episode v 魔女は琥珀の涙を流す


「ニブルなんか細工すればどうとでもなると思うけどねー。噛みちぎられてってどの程度よ? 凶暴な野犬って可能性もあんじゃん?」
「遺体の損傷の程度なら写真にあったけど」
「わー待った待ったっ。そういうのノーサンキュー! いいです、ニーベルングがかじっちゃったってことでいいです。詳細とかいらないから、マジっ」
全力拒否するリュカに、ナギはもう何も言わない。毎度お決まりの、ただ言いたいだけの愚痴なのだろうから、ある程度相手をして後は放っておくのが良い。と思っていたのにサブローが横から口を挟む。
「三件目……昨日のは目撃者がいたんだろ? 『とにかくでかかった』ってのは嫌な情報だよなぁ。まさかとは思うけど、アルバトロス級がこんな街中に入り込んでたってなると機関としては相当な大失点だ」
「サイズに関係なく既に大失点よ」
 昨日の事件に関しては間が悪かった。調査のためにビフレスト入りしていた一番隊、よりにもよって彼らが駐在している最中に三件目が起きてしまった。市民にしてみれば当然、グングニルは何をやっていたんだという話になる。非難の的になるはずの一番隊は直後にとっとと撤退、彼らの報告を踏まえて討伐を任されたのが八番隊である。任されたというかまわされたというか、丸投げされたというか。
「要するにいつも通りなわけだけど……」
 ナギがぼやく通り、全ては通常運転で進められている。隊長であるサクヤが率先して隊列を乱し現場を逐一再確認するのも、予定調和のひとつだ。
 現場となった民家は全て、彼らが行列を成して歩いている石畳の道沿いにあった。サクヤは立ち入り禁止を示すロープを跨ぎ、ひょいひょいと侵入しては室内を見渡して疑問符を浮かべる。また何か面倒なものを見つけてしまったのか。ナギも外からその動向を見守った。
「とにかくでかかった……か」
それをそのまま鵜呑みにすると、どうにも腑に落ちない点がある。サクヤは小さく唸りながら、四方八方に飛び散った血の跡を眺めまわした。
「少なくともイーグル級より上の仕業だとして、ドアも窓も破壊せずに屋内に侵入するっていうのは可能だと思うかい?」
傷一つない木製扉を開けたり閉めたりしながら、イーヴェルでの戦闘を思い返していた。あそこに集結していたイーグル級ニーベルングは、教会の巨大な両開き扉でさえ通れずに体を詰まらせていたのだ。完全な興奮状態にあったことを差し引いても、標準身長の人間様がやっと通れるような民家の入り口扉を彼らがすり抜けられるとは到底思えない。
「……実は優れた伸縮能力を持ってる、とか。……どう思う? ナギ?」
「え! うん!? 私!?」
 ナギの場違いな大声に、六番隊隊員がまた振り返った。サクヤも呆気にとられている。
「ごめん……えっと、伸縮? ……ハムスターみたいにぎゅぎゅってなるかってこと?」
「うんまあ。かなり噛み砕くとそういうことかな」
「ど、どうだろうね。ニーベルングって皮膚カッチカチだし、あんまりイメージ湧かないかなって気は……する、かな~」
「そうだね。頭部だけをうまくねじ込ませたって考える方がしっくりはくる」
 仮にそれが正しかったとして、何のために? ──次々と湧いてくる疑問に、サクヤがまた悠長に唸りはじめる。標的を仕留めることが目的なら、巨体を生かして建物ごと潰した方が手っ取り早い。そうでなくても屋内の家具や調度品をここまで無傷に保つ必要はないはずだ。全ての現場で争った形跡と呼べるものはなかった。遺体だけが異物のように転がっていただけ、らしい。今現在サクヤの眼前にあるのは、それを想像させる血痕だけなのだが。
「一夜に一人の犠牲者っていうのも、そもそも合理性に欠けるというか……」
考えながら、そして言いながら癖でナギの反応を待ってしまった。そしてそは、今回は期待できないことを先刻自ら確認したはずだった。ナギは黙って市街の景色を見ている。サクヤも切り上げて隊列に合流することにした。
