episode ix ミイラ捕りがミイラになった理由


サクヤが知ってしまった「何か」は、偶然彼を選んでその正体を晒したわけではないはずだ。彼は「何か」を追い求め、知るべくして知った。それが、彼がいなくなる直前まで調べていたことと無関係であるはずがないのだ。
(ああそうか……だから)
サクヤは“ファフニールを撃っている人物”をつきとめたのだろう。その人物に接触し、返り討ちにされたと考えるのが妥当だ。
 ナギはどうやら無意識に、自分だけが知っている情報を加味して推測を進めていたようだ。大丈夫、自分は周囲が思うよりは冷静だと安心すると同時に、背筋が寒くなるのを感じた。背筋だけじゃない。全身の血が冷えきったようだった。身体の感覚がなくなった。
「大丈夫ですか。顔色が優れないようですが」
シスイの声が耳から耳に抜けていった。
「ナギ」
「大……丈夫。ちょっといくつか……思い出したことがあって」
そうは言ったが、ナギが話を続ける気配はなかった。ほんの数十秒の短い沈黙の後、シスイが溜息と同時に再び口を切る。
「とにかく、まずは我々レーヴァテインが今回の件に一切介入していないことをご理解いただきたい。そして今後もそれは変わらない。ニーベルング“サギ”は我々の手に余る。……身の程はわきまえているつもりですよ」
「ふうん……そうやって不干渉を宣言しておきながら、裏ではグングニル隊員に魔ガンを卸売り。ナギじゃなくても疑いたくはなる不誠実さではあるな」
「そちらはビジネス。顧客の中に、あなた方のご友人が混ざり始めたというだけの話です。他意はありません」
 シスイは驚くほどあっさりと、魔ガンの闇市のスポンサーであることを明かした。そして悪びれもせず、それでも無関係だと主張する。自らの手は下さず、汚さず、いち早く結果だけを手に入れるには効果的なやり口である。レーヴァテインにとっても、サギの存在が歓迎されるものでないことだけは確かなようだ。
「どうしても私を巻き込みたいようですが……本音を言えば、この件には関わりたくない。疲弊するだけで利潤が無いですから。サギにしろファフニールにしろ、戦局が派手すぎる。グングニル機関を狙ってくれるのはありがたいですから、傍観者に徹するのが一番だ」
「利潤が無い? ファフニールが手に入れば、あなたたちが大好きなニーベルングが好きなだけ増やせるのに、ですか」
「そういう言い方はやめてください。私たちはニーベルングという存在そのものに畏敬の念を抱いている。養殖品に価値は見出せないと言ってもいい。……そもそも現状で一番黒いのはあなたですよ、ナギさん。言うまでもなくあなたはファフニールを撃てる人だ。ブリュンヒルデが実はファフニールだったとしても不思議ではない」
 会話の内容にしろシスイの口調にしろ、順調に不快を溜め込んできたところで出鼻をくじかれた。ナギだけではない。シグもユリィも疑問符を浮かべている。
「話がややこしくなるから今そういう話題は……」
「可能性の話ですよ。我々は実際のファフニールを見たことがない。本当にそんなものが存在するのかさえ怪しい。つまり欺こうと思えばいかようにも欺ける、そういうことです」
場違いにも最後に笑顔を作ってくれたおかげで、一気に恐怖が襲ってきた。ナギが咄嗟に向けた視線の先で、シグが、ユリィが揃ってかぶりを振る。ここにいる全員が、ファフニールという魔ガンの実物を見たことはないのだ。おそらくは零番隊員、のみならず全グングニル隊員に同じことが言えるのではないか。そしてそれは看過してよい事実ではない。シスイの言う可能性とやらを考慮に入れると、魔ガンを所持する誰もが容疑者である。
「以上。分かっていただけたのなら私からお話することは特にありません。どうぞ、お引取りを」
場違いな笑顔は保ったまま、シスイは自らが率先して立ち上がり秘書たちに扉を開かせた。そう間を置かずにシグも腰を上げる。
