episode ix ミイラ捕りがミイラになった理由


 事がここまで迅速に運んだのは、下手な小細工も巧みな交渉術も必要とされなかったためである。シスイ・ハルティアは、ナギからの連絡を手薬煉を引いて待っていたのだから、今回の「会談」には二つ返事で応じてくれたというわけだ。無論、これまでの経緯もこれからの内容も機関に報告するつもりはない。それだから、ユリィがこの場に居合わせるということは確かに歓迎すべき事態ではない。
「物騒な会話ですね。冗談にしてもセンスが悪い」
(出た……!)
 本人たちは知る由もないが、シグとナギは胸中で揃って同じ反応をしていた。何かをしつこく朗読でもしているのかと勘ぐる他ない、粘っこい喋り方。一度聞いたら暫くは耳に残る特殊効果付きだ。
 シスイはナギたちを見てにっこりと微笑んだ。秘書官らしき男性二人が入り口扉の前でそのまま待機、シスイは笑みを携えたままナギの対面にあるソファーに腰をおろした。
「お久しぶりですね、ナギさん。あなたからの連絡を心待ちにしていましたよ。どうです? 言ったとおりになったでしょう。あなたは自らレーヴァテインの門をたたくと」
「……こうなることを予見してた、とでも?」
「ええ、していましたよ。……グングニルの闇は、蓋をすれば覆い隠せるような代物ではない。じわじわと染み出し、溢れ出て、いずれ世界を食らい尽くす。そういう類の闇ですから。あなたは望む望まざるに関わらず、闇に触れるしかない。そして触れたらもう、ここへ来るしか道はない」
「言っておきますけど、ここへは訊きたいことがあって来ただけです。ニーベルングを崇拝するつもりも、“巫女”とやらになるつもりも毛頭ありませんから」
「構いませんよ。まずはあなたの話を聞きましょうか」
 調子が狂う。いや、ねっとりボイスもわけの分からない世界論も健在であるから、その意味では彼は絶好調なのだろうが、やけに友好的だ。ナギは何となく隣に視線を移した。が、不機嫌そうなシグと紅茶のおかわりを頼む厚かましいユリィの姿が映っただけで、頼れるものは何も無い。ひとつひとつをその都度自分で判断しながら進むしかないようだ。
「じゃあ単刀直入に。あなたはコンドル級ニーベルング“サギ”の正体を知っていますよね?」
「……知っている、と答えることにしておきましょうか」
「それはどうやって知り得たんですか? サギに関しての一切の情報は、機関でも一部を除いてはトップシークレットです。民間に簡単に諜報されるような機関でもない」
「お互いのために詳しくは言えませんが……我々レーヴァテインは、あなた方の思う“民間”とは別物だと思っていただくのがいい。それに私個人と機関とのつながりについて、あなたはもうご存じのはずだ。大掛かりな諜報活動というものは必要ないのですよ」
「だったらそこに関わった、ある特殊な魔ガンについても知っているはず」
「ええ。それも『知っている』と答えるしかなさそうだ」
 指先が、唇が、僅かに震えるのを誤魔化すために息を呑んだ。この男は、知っている。ナギが知らない、そして永久に知りたくもなかった存在について当然のように知っていたのだ。
「……どこに」
終始微笑みを浮かべていたシスイだったが、ナギの声色が変わった瞬間に苦笑をこぼし両手を挙げた。
「答えてください……っ! ファフニールはどこに!」
「待ってください。それはあまりにも論理が飛躍している。私はあくまで知っていると答えただけで、関与したとは一言も言っていません。そもそもあれは、人の手では撃てないものだ。スタンフォード中尉が消え、サギが現れ、そこにファフニールが使用された形跡が認められるなら導かれる結論はひとつしかないのではないですか?」
シスイは口調は変えなかった。今にも懐に手を入れそうなナギをシグが横から制している間にも、台本をなぞるように一音一音丁寧に発音する。
 それを窘めるように、テーブルの上で陶器がこすれる音が響いた。
「つまり状況証拠からしてどう考えても、サクヤが自分で自分を撃ったという事実は揺らがない、ということ?」
