「違うよぉ。バルトじゃなくてニーベルング。団体さんは嫌だなーって」
「俺は寧ろ相方に不服。リュカ、いいか? 当てろよ? 何の撹乱もパフォーマンスも一切いらないからな?」
リュカは気だるい生返事だけして自らの魔ガンの調整に集中していた。
八番隊の誰にしても、サクヤが想定していた以上の動揺を見せる者はいなかった。それには少しだけ安堵してしまう。通常は一体のニーベルングに一個小隊で討伐にあたる。複数なら一個中隊で、それ以上となると既に通常の域を脱してしまっているが支部総動員という態勢をとる。いずれにせよ、今が八番隊単独で対応すべき状況でないのは確かだ。
「行こう。ただ、みんな無茶はしないでくれ。応援が到着するまで最低限やるべきことをやっておくだけだ。いいね?」
皆がしっかりと頷くのを確認して、サクヤは微笑んだ。
「それじゃ、各自散開。できるだけ無傷でまたここで会おう」
「隊長、だからそれ死亡フラグですって」
シグが笑いを噛みしめる。手元では二丁の魔ガンをコッキングしながら、視線は既に扉の先の光景を見越して研ぎ澄ませておく。といったふうに、かなり器用に独立した運動を同時並行させている。軽口をたたきながらも脳内ではまた別のことを考えているのだろう。
サクヤが扉を開けた。たった数分前まで風の音だけしかしなかった死んだ街は、獣の雄叫びがあがる廃墟のジャングルと化していた。
戦闘開始の狼煙はサクヤの魔ガン・ジークフリートから上がった。教会を出てすぐ前方、民家の陰に潜んでいた一体が悲鳴をあげながら長い首を上下左右に振りまわした。直撃したらしい、体中を勢いある炎が取り巻いている。花壇に踏み入って、昼間サクヤが採取していたどす黒い花を蹴散らしていた。
それから各自持ち場に分かれて、それぞれの場所で魔ガンの轟音が響き渡るようになると教会に残っていたナギはテキパキと救援要請信号を送った。本部の指令室から中部支部へ連絡がいくまでそうかからないはずだ。問題は、各部署がどんなに迅速に動いたところで一個中隊規模の応援が到着するには一時間以上が要されるということだ。
「後は神のみぞ知る、か……」
ナギは斜め上から見下ろしてくる神像を見上げた。人々が祈りを捧げるための神を模した白い像。中は石膏と少量のラインタイト、つまり空っぽだ。神や神の御使いが、この像をより代に降臨してくる、らしい。それも気まぐれに。イーヴェルが崩壊したとき、神は不在だったのだろう。そして今、この石膏像の中に神は宿っているのだろうか。
「真面目に祈ってもないのに、それは虫がよすぎるか」
埃かぶった神像に向けて、ナギは独りごちて自嘲の笑みを浮かべた。ここにはカタコンベに守られていた少年と、記憶にある中ではミサに参加もしたことない女と、先刻まで合わせればそのミサで爆睡する男が集っていただけだ。もちろん皆、特別神を冒涜するような真似はしないしそういう意識もない。ただこの石膏像を崇めても救われなかった経験を、皆それぞれの胸に抱えてしまっているというだけの話で。
神像は天窓から降り注ぐ太陽の光を一身に浴びていた。ナギは照らされる神像を見つめ、少年はそのナギを見上げていた。戦闘が始まったことは察しているはずだが、不思議なことにカタコンベに逃げ込もうとはしない。ナギとしては助かる判断だった。
「もしニーベルングがここへ来ても君はじっとして椅子の下に隠れてて。大丈夫、こういう明るいところでならお姉ちゃんこう見えて、けっこう強いんだからっ」
精いっぱい笑って、大してない上腕二頭筋をひけらかした。少年の眼に見えてなくても別にそれでいい。彼はナギの方に顔をあげていたから、それだけで伝わるような気がした。この石膏像もそれくらいの気は利かせてくれるかもしれない。
『こちら北東側サブロー。大変珍しく、早々にリュカが一体やりました。どうぞ』
