「さて。物凄いことになったが」
女性陣が教会に入ったのを見届けて、バルトは砂埃の舞う乾いた地面にお構いなしに胡坐をかいた。それに倣って他の連中ものろのろと座りだす。サクヤも口元に手をあてたままスローモーションで着座。
「完全避難区域だよな。リアルすぎる亡霊じゃない限り、あの子はここで一人で生き残ってしまった、っていう解釈でいいのか」
「サブさんの口から亡霊って言葉が出たことに俺は感激してる」
「馬鹿か、茶化してる場合じゃないだろ……。考えてみろ、イーヴェルが墜ちたのはいつだ? ちょうど一年前? ……一年前からグングニルはあの子を放置してきたってことだぞ」
「あー、あれか。名誉挽回に来てまた踏むしかない地雷に囲まれてるパターン」
「何を他人事みたいに……」
サブローは頭を抱えてうずくまった。二番手はバルト。どっかり座って落ち着き払っているのは、哀しいかなこういう状況に耐性ができてしまっているからだ。諦めと言ってもいいが。
「生き残った、なんてのはそもそもあり得んのか。孤児かなんかが流れてきて、たまたまここに住み着いたってのは考えられないか」
「十キロも歩けばウトガルドがあるのに? あそこはグングニルの支給が届いてるし、そういう施設だってある」
シグは立ったままでバルトの考えを一蹴。バルトはそれもそうかとあっさり引き下がったが、シグは自分で言いながらどうにも腑に落ちない点を抱えていた。それを口にしていいかどうか、実は少し前から迷っている。
「ってなるとあれだよなー。まるで“ヘラの生き残り”みたいになっちゃってるってことだよなー。なんだかんだで壊滅したとこには、こんな感じで生き残りが……って、何。俺なんかまずいこと言ってる?」
自分の発言に一切迷いを抱かない男、リュカ・バークレイ。言ってから吟味する(残念ながら手遅れの場合が多い)のが彼のやり方だ。シグの胸中と内容的にはほぼ同じことを、随分あほくさく紹介してくれた。シグは諸々の理由からくる嫌悪感の全てを、一発の嘆息に詰め込んで吐きだす。
「あっさり言ってくれるけどなあ……」
それ以上は口に出すまいと決めた。リュカだからというわけではない。問題の複雑さや深刻さをここで説いてみたところで、無駄な労力と時間を消費するだけだ。それらを多少なりとも理解している輩は先刻からずっと小さく唸りっぱなしである。サクヤも無論、その部類だ。
「正直、状況は限りなく近いかもしれない。実質僕らが考えなければならない問題も一致している。あの子は保護する、これはいいね? ……ただ、公式にか非公式にかは少し考える必要がある。人としては迷いたくない選択なんだけど」
苦笑するサクヤ、皆が同意を示す中でシグだけは少し違うことを考えていた。サクヤの中では揺らがない部分にシグはもうひとつの選択肢を設けている。これについては口にするかどうか全く迷わない。シグは皆と同じように頷いてサクヤに同意を示した。
結局その後しばらくは無意味ともいえるシミュレーションを繰り返した。何を話しても憶測の域を出ないから、どうしてもそこに自己の感慨みたいなものを足してしまう。画期的な結論も出せないままに沈黙の時間が長引くようになった。そこへようやく救いの手。教会の扉がぎこちなく開かれた。中からマユリが派遣されてくる。八番隊一ゆるいのがメッセンジャーということは、少年の懐柔は概ねうまくいっているというところか。
「どうだった」
学生の談合のように地べたで円になっていた男性陣、サクヤがいち早く立ち上がる。
「どうというかねー……。隊長? あの子、喋らないんだよ。喋れないのかもしれないけど。あと、たぶん眼が見えてない。……アンちゃん曰く、テンテンテイ? かニブルの影響かは分かんないって」
サクヤは座ったままの連中と顔を見合わせた。予定と違う。マユリの緩い口調で緩い報告を聞くはずが、どうにもそぐわない内容だ。アンジェリカはおそらく先天性と言ったのだろうが、もうそういうレベルの突っ込みが追い付かないほど状況が駆け足で悪化している。
「何か情報はないの」
「見た方が早いと思う。凄いんだよ教会の中さー、地下、シェルターになっててね。なんていうんだっけ、……カタコンベ? ってやつ。食糧とか最近まであったっぽいんだよね」
「……“イーヴェルの生き残り”説、いきなり超有力じゃん」
「見た方が早いんだろ、行こうぜ」
バルトが爺臭い掛け声とともに立ち上がる。その隣ではサブローが思い出したように考え込んでいた。
「おい、サブロー。聞いてたか?」
「うん? いや、どうしても考えちゃってさ。あんな子どもがたった一人生き残るってのは……どうなんだろうなって。幸運と呼べるのものなのかな」
「……やめとけ。そういうのは当事者以外が考えだしたらアウトだ。経験した者にしか分からない世界の観え方ってのがある。外野がどうこう判断するものじゃねえよ」
「そうなんだけど、さ」
バルトの言葉が重い。自分たちも少なからず、他人と共有できない特殊な経験をしてきている。それぞれにに、だ。だから彼の言い分は骨身にしみて分かるはずなのだが、言うほどさっぱり割り切れないのもまた事実だ。バルト自身も自らに言い聞かせているようだった。
サクヤが教会の重々しい扉に手をかける。その瞬間に何かが脳裏をよぎったらしいマユリが小槌をうった。
「あ、それと。ナギちゃんダウンした」
「はあ?」
これにはシグが反応。内容もさることながら、どうしてこうマユリの優先事項はことごとくずれているのか。サクヤも思わず扉に手をかけたまま一旦静止する。
「暗くて狭いところは駄目なんだって」
「なんだそれ初耳……閉所、いや暗所恐怖症ってやつ?」
ニーベルングは当然といえば当然だが、幽霊も爬虫類も害虫諸々全く恐がらない大自然系女子に恐いものがあるという事実が、皆には意外だったらしい。心配より驚きが先行した。
「状況によっては、あの子を保護してそのまま帰還っていうのも視野にいれておく必要があるか」
今回の作戦の本質を思い返すなら、できればそれは避けたい。ジレンマを抱えたままでサクヤはようやく手をかけたままだった扉を押し開いた。
内部は思いのほか明るかった。大きな天窓から太陽の光がさんさんと降り注ぎ、礼拝堂を照らしていた。ただ羅列した長椅子や床板はおそろしく埃っぽく、中に入るやいなや黴臭い陰気な空気が鼻の粘膜をついた。中央にある説教台の位置が意図的にずらされている。足元に見える地下への階段が「カタコンベ」の入り口なのだろう。こちらからは明かりと呼べそうなものは一切もれていない。緊急時に救いを求めて下るはずの階段は、客観的には地獄への入り口のようにしか見えなかった。興味はあったが今は生き証人の方を優先する。
「アンジェリカ。その子、少し話せるかな」
入ってすぐに目に入ったのはアンジェリカと例の少年だ。説教台の横の長椅子に二人で腰掛けている。
「隊長ならまあ……大丈夫だと思いますけど。会話になるかどうかは」
「アンジェリカも居てくれた方がいい。それと、ナギは?」
アンジェリカはサクヤの後方、つまり入り口側を指さした。長椅子の最後尾、一番端にナギは置物のように座っている。
「サブローとリュカは周辺を見張ってくれ。バルトとマユリは二階から監視、シグはナギを頼む」
「は……俺ですか」