「寝てる間に突破されちゃいましたってことなのかねえ……」
「迷い込んだっていう数じゃないからね」
冷めたコーヒーが極端にまずい。そうでなくても食堂のコーヒーは風味も何もないのに。シグは結局カップ半分を飲んだだけで、後は一切手をつけようとしなかった。
バルトとアンジェリカのコーヒーも底が見え始めたころ、食堂の入口にナギが顔を出した。
「あ、いた。三人だけ? もー……全員固まってくれてればいいのに」
あからさまな愚痴を漏らす。そのまま面倒オーラを放出しつつ、窓際のテーブルに合流した。椅子は引かない。長居するつもりはないらしい。
「ミドガルドの件、正式に六番隊が動くことが決まったから。私たちは通常通り本部待機。って言っても予定通りほんとに休んでていいみたい。それと、サクヤは午後は完全に非番。何か調べ物があるとかなんとかで外すって」
「ちょっと。隊長が非番なのは全く問題ないっていうか寧ろ推奨されることだけど、調べ物って何? そこは休ませとかないとだめでしょ、補佐官さん」
「言ってはみたけどどうせ聞かないし。それに塔内に残しとくと何かしら仕事し始めるから、追いだしとくのもひとつの手かなって」
「なんだそりゃっ、うちの補佐官は荒療治だな。俺はひとつ優しく労ってほしいもんだ」
バルトが笑いを噛み殺しながら席を立つ。空になった自分とアンジェリカのカップを方手でつまみ上げた。
「ほんじゃ、俺とアンジェリカは他の三人に伝えにいくから。あとよろしくな」
「あとよろしくって……」
後に残ったのは底の方に沈殿物の溜まったコーヒーカップがひとつと、シグが一人。気まずい。ナギが座らずにいるとシグの方が椅子を引いて立ちあがった。
「ナギ、この後なんか予定ある」
「え、ううん特には」
「じゃあ久しぶりに付き合わない?」
シグについてやってきた屋内射撃練習場は、思いのほか空いていた。というより実質二人きりだった。雨天にも関わらずここまで人気がないのは、この練習場が他と違って対人射撃を想定した施設だからだろう。一番広い屋外射撃場と他の室内射撃場は当然と言えば当然のことながら、ニーベルングを想定した馬鹿でかい的を採用している。グングニル隊員はニーベルング殲滅のための組織なのだから時間を割いて対人射撃を練習する者はごく僅かだ。シグはその人気の無さを好んで、この射撃練習場をよく利用する。
二人は横並びのレーンに陣取って、かれこれ二十分は黙々と弾を撃ち続けている。シグのトリガープルのタイミングは機械のように正確だ。まるで頭の中にメトロノームでもあるかのように同間隔で引き金を引く。そうして放たれた弾は的に吸い寄せられて、いつも決まったところへ命中する。ナギはそれを横目で見ながら一足先に自分の的を引き寄せた。概ね80点ゾーンに弾は集まっている。及第点といったところか。
「うわ……へたくそ」
シグもやはり、横目でナギの様子を伺っていた。そして口をついて本音が漏れる。何か見てはいけないものを見てしまったような、憐みの眼差しも添えて。
「うるさいなーっ、いいの私はこれで。そっちこそどう──」
シグが引き寄せた的は100点ゾーンが綺麗さっぱり無くなっていた。同じところに着弾し続けた結果、こぶし大の穴ぼこになったらしい。ナギは青ざめた。シグとは違う観点で、見てはいけないものを見てしまった気分だ。
「気持ちわる……。もうそれ人間業じゃないよね……? 凄いとか素敵とか、そういうの飛び越えてぞっとする」
ナギはナギで言いたい放題だ。しかしシグは素知らぬ顔。新しい的に切り替えて、先刻よりも気持ち上向きに魔ガンを構えた。撃鉄を起こす。引き金を引く。ゆっくりと腕を下ろす。当たり前の動作にナギは魅入っていた。シグの射撃は一切の無駄がなく、美しい。
「何で見つめてくんの。気持ち悪い」
