四人はここでこのまま、突風に煽られながら夕暮れを待った。ゆっくりのんびり沈んでいく太陽が西の空を幻想的な紫色に染めていく。それに歩調を合わせたかのように、市街のガス燈がひとつ、またひとつと灯る。一旦暮れはじめると夜の舞台は急速に設えられた。普段なら民家の明かりも夜景の美しさに一役買うのだろうが、全ての住民が避難した今、通りのガス灯の頼りない光以外はただ黒い。人気の無い住宅地というものは、どのような所以であれ妙な不気味さを帯びている。
「さて、ここからが正念場かな。今日中に現れてくれるのか、深夜か、最悪明け方か。見張りは交替で立てて僕らも体力を温存しよう」
「うへ~……てっぺん越えは避けてーなー。ここは空気読んで早めに決行してくれると助かるんだけ……ど……ってサクヤ隊長」
リュカが真顔でサクヤの背後を指さす。サクヤもすぐさま振り返った。遠く山の端と空の境界線はもう区別がつかない。その暗黒の世界で、一際濃い暗灰色の物体が羽ばたいている。そう、翼を上下に振って羽ばたいていたのだ。四人が何となく反応せずに凝り固まっている間に、ニーベルングは悠々自適にオペラ座上空まで滑空してきた。
「はやーーーーーーい!! ふざけんなっ、空気読めよ! 今から飯食って仮眠摂ってみたいなこっちの流れはまるで無視かよっ」
リュカが全力で青筋を浮かべている間に、ようやく他三人が臨戦態勢に入る。ナギの初弾が見事に宙を切った。
「御託はいい! これを片づけて皆で夕食摂ればいいでしょ!」
「思いっきり外しといて偉っそうに! 説教は当ててからにしてくれませんかね~え?」
リュカの初弾──発砲音だけが響く。やはりこれもお空の彼方にすっ飛んで行った模様。視界の悪い中でナギとリュカは互いに口をへの字に曲げて睨みあった。その頭上でニーベルングは闇夜を背景に優雅にダンシング中だ。
「いい動きするなぁ。あの巨体でここまで軽やかって、体幹トレーニングかなんか──」
「ど・う・で・も・いい! ネーミングとかも当然後だからねっ!?」
サクヤの動きがまた止まる。ニーベルングの動きに感心する一方で、なんとかその俊敏な動きになぞらえてぴったりな名前をつけてやれないか思案していたところだ。何故ばれたのだろう。それを考えている猶予も無いようなので、サクヤも仕方なく魔ガンを構えた。
「俊敏だけど……一挙一動がやけに大げさだな」
オペラ座の屋上を端から端まで、暗灰色の翼を翻しながら駆け抜ける様はさながら舞台俳優である。どこか優雅でどこか滑稽でもあるニーベルングの動きに、どうも目を奪われてしまっていたが、おかげで狙いは定まった。次の動きを予想した上で大幅に着弾点をずらす。サクヤの魔ガンの軌道上に吸い寄せられるようにニーベルングは自ら当たりにやってきた。
爆発音と共に、静観な夜空で野暮な花火が咲く。そしてこの屋上部分へ真っ逆さまに落ちてきた。
「よっしゃ! ナイスだ隊長! このままたたみかけるぞ」
言うが早いかバルトの魔ガン「ハーゲン」が火を噴く。爆煙も晴れきっていないところへ、二発目三発目が立てつづけに放たれる。ニーベルングは中心部で悲鳴をあげて燃えていた。標的が動かないのだからナギもリュカも流石に外さない。いわゆるタコ殴り状態がしばらく続いた。ラインタイトが尽きる前に、リュカが爆心地へ突進。動かなくなったニーベルングの首を足蹴にして魔ガンを高々と掲げた。勝利のポーズ、のつもりらしい。なかなかに外道である。
「うわ、最低……」
ナギの口から思わず本音が漏れるが、突風と爆音の残響の中で上手い具合に掻き消えた。
「じゃじゃじゃじゃ~んっ。駆けつけ五分で標的撃沈! 一重に俺たち八番隊のチームワークの賜物ってやつだよねー。でもとどめの一発撃ったのは間違いなく俺だと思う」
「はいはい。それでいいから。とりあえず消火しない? このままだと天井に燃えうつっちゃう」
ナギも(適当に)認めてくれているようなので、リュカはご満悦で何度か頷く。サクヤもバルトも苦笑を漏らしながら魔ガンを収めた、刹那──遠くで爆発音が鳴った。
「おい、なんだよっ。魔ガン、だよな今のは」
