よりにもよって──指示を出したサクヤをはじめ各自機敏に行動を開始する中、シグは一歩も二歩も出遅れた。こういうときの適任であると思われるサクヤとアンジェリカが最重要参考人につきっきりなのだから仕方ない。視界の端で少年への質問が投げられているのを気にしつつ、シグはナギの隣に無言で腰掛けた。最初の言葉が見当たらない。いつも通りの直球ストライクでいくのがまずいことだけは何となく分かっているのだが。
「前回に続き役立たず過ぎてぶっちゃけ引く」
いきなりかなりの辛辣な言葉が飛び出した。シグが思わず眼を剥く。いやいやいやいや、自分はまだ一言も発していない。死人のような顔をしてナギが呟いたのだ。
「……とか思ってるでしょ、絶対」
「俺をどこまで人でなしだと思ってんの」
ナギは青い顔で悪戯っ子のように笑った。シグはしまったと思った。励ますとか元気づけるとか、とにかくそういうフォロー的な役割を期待してサクヤは自分に指示をしたのだろうがこれではまるで逆である。
「暗いの……とか、狭いのが駄目なわけ? それとも、ここ限定?」
シグの視線の先で、地下への穴がぽっかりと口を開けている。
「どっちも揃うと、かな。そういうところに自分が居ると、何か取り返しのつかないことが起こる気がして凄く、怖くなる。……古い教会は警戒してたんだけどな。シェルター代わりにしてるカタコンベが多いから」
「俺が問題だと思うのは──自覚があるのに、ナギがそれを誰にも知らせていなかったってとこじゃないの。隊長でもアンジェリカでも……別に俺でも、知ってれば防げた。一人で頑張りすぎ。マユリとかサブローさんとかもっと見習えば?」
つまり、自分の弱みは最大限周囲にアピールしておくという点でだ。
シグは淡々と話しながら、途中で大きく嘆息した。これは自分に対してだ。偉そうに説教するつもりは毛頭無かったのだが、どうしても根拠のない「大丈夫」だとか「気にするな」だとかの常套句が出てこない。ナギはそんなシグの胸中を察して、申し訳なさそうに小さく笑いをこぼした。
「そうだね、気を付けないと。一人で何でもこなせるわけじゃないから、私たちはチームを組んでるんだもんね。そういうシグの弱味も把握しておこうと思うけど、何かある?」
「……探せばあるんじゃない。思いついたら、まぁ、報告するよ」
「それずるい……。あ、じゃあ一個質問。教会に来て思い出したんだけどシグってさ。どうせずっと寝てるくせに必ず日曜のミサに出るでしょ。あれって、何でなの? 単に習慣ってわけじゃないでしょ」
少しは調子が戻ったのだろうか、血の気の失せていた顔にナギらしい活発な表情が出る。何かをかなり期待しているようだが、シグは片眉をあげてその期待を粉砕した。
「いや別に、単に習慣。っていうか逆。ミサに行ってるんじゃなくて、寝に行ってる。俺が寝てるときにあっちが勝手にミサやりはじめる」
「素敵なご趣味をお持ちで……じゃなくて、何でよりによってわざわざ教会で寝るの……?」
「え? 何でって……」
シグにとっては思ってもみない質問だったらしい。間髪いれず応えようとして凝固した。本人が言うように習慣に特に理由などない。しかし傍から見たら特殊な習慣であることは確かだ。
「なんか、落ち着くから。ここだけがちゃんと綺麗な場所のような気がするから。……それだけ。特に意味なんかないよ」
「落ち着く、か。そういうものなのかな。私はなんか……逆なんだよね」
「興奮するってこと?」
「……馬鹿じゃないの」
半眼のシグよりも更に眼を座らせて、ナギは小さく掛け声をあげて立ち上がった。
