で、一番の問題児たりえる男は、ぎりぎりチョウを追いかけてはいないだけで、既に興味を別の案件に移しているようだ。顎先に右手をあてがって、難しい顔つきを晒していた。唸ってもいる。観察対象は、自らが選抜した八番隊隊員たち。
「今度はなんだ……」
四つ目だか五つ目だかの目的があるのか。サクヤはこの一石で何羽の鳥を得るつもりなのか。そういう男だと知ってはいるが、初日から脳内の算盤を弾きすぎではないのか。
「何っていうか……早速なんだけど、隊の方針をひとつ決めたんだけど、いいかな?」
そう切り出してサクヤが提案した“方針”が思ってもみないものだったせいか、連中はまたもや顔を見合わせていた。が、今度は疑問も否定も上がらない。各々に胸中で解釈をして、各々に新しい環境で新しい自分の立ち位置を模索することにしたようだった。
バルトにも異存はない。ただこの“方針”はどうにもシグ・エヴァンスには合わなさそうだなと、人知れず苦笑いをこぼしていた。
索敵しながらギンヌンガ方面へ行軍、と言えば格好はつくが実情はどう見ても「散歩がてら談笑」つまり、ハイキングだった。誰からともなく自己紹介が始まり、はじめは探り探りのおぼつかないやりとりだったものが、だんだんと趣味や嗜好の話に広がり、今はグングニル隊員らしく魔ガンの命中精度だとか射撃フォームについて会話に花が咲いている。その手の話題で中心にいるのが(一部の者にとっては意外だったのだが)シグだった。
「だから右手だけで何でも済まそうとし過ぎで、基本は左手……利き手じゃないほうできっちり固定して」
「だ、か、ら。こうだろ? こう?」
「じゃなくて、それだと左手に全部力いっちゃってんだろ」
「じゃあ、こう」
「……何がしたいんだよ、魔ガン引き裂きたいのか?」
シグの指導を自分なりに完璧に体現しているつもりだったリュカは、最後のシグのげんなりした顔と痛烈なツッコミで動かなくなった。サブローが顔を背けて笑いを噴出している。
「分からん! だいたいシグ、お前は両手持ちでバンバン撃ってんじゃん。俺もあれがやりたいのよ、で、できれば全部当てたいのよ」
「リュカと俺じゃ魔ガンのタイプが違いすぎる。ヴェルゼみたいなのを横着に片手で何とかしようとするとすぐ腕もってかれるぞ」
「あー。わかる~。けっこう腕だるいんだよな、戦闘後とか。そっか、持ってかれちゃってんのかぁ。……ま、いんじゃない? 返ってきてるし、腕」
シグは宇宙人を見るような究極の怪訝顔をさらす。そして通訳を求めるためサブローとナギを順に見た。サブローは相変わらず腹を抱えていて呼吸をするのに手一杯のようだし、ナギはナギで先刻シグがレクチャーした「基本の魔ガンの握り方」を確認するのに一生懸命、こちらのことには無頓着だ。一応、サクヤの反応も確かめてはみる。が、この索敵兼お散歩がはじまってからというもの、サクヤは最後尾の引率ポジションで終始朗らかに笑っているだけだ。自身が思い付きのように打ち出した「方針」に、皆が無理なく乗ってくれたことにご満悦の様子。
サクヤが提案した方針とは、隊員同士は階級ではなく名前で呼び合おう、というもの。形式ばった敬意表現は不要、すなわち敬語も不要、そしてどれも強制はしない。階級のみならず、明らかに年齢が上だったり職歴が上だったりする者に対して無理にフランクに接して、居心地の悪い思いをするのは本意ではない。だから任意だ。
シグもそこに一役買っている。嫌々のつもりはない。
と、自分の魔ガンとひたすら握手を繰り返していたナギが、小さな唸り声をあげながらシグとの距離をつめてきた。
「理屈は分かったんだけど、どうもしっくりこない、気がする」
「……撃ち方の癖があるからじゃないの。直すんだったら反復練習が必要でしょ。あと、リュカにも言ったけど、俺のとじゃバーストレベルが違いすぎるから」
