「なんで隣に座るんです……」
「離れて座る理由が特に見当たらないから」
そうだった。この人にこの手の質問をしても滅茶苦茶なかわし方をされるだけだ。
深々と嘆息があふれ出る。麗らかな昼下がり、老夫婦の愛のある会話、完璧な躾の犬たち、散歩するにはしゃれ込みすぎた装いの飼い主、そして隣には無表情でホットドッグを頬張るユリィ。わけが分からないが、おかげで脳内にこびりついたしつこい声のことは多少忘れることができた。と思っていた矢先。
「ナギさんとシスイ代表にはどんなつながりが?」
「……わざとですか」
「? 何が」
シグの質問の意図が汲めず、ユリィは思うままに疑問符を浮かべる。シグが返してこないのでホットドッグの最後のひとくちを軽快に頬張った。最初から最後までマスタードの味しかしなかったが、それはそれで。
「さあ……俺は知りませんよ。ナギはニブル耐性が恐ろしく高いんで、どっかからその情報を仕入れたシスイが、しつこくつきまとってるって印象しか無かったんで」
「……それ。不思議に思ったことないの? ニブル耐性っていっても普通はニーベルングの吐き出すニブルに多少適応できるとかできないとかのレベルよ。でもナギさんは異常だわ。サギと応戦したときも、教会でも、彼女は一切マスクをしてなかった」
「だから恐ろしく高いって言ってるじゃないですか」
「それは『ファフニールを撃てる人』だと断言されるくらいに?」
「その話は本人に直接してください。俺の領分じゃない」
レーヴァテインの巨大な門からナギが駆けてくるのが見えた。シグはベンチから腰を上げ、ナギの到着を待つ。
「長いんじゃない。五分以上待ったと思うんだけど」
「え! そう? でもあの中広いから移動するだけで時間がかかっちゃって。なんか妙な組み合わせだけど、二人で何話してたの?」
「……ユリィ隊長は通訳なんかいなくても案外よく喋るって話」
「そ、そう」
それは本人を目の前にして言っていいことなのだろうか。地雷のような気がしないでもないが、ユリィは特に不快というわけでもなさそうだ。と、思いきやそうでもないかもしれない。ユリィは腕と足をそれぞれしっかり組んでナギを凝視している。待ってほしい、何故怒りの矛先が自分なのか。
「ナギさん、正直に答えてほしいんだけど」
「はい……?」
「あなた、自分にならファフニールを撃てると思う?」
直球、それも剛速球がシグの眼前を通り過ぎナギにぶちあたる。躊躇は全く無い。顔を背けて嘆息するシグの横で、ナギは凝固している。
「……必要性を感じません。リスクが高すぎる」
「答えになってない」
間髪入れずたたみかけるユリィに先刻の柔和な雰囲気は皆無だ。そういうことならとばかりにナギも苛立ちを隠さない。
「……何が言いたいんですか」
「いちいちカッカしないで。そういうのがこの間みたいな無鉄砲な行動につながるのよ。私はあなたがあなたのことをどう考えているのか、それが知りたいだけ。別にあなたを追い詰めたいわけじゃない」
ユリィもまた、シスイと同じく自らのペースを崩さないタイプだ。それが状況にそぐわなかろうが空気読まずだろうがお構いなしだから、誤解という誤解を片っ端から呼ぶことになる。が、今回は本人による注釈というか補足説明が入った。なるほど確かに、ユリィの通訳を謳う歩く騒音公害のような存在は実は必要ないのかもしれない。
「だから想像で構わない。ナギさんが、ファフニールを撃つことが可能かどうか」
ナギは意識的に一拍おいて平静を取り戻すことにした。いや、そう振舞うための時間を見繕ったに過ぎない。平静という状態は当の昔に吹き飛んでいる。
「……撃てると思います」
それ以上は何も語らない。唇を真一文字に結んでそれを訴えた。と、しらばくしてユリィの口から小さく吐息が漏れるのが分かった。
「客観的な意見ね、安心した。この前も言ったけど、私は八番隊のあなたは信用しているわ。……そうだ、ごほうび」
「え、わ、ありがとうございますっ」
ユリィは振り返って、両の手にそれぞれホットドッグを持った。当初の予定通り二つともをナギに押し付ける。そして想像通りナギはその二つともを快く受け取った。そこに疑問を持つのはシグだけらしい。
「……ナギ。あのさ──」
「ナギさん。あなたたちは、これからどうするつもり?」
シグの言葉を横取りするように、ユリィが口を挟む。
「零番隊という存在がそもそも行き当たりばったりだから、十ヶ月という猶予が保障されるかは甚だ疑問」
「そうですね。私たちは──」
「待った」
今度はシグが割って入った。有無を言わさぬ強い口調とは裏腹に、シグの口からはまたも深い嘆息が漏れる。
「それをユリィ隊長に言う必要はないでしょ。頼むからその辺りの危機感だけは言わなくても持ってよ」
「分かってるよ。私たちはグラスハイムの手前、郊外で情報収集と網を張ろうと思ってます」
「は? ナギ?」
「中央で待ち構えてたんじゃやっぱり遅い。それに、サギだけに気を取られるわけにもいかないというか……肝心のファフニールの所在が全くつかめてない。私は正直、こっちのほうが怖い」
「そうね」
「……ねえ、俺の話聞いてた?」
「聞いてるってば。でも、全ての情報を隠匿したからって完全に雲隠れできるものでもないでしょ。それに私たち、ユリィ隊長に助けられこそすれ妨害されたことってあった?」
「俺はこれからされる可能性の話をしてるんだけど」
ついでに言うと補佐に入って罵詈雑言を浴びたりだとか、囮に使ってやるから好きに動けと無茶ぶりされたりだとか、そういう経験はあるが助けられた経験は思い当たらない。
「でもアカツキさんとカリンのこと頼めるの、ユリィ隊長くらいしかいないから」
「またイライラする勘違い。それ、あなたに頼まれてやることじゃないから」
「です、よね」
「ほら。イライラされてんじゃん。しかも、またとか言われてんじゃん」
「うるさいなぁー……。ほんとシグって細かいことにあーだこーだ、小姑みたい……」
ナギの口からも深刻そうな溜息が吐き出される。シグは唖然としたまま固まっている。
「ちょっと……ちょっと待った。何、小姑って。それ俺じゃない、ナギでしょ。朝は糖質と炭水化物を取れとか、執務室の電気はこまめに消せとか、寝るときは腹を冷やすなとか……」
「エヴァンス曹長。それ、小姑じゃないわ」
「じゃあ何ですっ」
「おかあさん」
目に見えて苛立つシグに、ユリィは事も無げに言い放った。悪気はない。だから再び機能停止したシグに向けて、聞こえなかったのかと追い討ちをかける。
「おかあさん」
「一度言われれば分かります……」
「そう? 聞こえてないみたいだったから」
ユリィがシグを手玉に取る光景は、見ていて飽きのこないものだった。だからナギも思わず笑いを噴き出す。声を出して笑っていれば、全身をじわじわと蝕むような記憶に──記録に?──押しつぶされずに立っていられる、気がした。