 ユリィの二杯目の紅茶は、カップの半分の位置でゆらゆら揺れていた。傍観者に徹するつもりだったが、進行係が理性を忘れた猿みたくなってしまったのではそうも言っていられない。
「その通りです、ミス・カーター。既に確定している事実を捻じ曲げようとする行為は、愚劣で滑稽だ。加えて何の生産性も無い」
 これにはシグが反応した。ナギを羽交い絞めにしたままで嘆息する。
「……仮にサクヤ隊長が自分自身にファフニールを撃ったことが確定事項だったとして、そこにあんたが関与していないなんて誰が言える。ファフニールの存在も、隊長のニーベルング化も、レーヴァテインにとって利益がなかったとは言わせない」
「そうですね。確かに我々はナギさんの存在と同等……もしかするとそれ以上に、スタンフォード中尉の動向を注視していました。というのも、彼の立場はあくまで暫定的なもので、きっかけひとつで敵にも味方にもなり得る存在だったからです。それもかなり強大な」
「隊長を、味方に引き入れたかったとでも……?」
「協力関係になれるのでは、と考えただけです。同じ思想を持ち得る者と敵対するのは理に反している」
「わけの分からないこと言わないで。サクヤはあなたと同じ思想なんか持ってない」
「近い価値観は彼の中にもあったという話です。彼はもともとニーベルングに対して、グングニル機関のように排他的でも我々のように肯定的でもなかった。それはニーベルングの“動機”を計りかねていたからでは?。それは我々もずっと思っていたところでした」
「その見解を否定する要素はないわね。八番隊がニーベルングを仕留めないときは、必ずサクヤの意思が働いていたし。それも私が知っているだけで、一度や二度じゃないわ」
 ユリィはあっさりシスイを擁護する側にまわった。いや、そもそもこちら側とも言えない立ち位置にあった人だ。などと割り切ろうとするがナギの中では歯がゆさと悔しさが膨らむばかりだ。この愛想の悪い小柄なスナイパーは、ナギの敵にはまわってもサクヤの敵にはまわらないはずだと、勝手に思い込んでいた。奥歯がきしむ。未だに解放してくれないシグにも、その不協和音は聞こえていたに違いない。
「ナギさん。また勘違いが暴走しているようだから忠告しておくけど。貴方は彼を黒幕に仕立て上げることを目的にここへ来たわけじゃないんでしょう。だったら全ての情報を客観的に見つめなおすべき。それができないんだったら、そのまましばらくエヴァンス曹長と抱き合ってて。目障りだけど」
 瞬時に反応したのはシグの方だった。ナギの背後からまわしていた腕を引っ込める。晴れて自由の身になったはずのナギは、そのまま押し黙ってテーブルを見つめる他なかった。
 ユリィに視線で促され、シスイは話を続ける。
「ニーベルングは東へ東へと進撃を続けている。私はそれを単なる縄張り意識でも破壊衝動でもないと考えていました。そしてそれは、もう立証されたといってもいい。スタンフォード中尉の意思が残っているにせよいないにせよ、中央に現れたサギというニーベルングもグングニル本部だけを狙っている。これはもうグングニル……あの機関に何かカラクリがあると思うのが普通でしょう。スタンフォード中尉はそれを知ったからこそ、グングニル機関と袂を分かったのでは?」
 シスイの声がいつかと同じようにぐるぐると頭の中をまわる。吐き気を伴って反響し続ける。それを掻き消すようにナギの脳裏をよぎる、くぐもった声があった。──通信機を通したサクヤの声。もう何度となく繰り返してきた最後の会話。

 今日中に、どうしても君と話がしたい。

 あれは、中身の無い他愛のない話という意味ではなかったはずだ。通信では話せないとサクヤは言った。それは機関内部では話せない、という意味だったのかもしれない。
「サクヤは何か……グングニル機関の触れてはいけない部分を知ってしまった。それを私に話そうとして、話す前に……こうなった。それがサクヤの意志によるものかそうでないのかは分からない。分からない、けど……」