天窓から降り注ぐ太陽の光、それを反射するステンドグラス、ラインタイトを貼りめぐらせた神像、美しいと言えば美しい。穢れの無い神聖な場所であると言えばこの上ない場所なのだろう。しかしナギにはどうしても、単純にそう思えない何かがあった。カタコンベの闇がナギの不安や恐怖を具現化したかのように、視界の端に禍々しく存在している。しかしいつまでも怯えているわけにもいかない。説教台の傍に座りこんでいるサクヤたちのもとへ足を進める。
「ナギ、大丈夫なの」
「うん、まあ何とか。それよりどう? 何か分かった?」
かぶりを振るアンジェリカの横で、少年は微動だにせず床を見つめていた。単に俯いていたと言えばそれまでなのだが、声のする方へ顔をあげるだとかの積極的な動作が彼にはないようだった。誰が何を問おうが、あるいは自分にどんな形で触れようが、さほど気に留めていないように見える。
「サクヤ。提案があるんだけど」
「うん?」
「今回は、このままこの子を連れて引き上げられないかな。この子に今一番必要なことって、あったかい食事とあったかいベッドなんじゃないかと思う」
「そうだね。僕も、そう思うよ」
ここは寒すぎる。いくつかの割れた窓からは絶えず隙間風が入ってくるし、地下のカタコンベは単純な外気の冷たさとは違う独特な冷気が充満している。唯一の希望の光のように見えるこの天窓からの光も、この少年には見えていないというのならなおさらのことだ。
ナギはゆっくりとひざまずいて少年の鶏がらのような体を抱き寄せた。
「いろいろ質問攻めにしちゃってごめんね。ずっと一人で頑張ってきたんだもん、ゆっくり休みたいよね。しっかり休んで、体調を万全にして、そうしたら少しだけ話を聞かせて?」
少年からの返事は無い。頷くでもかぶりを振るでもない。その代わりに、ひどく弱々しい力でナギの体を抱き返す。それが少年が初めて見せたまともな反応だった。サクヤとアンジェリカが顔を見合わせる。
「ハグか。盲点だった」
惜しげもなく舌打ちするアンジェリカ、これはサクヤも苦笑いで制する。
「撤収しよう。シグ、アンジェリカ、皆に連絡を──」
バンッ! ──招集するまでもなく、サブローとリュカがなだれ込んできた。劣化した扉を全く気遣うことなく開け放つ。アンジェリカが呆れかえって文句を言おうとしたのも束の間、リュカが入って来た時とは打って変わって丁寧に丁寧に扉を閉めた。
「どうした」
「まずいよ、囲まれてる。俺たちの目視だけで三体だ、たぶんもっと出てくる」
サブローの息が早くも上がっている。体力不足からではなく極度の緊張からだ。何が、に当たる肝心な情報はサブローの口から発せられなかったが、ここにいる誰もがその必要性を感じてはいなかった。
「三体、か」
「サクヤ隊長~上~上来て~! ヤバイかもよ~、見た方が絶対早いからっ」
マユリが階段の手すりから身を乗り出して大手を振っている。言われるまでもなく、サクヤは既に階段を二段飛ばしで駆けあがっていた。二階の小窓から覗いた先、ニーベルングが住宅屋根の上を旋回していた。それも二体。
「……五体」
「目視だ、当てにはならんぞ」
バルトは早くも魔ガンの装弾を確認していた。サクヤは直近の自分たちの行動パターンを模索、反芻しながら今度はゆっくりと下りてきた。最期の一段を踏むのと同時にあらかた方向性を定めて頷く。
「ナギ、本部に信号を打って最寄りの中隊に応援要請。どれだけかかるか分からないけど、その間に二体……いや、三体は確実に片づけよう」
「了解」
「ナギはそのまま、その子と教会に残ってくれ。シグは教会周辺の守備。残りは時間稼ぎもかねて撃って出る。ここを拠点としてバルト、マユリは西側、リュカ、サブローは北側、アンジェリカは僕の補佐を頼む」
「うえ~、了解」
マユリが苦虫をかみつぶしたような渋い顔で敬礼、それを見たバルトが顰めつらを晒す。
「うえ~はやめろ。傷つくっ」