episode vi ジェリービーンズを7つ


(シスイ・ハルティアもそうだけど、フェン先生も……知れば目の色変えて手に入れようと思うだろうな)
 悪意の無い残酷さを持っているところが、恩師の良いところであり恐いところだ。ナギが自分の居場所に罪悪感と恐怖心を持つのは、暗にそういう人種の存在を知っているからだろう。そんなことを思っていると、嫌な考えが脳裏をよぎる。
(僕は……“ヘラの生き残り”がナギでない誰かだったら、同じ台詞を言ったんだろうか)
幸せならその場所に居ていいと、言えただろうか。結論が、望まぬ報告で出ようとしていたから考えるのを止めた。悪意の無い残酷さなら自分も持っている。それは随分前から知れたことだ。
 サクヤは一度天を仰いで大きく嘆息した。
「そんなあからさまに溜息つかなくても」
「え、違うよ。これは自分にというか。……いや、まあいいか。とにかく止めよう、この手の話はどうも休日向きじゃない」
 そうだ。話題も天気もとかく休日向きでない。雷も遠くの空でしつこく、誰それの腹の虫のようにごろごろと鳴りつづけている。このままだと午後を待たず、最初の一粒が降ってくるだろう。立ち上がったサクヤ、またもやナギは椅子を引く音に驚いて顔を上げた。
「あ、帰る?」
「え? 帰るの? 予定があった?」
立ち上がったのはサクヤの方なのに、何故かオウム返しされる。わけがわからない。ナギは素直に特大の疑問符を作りつづける。
「ないよ? でもさっき休日向きじゃないって」
「うん。だから休日らしいところにどこか寄り道しよう。せっかく外に出てきたんだし、雨が降らないうちにね」
 ナギが呆気にとられている内に、会計は済まされてしまった。やっぱりわけがわからない。グングニル隊員としては、本日の話題はかなり際どいラインだと互いに了解し合ったから、必然、塔外で落ち合おうということになったのではなかったか。で、その本題は今しがた強制終了した。理由は明確、休日向きじゃないから。
 鼻唄混じりに歩きだすサクヤの後を、ナギは小首を傾げながら追うしかなかった。深く考えるのはやめよう。雨が降るまで、休日を楽しむのも悪くない。


 一方、グングニル本部塔八番隊執務室。主不在のため室内はひっそり、ということもなく、いつにもまして「ギャアー!」だとか「うわああ!」だとかの奇声が飛び交っていた。発生源はチェスボードを囲んでいるバルトとサブロー、とりわけバルトの方が定期的に絶叫をあげる。彼らに限ってはチェスも、優雅さだとか聡明さだとかは無縁の生き汚いゲームに成り下がる。
「非番の日まで職場に来ちゃって、ほんっと暇よねー」
呆れ気味にアンジェリカが覗き込んできたが、対戦中の両名は彼女の嫌味に構っている余裕はない。盤上では、明らかに力押しのバルトの駒と、技巧に凝り過ぎた貧弱なサブローの駒がちぐはぐと熱戦を繰り広げていた。
「ねえ、そこ。ビショップ効いてるんじゃないの? その二手先で、ナイト捨てることになるけど」
「ぬあああ! うるっせえなあっ。分かってるっつーの! 邪魔すんなっ、あっち行けっ、しっし!」
 大混乱中のバルトは見ていて面白いので、今回の暴言は聞き流してやることにする優しいアンジェリカ。この二人は度暇になるとこうやってチェスで対戦を始める。二人の目標は実は同じで、最終的にはこの部屋の主を打ち負かすところにある。サクヤはアンジェリカが知る限りでは連戦連勝引き分けなし、文字通り無敗の帝王だ。
 そうこうしている内に勝敗が決したようで、サブローが静かにガッツポーズ。今回は技巧派に軍配が上がったらしい。
「あー、バルト相手だと絶好調なんだけどなー。こりゃちょっと格上と練習しないと隊長までの道のりは遠いかもな」
「言ってろ言ってろ。そんでまた瞬殺されて俺たちに笑いを提供してくれ」
「そういやサクヤ隊長は? ここに居ないって珍しくない?」
