「ナギ、遅かったわね──って、言ってくれたら迎えに行ったのに。バルトが」
夜空を見上げていたアンジェリカが、ナギに気付いて手を振った。ナギは両手で怪我人を支えていたので愛想笑いだけを返した。傍らにはぎっくり腰でもやらかした老人さながらによろよろとサクヤ。結局二人そろって皆のいる空中庭園におりてきた。
「お、なんだ起きたのか。隊長もナギもまぁとりあえず呑めよ。年に一回きりなんだ、しっかり楽しんでおかねえとな」
バルトも怪我人というカテゴリに属するはずだが、それを本人も周りも忘れるほどに機敏にグラスを回してくる。既にほろ酔い気分のようで首から上が仄かに赤らんでいた。アンジェリカが見張っていたのなら適正量ではあるのだろう。
ナギはグラスを受け取るついでに辺りに視線を走らせた。空中庭園には八番隊のみならず、本部所属の小隊のほとんどとその家族、恋人たちが普段とは違う穏やかな表情で笑いあっていた。開発部だの管理部だの、普段は塔内部に積極的にひきこもっている部署も揃って夜空を見上げていた。
「他のみんなは?」
「その辺りにいないか? ほら、リュカはあっちでマユリの尻追いかけまわしてるし、マユリは肉のある方肉のある方に移動していってるし、肉は……」
「肉はいいんだけど」
「シグなら叙勲式の後から見てないわよ。街の方に出たんじゃない」
遠回しなナギと察しないバルトに苛立って、アンジェリカが直球を投げた。
「何? 違った? 殴り合いの続きがしたいんじゃないの?」
「殴り合いなんて最初からしてない……」
「そうだった。ナギが一方的にぶん殴ったんだったわね、こりゃ失礼」
アンジェリカは悪びれもせず、実に生き生きとした笑顔を作る。言い方に棘があるだけで全く事実無根というわけでもないから何も言い返せない。
シグとは二日間顔を合わせていなかった。三日目の今朝、叙勲式で見かけはしたものの会話らしい会話はかわしていない。ナギとしては誓願祭までにこの状況を打破しておきたかったのだが、そういうのも自己満足である気がして態度に出すのは気が引けた。
「あいつは今日はもともと予定が入ってるって結構前から言ってたよ。だいたいナギを避けるような図太い神経の持ち主でもないだろ。そう気に病むな」
「分かってる。ありがとう」
バルトはやはり、この手のさりげないフォローが上手い。八番隊に来てうまくなったというわけではないだろう、そういう気遣いができる気質なのだ。だから何となく皆、バルトには甘えてしまう。
少し気の抜けたシャンパンに口をつけた。花火が終わっても、さあ引き上げようと言う者は少ない。ここから見下ろせる街の灯も今宵は長く眼下を照らしてくれそうだった。視界には羊肉と牛肉の串を振りまわしてご満悦のマユリとリュカが映る。放っておいてもここの空気はどんより沈むことを許してくれそうにはなかった。
「こうやってみんなで誓願祭をお祝いするのももう四年目かあ。長いような短いような」
「その前から付き合いのある奴も混じってるしな、しかし……そうか、もうあの“公開プロポーズ”から四年も経つのか……」
羊肉を噛みちぎっている真っ最中にバルトがとんでもないことを言いだした。ナギは噎せながらシャンパンを流しこんだが両方の味も風味もよく分からなくなっていた。遠い目のバルト、笑いを噛みしめるアンジェリカ。何のことか分からずに疑問符を浮かべているサクヤ、この人が当事者なのだが。
「四年前って八番隊発足当時? え、誰かそういう予定の人がいたっけ……」
「いや。いやいや隊長、居たんですよ凄いのが。支部長の娘さんを自分の隊に引っ張ってくるのに、全隊員の前で『娘さんを僕にください』つって頭下げた馬鹿が」
「あれ、それどっかで聞いたことあるな……」
「あなたですよ、サクヤ隊長……」
アンジェリカの冷静なつっこみにサクヤの電池がまた切れる。が、今度はすぐに思い当たった模様、痛む脇腹を押さえながら声を出して笑いだした。