「帰ろう。これ以上ここに居ても得るものはないよ」
「そうね。お茶をどうもごちそうさま」
 ナギに呼びかけたつもりだったがユリィが応答、のち起立。
「ナギ」
 ナギは立ち上がらず、口元に手をあてがったまま微動だにしない。その仕草には見覚えがあった。とんでもないことを口走る前の、あの人のポーズだ。
「……ナギ」
「ごめん、先に行って? ちょっと話しておきたいことがあるから」
「だったら俺も残るよ」
当然の流れだ。が、ナギはおもむろにかぶりを振った。補足をしなければとは思うのだが、良い説明が見当たらない。あれこれ考えているうちに、シグの方が察して踵を返した。
「五分だけ外で待つ」
シスイの方は見向きもせずに部屋を出た。こうやって気を利かせるのは、最近だけで二度目だ。これが正しい判断なのか、実は一抹の不安も覚えている。扉一枚隔てた先にナギは居るとはいえ、この一枚で決定的に手遅れになることもあり得るのだ。扉が閉まりきる前に念を押すように振り返ったが、ナギはもうこちらを見てはいなかった。
 束の間の静寂が訪れる。二人は立ち上がったまま向き合っていた。
「知っているのはあなた自身とスタンフォード中尉、といったところですか。であれば、先ほどの発言にはいささか不都合なものがありましたね。お詫びします」
シスイはやはり同じ口ぶりで、少しだけ肩を竦めた。どういう類の話かは察しているようだった。
「……やっぱりあなたは、十年前ヘラにいたんですね」
「そして“ヘラの生き残り”という奇跡を目の当たりにしてしまった。その奇跡を無かったことにするよう画策したのは当時の二番隊隊長です。共同戦線を張った中部支部の隊員に、その子を引き取ってもらうよう手配したのはまた別の隊員。……尽力した当時の二番隊員のほとんどはニブル病で亡くなりましたが」
それはサクヤが調べてくれた空白の記録部分だ。十年前の二番隊隊員の記録は、その先に渡るまで抹消されている。
「ひとつ聞きたいことがあります。あなたはどうして、ヘラの生き残りを公表しなかったんですか。昔も、今も、あなたにはその機会が山ほどあったのに」
「巫女は我々レーヴァテインの切り札ですから。いずれは世界に還元する力だとしても、簡単に大衆に晒す気にはなれませんでした。ただそれだけのこと」
「その巫女になることこそが、ヘラの生き残りの唯一の道だと?」
「以前もそのように申し上げたはず。あなたは人類を導く力を持っている。この壊れゆく世界で人々を照らす希望、奇跡の体現者だ」
「私は……そうは思わない。身勝手だと言われても、私は私のやり方で恩返しをしていくと決めた。私はファフニールを撃てる、ということはきっと対抗することもできる。……生かされた恩はここで返します」
「そんなことを私に宣言しても何の意味もありません。第一、あなたを生かしたのは私ではない。もっと大きな力だ。私はただ、その場に居た、居合わせてしまっただけの哀れな存在です」
 ナギの口からは知らず、苦笑が漏れていた。シスイの中では、とにもかくにもナギは選ばれた特別な存在で、その事実が揺らぐことはないようだ。
「そうだったとしても、私を助けてくれたことも公にしないでいてくれたことも、確定済みの事実ですから。感謝しています。おかげで今の私でいられる」
「今のあなた、ですか。確かに少しだけ以前とは変わったように思います。……逃げるのはやめたのですか」
「……そのツケを今払っているところなので何とも。でも……もう逃げたくはない」
 シスイはそうですかとつまらなそうに返事をし、暖炉の上の置時計に目をやった。
「私もあなたにひとつ、聞いてみたいことがあります。ナギさん、あなたはヘラ・インシデント……あるいはそれ以前のことを鮮明に思い出すことができますか」
「え──」
心臓が大きく一度跳ね上がった。