シグは前方を見たままで吐き捨てた。言いながら全くのぶれも無く引き金を引く。すぐ隣で熱い視線を送られようとも睨みつけられようとも、極端な話、寄り目で見つめられたとしても射撃の精度には全く影響しないらしい。かわいくない。当のナギはまさかの気持ち悪いカウンターをもろに食らって言い返す言葉もない。
「綺麗なフォームだなと思って見てただけでしょ」
「そりゃどうも。で、おたくはいつ本題に入ろうと思ってるの。叙勲式のときから何か言いたそうにしてたからわざわざ声かけたのに」
「え? ああ……うん、まあ、あるにはあるんだけど、完全にタイミングを逃したっていうか」
「イーヴェルの件なら、ナギに謝るつもりはない」
ナギが煮え切らないから、結局シグの方から本題を切り出した。それでも手元はずっと同じ動作を繰り返している。コッキング、トリガープル、クールダウン、コッキング、トリガープル、クールダウン。
ナギはただ呆気にとられている様子で、結局シグの弾が尽きるまで話は進まなかった。引き寄せた的、今度は80点ゾーンに全ての弾痕が集中している。無論、意図的にだ。シグはつまらなそうにそれを確認すると、ようやく半身をナギの方へ向けた。
「……でも正当化するつもりもない。正しかったなんて俺だって思ってないし、正しくあってほしくもない」
「それは……私にも分かんないよ。結局、選んだのはあの子自身だから。今さらシグを責めたいわけじゃないし。……ただ、殴ったことは謝ろうと思って」
今度はシグの方が、あからさまに意外そうな顔をした。ナギは弾込めをしていた手を止めて正面からシグの目を見る。
「感情的だった。ごめん」
「いや、別に気にしてないけど」
「ほんとは昨日の内に言いたかったんだけど遅くなっても帰ってこなかったから。花火はみんなで観たかったのに」
「え、ああ、なんか……ごめん」
「いえ? 別に気にはしてないですけど」
どうしてほんの僅かな間に形勢逆転されているのだろう、混乱したままシグはとりあえずという感じで謝った。ナギは気が済んだのか、憑き物が落ちたような晴れやかな表情で射撃練習を再開。シグも小首を傾げながらそれに倣う。
二人の知らないうちに雨は上がっていた。それでも暗灰色の分厚い雲は隙間なく空を覆い、雷鳴を伴っては時折生き物のように蠢いた。それはニーベルングの群れのようにも見えた。不穏な空の下、グングニル第六番隊は中部第一支部に出向。後の報告から全部隊に開示された情報は、中部第一支部との共同戦線において計十三体のニーベルング討伐が行われたという結果のみであった。
サクヤがグングニル本部に戻ったのは深夜も過ぎ明け方にさしかかろうかという時刻だった。本人いわく適切な仮眠を摂って、現在時計の針は午前八時半をまわろうとしている。彼は既にいつもと変わらない制服姿で八番隊執務室の長机の上の書類とにらめっこをしていた。その正面、数歩離れたところでナギが背筋を伸ばして立ち、同じ書類を読み上げている。
「──以上が今週のスケジュール。ひとまず合同演習の段取りを今日中に詰めて、明日中には提案書をまとめておきたいところです。それまでの訓練メニューですが隊長とバルトに関しては大幅に修正を……って、ねえ? 聞いてる? っていうより起きてる?」
堅苦しい報告内容と言葉遣いを断念して、ナギはあきれ顔でサクヤの顔を覗き込んだ。始業時と終業時の連絡くらいはせめて折り目正しく行おうというナギの勝手な方針なのだが、それもこんな風に割とあっさり崩壊したりする。サクヤとしては今さらどちらでも構わないのだが。
「聞いてるよ。演習の方はそこまで急がなくてもいいんじゃないかな、どうせ変更事項も五月雨式に出てくることだし。今日明日は少しのんびりしておこうよ」
「えー……もう充分のんびりしたと思うんだけど。サクヤとバルトは勿論もう少し休養が必要だけどね?」