ニブルヘイム? ニーベルング王国ってことか?」
「さあな。その辺はレーヴァテインさんにきちっと寄進して教えてもらいな。俺にはわけのわからん屁理屈でナギを口説いてるようにしか聞こえなかったがな。……理屈がどうだろうと、ぶっとんでる連中だってことは確かだ、正攻法じゃまずいんじゃねえか」
話の途中から口をへの字に曲げていたバルト、傍聴を打ち切ったサブローに胸中で称賛を送る。耳の穴をほじりながら視線は未だに考察中のサクヤに向ける。今回はどうもテンポが良くないようだ。かといって自分に良い案があるというわけでもないから困る。待つしかないかと腹をくくった矢先。
黙って弾込めをしていたシグが立ちあがる。
「俺がもう一度潜入して二人を救出に行きます。あっちが仕掛けてきたんだ、応戦できないなんて馬鹿げてる」
目が座っている。シスイの言動やらサクヤののんびりした対応に我慢の限界が来たらしい、シグは案外しびれを切らすのが早い上にこうなったら手がつけられない。皆が呆気にとられている中でいち早く我に返ったバルトが慌てて制した。
「待て待て待て待て待て、早まるなっ。おい、隊長……っ」
サクヤは膝やブーツに着いた枯葉を落としながら、やはりゆっくりと立ちあがった。
「駄目だ。許可しない」
そして静かに諌める。シグは厳しい眼差しで次の言葉を待ったが、サクヤはそれきり口をつぐんでいる。
「あいつらは普通じゃない。殊グングニル相手だと、見せしめのためにあり得ないことまでやる。二人に何かあるのは、俺は嫌です。行かせて下さい」
「……シグ。二度は言わない」
「何でですか! 規定なんかいつも平気で破ってるくせに……! なんでよりによって今それにしがみつくんです? 今さら保身に走るなんてどうかしてる!」
「シグ! わきまえろ!」
バルトの怒声が飛ぶ。サクヤは顔色を変えず、シグがただイエスと言うのを待っているようだった。その無言の威圧を撥ねつけるように、シグも黙ったままサクヤを睨みつけた。
意地の張り合いで一分が経過、折れたのはサクヤの方だった。
「……グングニルとレーヴァテインの関係は思ってるよりシビアなんだ。どちらも世論を味方につけようと躍起になってる。そんな中で八番隊が引き金になるようなことがあったら、今までのように僕個人への勧告だけじゃ済まない。……全員で西部戦線への異動願いを書くことになる」
西部戦線、ニーベルングに占拠された形ばかりの防衛線。グングニル内ではタブーの一つとされるその単語に、場は一瞬凍りついた。八番隊の規定を破っての好き放題が許されているように見えるのは、一重にサクヤの手腕によるものだ。そんなことは隊員全員が知っている。今回のケースはその領分を越えるということなのだろう。
シグは奥歯を噛みしめた。書けと言われれば西部戦線への異動願いくらい書くし、行けと言われれば、言ってさえくれれば一人でだって二人の救出に向かう。しかしサクヤが絶対にその手の命令をしないことも知っている。今にも走りだしそうな感情と、留まれと両脚で踏ん張る理性がシグの中で巨大なジレンマとなって渦巻いていた。
そんな折、晴れていた空が急に翳る。思わず顔をあげた面々、視界を悠々と横切って行った例のアレの姿に、鳩が豆鉄砲をくったような顔になる。今回もなかなか立派な羽を持つニーベルングのご登場である。屋敷の方角で好戦的な雄叫びが何度か轟いた。
「隊長。流石にアレ相手では魔ガンなしだと我々は『ただの人』です」
丸腰のサブローが半分涙目で肩を竦める。そんな彼とは対照的に、サクヤはニーベルングの姿に光明を見出した。今回ばかりは奴は最強の助っ人かもしれない。