『大絶賛希望~! どうぞ!』
通信機にサブローの冷めた声と、リュカの弾んだ声が入る。ナギは待った。誰か、大変に余裕と優しさと慈しみのある誰かがきっとこの通信に応えてくれるはずだ。そう思いながらまたもや神像を見上げてしまった。
『うるせえええ! くだらねぇ報告で通信乗っ取るんじゃねえよ! 場ぁ弁えろ馬鹿どもがあっ! こっちは! 二体! びゅんびゅん……びゅんびゅん……飛んでニブル吐いてますどうぞ!』
大変に余裕の無い、優しさと慈しみを戦闘中に投げ捨てたバルトが叫んでいる。最後の方は生々しい実況中継のようだ、やけにリズム感満載。
『バルト。監視塔から見える位置に煽ってくれ。二体まとめてこっちで何とかする』
『は? はあぁ? ちょ、隊長っ。これ以上こっちに集めないでください、相方私ですよ? 分かってます?』
『墜とすだけならジークフリートだけでやれるよ』
アンジェリカの奇声は、暗に「ナギの援護はないけど、そこんとこ分かってんのか」という主旨である。通信を通してこれでもかという嘆息を全隊員にお届けしてくれるアンジェリカ、お疲れ様というかご愁傷様というか。
ナギは横目で少年を見ながら通信機を手に取った。アンジェリカと代われるならその方が良いのではないかと思ったからだ。しかしサクヤが彼女をここに留めたことには意味があったし、実際サクヤが想定していた最悪の状況に事態は少しずつ進んでいた。
『ナギ! いるよな! 戦闘準備はできてるか』
シグの声が珍しく弾んでいた。リュカのように嬉しさからではない。話しながら二丁の魔ガンを連射しているらしく、彼の通信は爆音で聞きとりづらいものになっていた。
「できてる。どうぞ」
『隊長すいません、何体か教会方面に逃がしました。ナギに指示を』
「何体かって……、ちょっとシグ! 一人で何体相手してんの!?」
『うるさいな! さっき自分で言ったばっかだろ、自分の心配してくれ! こっちはもう後ろに構ってる余裕なんか一切ないんだよ!』
ナギは二階に駆け上って入り口側にある窓から爆音のする方へ目を凝らした。砂煙がもくもくと立ち昇るばかりで視界が悪い。
『ナギ、二階入り口側に開閉式の小窓がある』
「今見てる」
シグとは対照的にサクヤの指示は静かな口調だった。
『そこからで構わないから応戦してくれ。君がやるべきことは、その場所に一切のニーベルングを入れないことだ。他のことはいい、頼めるね?』
「……もちろん」
ナギは小窓から銃口を突きだして、黒い吐息を吐きながら迫ってくるそれに照準を合わせた。形だけ守ってみても、シグやユリィ隊長のように一撃必中というわけにはいかないだろう。無茶はするなと言われたが、多少の無理と背伸びはしないと切り抜けられない状況にはなっているようだ。
(一撃で仕留める……)
そうでなければ「何体か」が寄り集まってしまう。砂煙が晴れたところを見計らって、ナギは静かに引き金を引いた。次の瞬間には教会前の広場で大爆発が起き、火だるまになったニーベルングが虫の息で横たわっているのが見えた。自画自賛している暇はない。火柱の立ち上がる後方から更に二体、巨大な羽を翻して合流してくるのが見えた。
「何体こそこそ隠れてたのよ……冗談じゃないっての」
合流してきた二体は、炭になろうとしている仲間の死を悼むようにその場に留まった。
(チャンス!)
ナギの魔ガン・ブリュンヒルデなら一か所に固まった二体を同時に爆撃することは不可能ではない。狙いを定めて後は引き金を引くだけ、そういう段階でナギは射撃体勢を解除した。窓から一歩、また一歩身を引く。
小窓の外の世界で、最初に仕留めた一体が消し炭になろうとしていた。それを見守るように二体が囲む。そして彼らが報せでもしたかのように一体、また一体と集まってくるではないか。
「な……んなの、この数」