「ねえ、鬱陶しいったらないんですけど」
サクヤが隊の前方に急ぐのを見送って、アンジェリカ。苦情の矛先は無論ナギである。
「え、何。天気?」
「本気で言ってるなら殴るわよ。ナギがそんなだと隊がまとまらないでしょう? ぎくしゃくしてくれるのは勝手、と言いたいところだけど作戦中以外でお願いできます?」
そういう器用な真似ができるなら、おそらくこの苦言も必要ないのだろうが。
「そうだね、ごめん」
「隊長からプロポーズでもされた?」
「は……?」
「一生僕だけの補佐官でいてくれ」
「ア、アンジェ?」
「違うの? 彼、そういうちょっとずれたこと真剣に言うタイプでしょ。あ、逆に直球? 『結婚しよう! ずっと君を守るよ!』」
ナギがいきなり勢いよく噎せた。そのせいなのかは定かではないが耳まで赤い。
「何言ってんの!? あるわけないでしょ、馬鹿じゃないの!」
「だったら何なのよ。どうせその感じだとニアピンでしょ? 好きだ? 愛してる? ああいう手合いは息するみたいにその手の台詞を吐くんだから、いちいち動揺してたらきりないじゃない」
「だからっ! そんなんじゃないって言ってるでしょ! 分かったからちょっと放っておいてよ!」
「ちょっと放っておいた結果こうなってんでしょうが。いい? この作戦中になんとかなさい。それ以上は待たないわ。居心地が悪いのはごめんなのよ」
アンジェリカの静かなる迫力に負けて、ナギは押し黙るしかなかった。その威圧は八番隊他メンツにもしっかり波及している。全ての会話が聞こえながら一切我関せずを貫く彼らの判断は正しく、賢い。知らぬは本人、いやここではサクヤを含めた当人たちばかりであろう。


 三つの現場が密集する住宅街から繁華街へ。その中心部にある荘厳なオペラ座の屋上にサクヤ、ナギ、リュカにバルトが立っていた。それぞれが四方に分かれ索敵に勤しむ。今回は、ここを物見台代わりにして、ニーベルングを迎撃する手はずになっている。残りの四人はのんびんりと市内の巡回だ。
「しっかしさー。俺たちも貧乏くじ専用ってのが板についてきたけど、六番隊も相変わらず不憫っつーか」
 ビフレスト上空は至って平穏だ。下方より少しばかり風が強いくらいである。それだからリュカが胡坐をかいて世間話を始めるのも致し方ない。独り言になるのは嫌なので、気持ち声量は大きめに。そうでないと時折吹きすさぶ突風にかき消されてしまう。珍しくバルトが話に乗った。
「頭数が多いんだから人海戦術に駆り出されるのは当然だろ。人数の割には単発で作戦がこなせるほどの粒も揃ってねえ。結果、増援専用みたいになっちまう。ま、それはそれで必要だけどな」
 その癖プライドばかりが高いから応援要請時に要らぬ気苦労が増える、という愚痴をナギが胸中で付け足した。六番隊の所属人数は五十名弱。可もなく不可もなく、言い方は悪いがこれといって取り柄の無いグングニル隊員の集まり、というのが他の部隊員たちの印象だ。バルトの辛辣な意見も、的は射ているということになる。その六番隊には市民の避難誘導にあたってもらい、その後各エリアの警護についてもらうことになっている。
「まあねぇー、分からんでもないけど。ビフレスト広いし、ややこしいし」
 リュカの言う「ややこしい」は、街の特徴のことを指しているのだろう。中央区最西端に位置するビフレストは、交易の拠点として古くから栄えてきた街だ。中央区の玄関口であるという立地と、街を端から端まで網羅する運河の利便性が、ビフレストの産業と繁栄を支えている。運河の至るところに羽橋が架けられ、舟の往来に合わせてひっきりなしに上がったり下がったりと忙しい。日中は橋が動く音が断続的に聞こえ、そのせいで「運河の街」ではなく「橋の街」と呼ばれる始末だ。