「ナッギさぁぁぁん☆ イーヴェルはあれだね、オ・ツ・カ・レ様だったね! 聞いたよ~隊長の代わりに撤退を先導したんでしょ? ほんと俺たち補佐官の仕事って多種多様で参っちゃうよね~!」
「そうだね。とりあえず顔、近いかな」
にじり寄ってくるオーウェルに合わせてナギも軽やかに後退する。顔の前に手の平シールドを展開するのも忘れずにだ。
自称翻訳機(無駄機能搭載)が暴走しているのを横目に見つつ、翻訳対象のはずのユリィはいつも通り無表情でサクヤの両腕に巻かれた包帯を凝視した。
「大丈夫なの、からだ」
「ああ、こっちはただの火傷で問題ないよ」
「そういう意味じゃないけど、まあ……いいわ」
「それより脇腹が……って言っても折れてはいないから大事ないんだけど、笑うと痛いんだよね」
言いながら癖で笑って苦しむサクヤに、ユリィは特に声をかけるわけでも支えるわけでもなくただ見ている。痛がり終わるまで待つというのが彼女のスタイルだ。
「カリンが会いたがってた。帰らないの」
「あ、行ったの? 顔は見せるつもりだったんだけど、まぁこんなだから。ユリィが行ってくれたならカリンも喜んだんじゃないかな。兄さんも」
「……私とサクヤでは意味が違う。私はあの二人の家族ではないから」
「らしくないこと言うね。兄さん、なんか言った?」
「アカツキは関係ない」
間髪入れず否定するユリィに、サクヤは困ったように笑う。おそらく兄がまた無頓着に何か言ったのだろう、もしくは意図的にかもしれなかったがそれはどちらでも良かった。ユリィがふてくされて自分のところへやってくるときは、大抵兄がらみだ。ちなみに彼女がふてくされていることが分かるのはグングニル内ではサクヤくらいのものである。
相変わらず載せやすい位置にあるユリィの頭の上に、そっと手を置いた。
「うおおおぉっと! 何しやがる、じゃない何しやがるんですかスタンフォード隊長ぉぉうっ! うちの隊長は小動物じゃありません! 返してぇっ!」
最後の方は、よくもそんな甲高い声が出せるものだと感心するくらいに跳ねあがっていた。ユリィを強制的に引きはがして、サクヤを威嚇するオーウェル。面倒だ。半眼のままオーウェルに引きずられて退散していくユリィを、サクヤは手を振って見送った。
「あの人、ユリィ隊長命だから」
「いいじゃない。補佐官の鑑」
先刻までナギの隣にいたはずのアンジェリカは、対岸の火事とばかりにいつのまにやら数メートル距離をとっていた。どこかへ非難していたバルトもへこへこと合流してくる。
「何がすげぇって、あれに意外になじんでるカーター隊長がすげぇな……」
「俺もあの人苦手なんだよなぁ。戻ってきたりしないよな」
バルトの陰からサブローがひょっこり登場。片手には手土産とばかりに大皿に積み上げたシュークリーム。庭園の端は白いクロスがかけられた簡易テーブルが並んでいて、グラスハイム市街各地から取り寄せた菓子で埋め尽くされている。女性隊員が群がるスイーツバーに物怖じせずに割り込むのは甘党のサブローならではのスキルかもしれない。ナギとアンジェリカも勿論、小さく歓声を上げてサブローの周りに群がった。
「あーたんまたんまっ。マユリも食べるんじゃないか? 呼んできた方が」
ナギは既にひとつ頬張っている。口の中が忙しいのでサブローへの返答は指先だけで済ませた。ナギの指さす先でマユリとリュカが夥しい量のシュークリームを鉄串に貫通させてはしゃいでいた。
「ナギちゃーん、アンちゃーん! 見てみて~。夢のシュークリーム串だよ~うへへへへっ」
「うへへって……分かったからせめて座って食べなよ」
マユリは素直に芝生の上に座りこんで早速シュークリームにかぶりついた。リュカが作った「シュークリーム串」も合わせて、シューは計八個になるがまさか一人で完食するつもりだろうか。
「珍しく仲良くやってるかと思えば、ろくなことしないなお前ら」