「いや、好機だ。便乗しよう」
「は?」
先刻の一触即発ムードもどこへやら、サクヤとシグは揃って機敏に魔ガンのチェックを始めた。ニーベルングが屋敷の方へ飛んで行ったのは明白、おそらくレコードの咆哮に呼び寄せられてやってきたのだろう。
「なんてことだ。やはりこの森にはニーベルングが潜んでいたんだな。屋敷を襲撃してるようだ。全員で包囲して、できるだけ派手にやっつけよう」
サクヤがいきなりミュージカルの台詞でも読むように状況説明を始める。棒読みで。
「そうですね。屋敷は四階建て、できれば屋根付近に追いやって集中砲火を浴びせたいところです。そう言えば今日は調子が悪いので、結構ガンガン外すかもしれません」
シグも合わせたつもりなのだろう、素知らぬ顔で「五階を爆撃」発言。彼に言わせればそれは全てたまたま行われるらしい。偶然に偶然が重なってミルフィーユ状になった結果、ニーベルングに当てようと思った弾がほとんど全て五階付近に着弾する予定である。
一番肝を冷やしていたバルトが、くっくと忍び笑いをこぼす。
「こっちはニーベルングと交戦中。流れ弾に当たっても責任は持てないっと」
「いや、流石にそれはまずいよバルト。バルトとリュカは極力いつも通り応戦してくれ。ニーベルングには申し訳ないけど、なるべくだらだら長引かせてほしい」
「隊長、私は?」
「アンジェリカとサブローはナギとマユリの救出を優先、僕はどちらにも対応できるようにシグの攻撃後に屋根から応戦する。対象は……あ! そうだ大事なことを忘れてた!」
作戦指示が軌道に乗って来たところで自ら腰を折るサクヤ。神妙な顔のまま数秒固まる。
「ミミズク……森だから。ミミズクにしよう! 決まりだ! 今回の討伐対象は“ミミズク”、八番隊の仕事にしては時間がかかる予定! 各自作戦の本質を肝に命じて行動してくれ、散開!」
小気味の良い返事の後隊員たちは森を駆ける。先刻しっぽを巻いて逃げてきた洋館に向かって、ある者は鼻唄混じりに。ある者は魔ガンのセーフティーコックでリズムをとりながら。
「今回もでっかいじゃないの~。相手にとって不足なしってねー!」
リュカの「ヴェルゼ」はバーストレベルの高い魔ガンだ。サクヤ、ナギ同様小型のニーベルングであれば一撃で致命傷を負わせることも可能な威力がある。ただしそれはあくまで数値上の話だ。実践ではニーベルングは縦横無尽に飛び回る上、賢い者は防御態勢もとるから一発で撃沈させるのは到底無理だ。
「ごちゃごちゃ言ってないで、いい塩梅で当てろ。……っていう細かい調整はお前には無理か」
「バルトだってそんなに当たんないだろー! 俺は普段通り撃ってればだいたい手足に当たるようになってんのっ、だから普段通りでいいのっ」
表面積の広い、例の屋根付近を旋回し続けるニーベルング“ミミズク”。図体の割に機動性に長けているようで、リュカの渾身の一撃を踊るように華麗にかわす。
「あれー……っかしいなあー……」
「どけ、俺が一発──」
「バルト、リュカ、どいて。中身あぶりだす」
シグが二丁の魔ガンを素早くコッキング、構えたかと思うとほとんど狙いを定めず撃って撃って撃って撃って撃ちまくる。一発一発微妙に照準をずらして五階の壁をまんべんなく爆破した。さながら人力ガトリングだ。威力は低めだからフロア倒壊には至らない。シグが宣言したように中身に恐怖心を植え付ける程度だろう、それで十分だ。
「グングニル……! どうなってんだよ、あいつら撃ってきたぞ! 一般人には攻撃しないんじゃないのか!?」
「気でも触れたんだろう! 避難しようっ、このままじゃ殺される!」