バルトの疑問を確認すべく、サクヤは飛び降りラインぎりぎりまで身を乗り出して眼下へ視線を走らせた。市街の一画で、ガス燈とは明らかに異なる激しい光の点滅が起きている。その点滅に合わせて爆発音は鳴っていた。僅かに移動している。
「バルトとリュカはここで待機。ナギは僕と。巡回組と落ち合って状況確認しよう。もしかしたら、僕らは敵の策にはまったのかもしれない」
「は? 策? ……ってサクヤっ」
既に階段を駆け下りているサクヤの後を、わけもわからないままナギが追う。物見台であるこの場所を空にするわけにもいかないからバルトとリュカは仲良く留守番だ。街中で、あがるはずのない花火を見下ろしながら、二人は肩を竦めて気だるく手を振った。
サクヤたちがオペラ座を後にしたその数分前、ビフレスト市内は特にこれといった異変もなく、巡回に当たっていたメンバーに退屈を覚えさせるほど平和だった。
シグはこれみよがしに欠伸を漏らす。これみよがしだろうがひっそりだろうが、この暗がりと互いの距離なら何をやっても咎められることはなさそうだ。50メートルほど先をサブローが生真面目に歩いている。シグの後方50メートル地点にはマユリが、その更に後方にアンジェリカが控えているはずだ。互いにフォローが効く程度の距離を保って巡回する、というのがサクヤが唯一出した指示だった。似たような距離間で街中を六番隊皆さんがうろついている。無人の住宅街を一定距離を保って行脚するグングニル隊員、考えようによっては気味が悪い。
(サブローさんでも脅かして遊ぶか……)
何度目かの欠伸に瞳を潤ませていると、ふとそういう悪さもしたくなる。足音を忍ばせて小走りに近づいて、ちょっと一声かけるだけ。サブローなら、それで充分肝を冷やしてくれるはずだ。思いついたら即実行、完璧に気配を消してサブローの背後に忍び寄る。残り10メートルというところで異変はあっさり起きた。
「ぎゃああああああああ! で、出たぁっああああああああ!」
悲鳴。しかも汚い。発生源はシグの10メートル前方、つまりサブローだ。おっと、派手に尻もちなんぞついているではないか。
「はあ? なん……だ! よ!?」
座りこんだサブローの横から何かが凄まじいスピードでこちらへ突撃してくる。それ、いやそれらは軽やかな足取りでシグの両脇を通り過ぎて行った。予想外すぎる事態に思考がついていかない。だからシグは、その二体のニーベルングを何の妨害もせずに通してしまった。
「ニーベルング!? って、バーディ級……!?」
シグが口にしたのは、ニーベルングの等級の中でも最小の部類だ。想定外の超特大サイズをコンドル級、一個小隊で討伐にあたる限界サイズとされる特大のアルバトロス級──但し八番隊は悉く例外を作らされる──それから一番遭遇率が高い中規模サイズのイーグル級、そして成人男性より一回り大きいかそれ以下といったサイズのバーディ級。グングニル機関は、ニーベルングの等級を大雑把にそのように規定している。たった今シグの横を疾風さながらに駆け抜けて行ったのが、ニーベルングに面立ちの良く似た不細工すぎる人類でない限りはバーディ級だと判断せざるを得ない。
「“とにかくでかい”んじゃなかったのかよ……っ」
シグが苦虫を噛み潰しながらヴォータンとローグを引き抜く。住宅街で魔ガンをぶっ放すのは御法度だ。が、悠長に構えている場合でもない。
躊躇したのも束の間、オペラ座上空で小汚い花火が上がった。威力からしてサクヤかナギが魔ガンを直撃させたとしか思えない。あちらでも戦闘が始まっているということだ。
(どうなってる……どちらかは陽動、ってことか……?)
どちらでも同じだ──今あの二体を取り逃がすことが一番まずい。シグは迷わず引き金を引いた。よく動く小さめの的だが、全く外す気がしない。シグの二発の初弾は追撃機能でも着いているかのように走行中のバーディ級二体を背後から撃ち抜いた。ここまでは想定通り。想定外だったのは連中の装甲皮膚の堅さだった。
「マユリ! 後方アンジェリカと合流して迎撃しろ!」
一体が脇目も振らずマユリ方面にひた走っているので、もうそう指示するしかない。一体は癪に障るがこちらに興味を持ってくれたようだ。勿体ぶった動きで振り向いてシグの方へ引き返してくる。