「そうだ、そうだったねっ。あれからしばらくレイウッド大佐にはろくに口きいてもらえなくて難儀して……なつかしいなー。よくみんな知ってるね?」
グングニル、特に現場となった中部第二支部と本部では知らない者を探す方が難しいほど有名な話だ。知らぬは本人ばかりといっても限度というものがある。当事者のもう一人は芝生に体育座りで突っ伏したまま、もう息が無い。
「そういえば大佐にもしばらくお会いしてないけど相変わらず元気に……ナギ? どうしたの?」
ナギは突っ伏したまま無言で羊串を差し出した。これでも食べてもう黙ってくれ。誓願祭なのだからこの程度の願いは聞き入れてもらってもばちは当たらないだろう、そういう切実な願いを込めた。サクヤはよく分からないまま串を受け取って、固めの羊肉を懸命に攻略し始めた。
「俺のときもまぁ凄かったけどな。射撃場に、整備塔に、大浴場にも毎日つきまとってきて」
「あら、私のときはスマートだったわよ? サクヤ隊長は命と、私自身の尊厳の恩人」
アンジェリカの目配せに対して、軽く否定しておく流れだったがサクヤは何の反応もままならず羊肉をしゃぶっていた。この羊は案外強敵である。
アンジェリカはもともと医療部隊である五番隊から某少将の秘書官として引き上げられた経歴を持つ。根腐れした上層部に公私共に長く浸かりすぎた結果、情報という名の兵器が図らずとも彼女のもとに集まるようになった。そうなれば人間、欲も出るし駆け引きもしたくなる。その結果「少将にニブル毒を盛った嫌疑」をかけられ、査問にかけられる一歩手前まで背中を押された。無論、陥れられたのだがアンジェリカ自身は自業自得だとも思っている。
「僕は単に、居てほしいと思った人に声をかけていっただけだよ」
「でもあんたの元を誰も去らない。みんな隊長が好きで、信頼してるからだ。そうでなきゃイーヴェルで……どっかの時点で反論が出たさ。色ものばっかり集まってんだ、突き詰めりゃ全員考えてることなんか違う。それでもあんたの指示に背こうとは思わない。……シグでさえな」
バルトは語り口調に入ったかと思えば、分厚い牛串と泡立ちの良いエールを交互に口の中に放り込んで照れ隠しに突入。これはたぶん冷やかさない方が懸命だろう、肩を竦めてアイコンタクトを取り合った。そんな矢先。
「あーらーらーらーら! これはこれは、とっくべつでスペシャリティで大変プレシャスな功☆労☆賞! を受賞なさった八番隊のみなさまじゃないですか~っ! どうもどうも! 三番隊の翻訳機ことミナト・オーウェル補佐官でぇすっ、お久しぶりっ」
宿舎塔の回廊から庭園へ出る、ちょうど入り口のところで男が──赤茶けた長髪をハーフアップにした大変軽そうな男が、ウインクしながらピースサインを決めていた。八番隊の四人はとりあえず半身だけ振り返る。男の後ろに隠れてしまっていた小柄な女隊長の姿を見つけて、サクヤが微笑んだ。
「ユリィ。めずらしいね、来てたの」
「医務室に寄ったらここだって言われたから」
「つまりぃっ! うちのちび魔女……じゃないユリィ隊長は、お宅のスタンフォード隊長にわっざわざ会いに来た! ってことになんのね? やだっ、妬けちゃうっ、ミナトしょっぱい!」
頭を振りみだしていたかと思えば、自分の両腕を抱え込んで空に向かって嘆きの一言を発するオーウェル補佐官。ちなみにサクヤは無意識に彼を視界から外す癖がついてしまっている。嫌いなわけではないがいかんせん会話の邪魔になるからだ。
「何あれ……押し売りミュージカルかなんか?」
「ミュージカルに失礼だよ、アンジェ。知らない? シグがこの世で一番苦手な三番隊隊長補佐」
「シグじゃなくてもあんなの三分でお腹いっぱいよ」
女性陣は惜しげもなく、どこか爽やかささえ携えて嫌悪感をアピール。ナギは定例会議で頻繁に顔を合わせるので対処には慣れている。そんなナギを見つけて、オーウェルが瞳を輝かせて全速力で走って来た。怯えたのは隣に居たアンジェリカの方だ。