サブローは想像で胸やけを起こしたらしい、渋い顔つきで元凶のリュカをたたく。
「珍しくねーし。基本俺たちは仲良しなのっ。同じレベルの視点で世界見てるっつうの? 通じ合う言葉でない何か? みたいなのがあるわけよ。まぁサブさんには分かんねーかなぁ」
「同じ(バカ)レベルの視点ね。価値観を共有し合えるのは大変結構なことだと思うけど、とりあえずお前らの世界観が全く理解できない自分が久しぶりに誇らしいよ」
「え? どゆこと? なに、なんか俺らのおかげでいー気分になったってこと? ……何だよ! 良かったじゃん! 感謝してくれよ~サブさ~んっ」
「……ありがとう、ございます」
思っていたのと違う結末に辿り着いたが、酔っ払い相手に必死になるのも馬鹿らしい。加減無しに背中をたたいてくるリュカに、されるがままのサブロー。視界の片隅では二本目のドリームシュークリーム串に突入するマユリ。──平和だ。三日前とは雲泥の差である。信頼する仲間たちと共に笑い、はしゃぎ、好きなものを好きなだけ飲んで食べる。その特別さが身にしみる夜になった。もらった勲章よりもずっと貴重で、美しい夜。
庭園の中央で、この日のために喚んでいた聖歌隊が厳かに歌い始めた。「これまで」と「この先」を神に報告する天使の歌、その荘厳な歌声にグングニル隊員たちは皆黙って耳を傾けた。そして「これまで」と「この先」に思いを馳せた。そうして祭りの夜は、静かに更けていった。
誓願祭から一夜明けたグングニル本部。夜明け前から降り始めた雨が、強まるわけでも弱まるわけでもなく細々と続いていた。宿舎塔にある食堂、いつもと同じ窓際の席に座りシグは灰色一色の外の景色を眺めていた。景色といっても見えるのは空ばかりだ。今日は雲といった方が正しいのかもしれない。
「早い昼飯だな。……ん? まさか遅めの朝飯か?」
バルトとアンジェリカがそれぞれコーヒーカップを手に、同じテーブルの椅子を引く。
「どっちにしろもっと食べなさいよ。ほんと思春期の女子みたい」
「ご忠告どうも」
シグは気にせず目の前にあるトマトサンドにかぶりつく。皿に乗っているのはこれだけだ。それとすっかり冷めたコーヒー。ちなみに朝食と昼食を兼ねた量である。
食堂には彼らの他に、開発部と整備部の休憩組、本部待機中の五番隊のメンバーなどが点々と座っていた。八番隊はというと、今日までは正式に休暇であったからシグのようにのんびりぼんやりブランチをとっていても全く問題はない、はずなのだが。食堂内はどこか緊張した雰囲気に包まれていた。
「ミドガルドには六番隊が応援にいくみたいだな」
バルトがコーヒーをちょびちょびとすすりながら切り出した。彼は豪胆な見た目に似合わず猫舌だ。
「まあ妥当だろうね。行けって言われたところでサクヤ隊長もバルトも故障してるわけだし。そういえば隊長とナギは、まだ会議中?」
「そろそろ戻ってくるだろ。ったく、ニーベルングってのはどうしてこう空気を読まないんだろうな。誓願祭明けくらい大人しくしてろってんだ」
「お祭り気分は翌日まで引き摺るなって戒めじゃないの」
そういう意味では、この鬱々とした雨も一役買っているように思えた。この分厚い雲がどこまで続いているのかは分からないが、六番隊を快く送り出してくれそうにはない。
この雨が降り始める前、つまり夜明け前にグングニル中部第一支部から本部に緊急応援要請があった。第二防衛ラインの内側、中部の主要都市ミドガルドにある第一支部。本来彼らに課せられた使命は第二防衛ラインの警備とヨトゥン地区の基地化阻止である。その「通常業務」の範疇を超える状況が、本日未明に起こってしまった。ミドガルド市のはずれにある小さな町を、十数体のニーベルングが強襲。数もさることながら、一番問題視されたのはそれが「第二防衛ラインの内側」であったという事実である。