「うーん……それはそうなんだけど。──ちょっと今、見てもらっても?」
何の前触れもなく、ナギがいきなり右斜め上空に向けて魔ガンを構えた。ナギの質問はシグに向けられたものだったが、シグはその質問をさらにサクヤに向けて視線で流す。
「かまわないよ。フォローが必要なら各自で」
許可が出るや否や、ナギはいつもと同じやり方でお空に向けて引き金を引いていた。その一連の流れに全くと言っていいほど緊急性が感じられなかったから、凄まじい爆音を耳にしてはじめてバルトやサブローが反射的に魔ガンを引き抜いた。まさに寝耳に魔ガン。心臓が悲鳴を上げながら早鐘を打ち続けている。
上空で濁った色の花火が上がっていた。焦げたニーベルングが、風に煽られる凧みたく不自然な動きで、かろうじて滞空しているのが見えた。
「あちゃ……」
「うわ……下手くそ」
「うぉい! おいおいおい! なんでいきなり戦闘開始してんだっ! あるだろう?! 普通こう、合図がっ」
いきなり撃ち始めた張本人のナギと、監督を仰せつかったシグは、今のが射撃練習だったと言わんばかりの落ち着きでのんびり短い感想を述べている。バルトとサブローが慌てふためくのも、そのわりに一切手を出さないのも道理で、彼らの魔ガンでは飛距離が足りないのである。戦闘準備はするが、手をこまねいて見ているしかできない。
「いやいや、ここはもう、俺が」
リュカが謎の自信を携えて魔ガンを空に向ける。
(外すな、これ)
先刻身に着けたばかりの「魔ガン引き裂きの構え」で以て、何故か仕留められると思い込んでいるあたりがおめでたい。せめてかすって、全員の射程距離内に墜ちてきてくれればどうとでもなるのだが──未だ全く魔ガンを抜く気配のないサクヤを横目に、シグは懐に手を入れていた。
リュカが引き金を引く。ほぼ同時にうららかな昼下がりにふさわしくない爆発音が鼓膜をつんざく。ブリュンヒルデといい、ヴェルゼといい、バーストレベル5の魔ガンはいちいち全てが派手で大げさだ。それをこの訳の分からないフォームで対象にぶち当てるのだから開いた口もふさがらないというものだ。誰かの軽快な口笛の後、サクヤのゆったりとした拍手が響く。
「なんで当たるんだ、あれで……」
「やべぇ! シグ直伝最強! 見た?! 鮮やかすぎない? 今のっ」
「うまい! 私も墜としたかった!」
「またひとつ強くなっちゃったわ俺……! ありがとうな、シグ! そしてこれからもよろしく!」
リュカはヴェルゼを握ったままでシグの両手をぶんぶんと振り、豪快な握手。シグはなすがままだ。胸中では、いいからヴェルゼのセーフティを今すぐかけろという緊急の懸念と、そのでたらめなフォームを教えたのは俺じゃないというプライドがせめぎ合っていたが、なんだか面倒になって生返事を繰り返すだけになっている。
「いいな! ずるい! 私も覚えたい、シグ直伝!」
「じゃあナギは弟子2号な。俺が1号で、最初の免許皆伝者だから。兄弟子だから。敬意を持つように」
「なんで? それは意味わかんないから」
リュカとナギがそれぞれごちゃごちゃと言いたい放題言い始めたので、シグはその混乱に乗じて輪を離脱する。小さく嘆息する。それを目ざとく見咎められたか、今度はバルトが笑いをかみ殺しながら隣につけてきた。
「大人気だな。てっきり孤高の戦う王子様かと思ってたぜ」
「はあ……? 何その勝手なイメージ……」
シグの魔ガンは2丁共にバーストレベルが低い。単独で狩れるとすれば、最小等級のバーディ級数体が限度だ。命中精度や連射のしやすさ、戦闘における体への負荷、そういうものと自分のスタイルを鑑みて、選んでそうしている。ここぞというときの切り札だったり、とどめの一発を放てる最終兵器である必要はない。そうあってはならない。どこにでも汎用性が利いて、いかなるニーベルングの狩場にも「居て不自然じゃない」人材でないと。