「隊長なら朝方街の方に下りてったわよー。もっと早くに出かけてったのもいるから、今頃仲良く過ごしてるんじゃない?」
駒を並べなおしていたサブローの手が止まる。ここに居ないのは、朝から教会のミサに(寝るために)参加しているシグと、おそらくまだ寝ているだろうリュカ。マユリは今まさに隣で、床に座りこんで魔ガンのカスタマイズに夢中になっている。前者二人はあり得ないから、そうなると一人しか該当者がいない。そもそもそんな消去法は用いなくても辿り着く結論なのだが、サブローは派手に、力強く、腹の底から「え!」などと叫んでいた。
「仲良くって……うわ、え、マジ? そんななってんの? なってたの? いや、そうなのかなあとか、そうなるのかなあとか思ってはいたけど」
 今度はサブローがそわそわとうろたえ出す。それよりは幾分落ち着いて、というよりどこか困ったように頭をかきながらバルトが口を挟む。
「隊長と……ナギは、その、結局そうなのか」
「さあ?」
間髪いれずアンジェリカ。肩まで竦めて、我関せず。
「さあってなぁ……」
「だって知らないもの。本人たちから聞いたわけじゃないし。ただ前と、空気が違うから勝手に私がそう決めつけてるだけ」
 アンジェリカの「決めつけてるだけ」は逃げの言葉であって、当てにはならない。バルトにしてみてもそれを知ってどうこうという気はないのだが、中途半端に明かされると態度に困る。勝手に想像して勝手に赤面しているサブローが一番悩みがなさそうだ。
「でも休日の朝に二人で街まで出かけてんだろ? しかも若干こそこそ」
「どうかしらね。お互い戦地に出戻る敗戦兵みたいな顔してたけど。デートではないんじゃない?」
「だからどっちなんだ、結局。だいたいよくもまあ、一人一人出て行くところチェックしたもんだな、暇人か!」
「うるさい。暇人はあんたでしょ」
アンジェリカが中指と親指ではじいたルークの駒が、バルトの顎にクリーンヒットする。謎の技術におののいてサブローが仰け反った。と、できれば参加してほしくなかった人間が、ここ一番でタイミングを見計らったかのように登場する。両開き扉は、その名のとおり両の扉を軽快に開け広げるもの! というくだらない持論を展開するリュカのお出ましだ。
「いやあ~! 俺はもう、二人は絶対デキてるにステーキランチ賭けてもいいね!」
 ノックなどしない。ドアの前に誰かが立っているかもしれないだとか、考えない。役職や階級や所属を名乗るなどもってのほか。執務室のドアは渾身の力で開け放つもの。おかげさまで反対側の壁には痛々しいほどの打ち付け傷ができている。
「五月蠅いのが起きてきたな……」
開口一番、サブローのご挨拶。
「なんだよなんだよっ、なんで俺が起きる前にそういう面白すぎる話しちゃうの? いいじゃん、めでたいじゃん、ハッピーじゃん。祝う? こう盛大に、ぱーーーーっっと!」
白い歯をのぞかせて心底嬉しそうに両手を広げるリュカ。とめない、誰も。バルトでさえ午前中からそこまでのテンションは発揮できない。リュカはこれで寝起きだというのだから、末恐ろしい。
「だから。そういう余計なことをすんなって話だ。……ちょっと放っておいてやれ。アンジェリカもサブローも、本人たちに余計なことは言うな。……マユリもだぞ、聞いてるか」
「聞いてるよ~? 放っておくに決まってるじゃない。二人ともいい大人なんだし、だいたい好き同士なんでしょ? だったらそれだけでいいじゃん、めでたいじゃん、ハッピーじゃん」
 マユリが作業をしながら歌うように言った格言に、「いい大人たち」が顔を見合わせた。最年少に完璧に窘められてはぐうの音も出ない。
「それに──私たちだってそうでしょー? 好き同士ここでこうしてるんだから同じでしょ? 誰にも何にも言われなくたって、私ここにくるもの。そういうことだよー」