extra edition#10 吊られた男のクロッキー【Ⅱ】



「俺の魔ガンは単独でニーベルングが狩れるような代物じゃないし、仲間とコミュニケーションとって互いの戦闘スタイルを知っておくってのは大事だと、思ってますよ」
「あらご謙遜。今年も討伐数機関内トップ10入り確定なのに?」
 バルトの陰からひょっこり顔を出したのは、アンジェリカ。
「それは狩場に出てる数が多いだけで……それに討伐数ならいるでしょ、中部隊員でもないのにもっとえぐいのが」
 ちらと移した視線の先では、シグが放置してきた弟子(?)たちが未だ子供じみた諍いを繰り広げている。それをやんわり調停するサクヤの姿。バルトとアンジェリカの視線も自ずとそちらへ引きずられて、話題の中心は我らが部隊長へ──という筋書だったのだが、シグの当ては見事に外れることになる。
 アンジェリカは、大きく身体を傾けてシグの顔を斜め下から覗き込む。この体勢から何か指摘されるとしたら、鼻毛が出ていますよくらいしか思い浮かばない。シグは訳も分からず身構えて、後ずさった。
「ちょっと内緒の話したいんだけど、いい?」
「……俺と?」
 アンジェリカが答える前に、バルトが肩を竦めてさっさと二人から距離をとる。疑問も呈さず冷やかしもしないあたり何か事情を察しているのだろうが、あまりにもお膳立てがすぎる気がしてシグは幾分不審がった。と、バルトの動向に気を取られている隙に、アンジェリカから腕をとられてバランスを大きく崩す。
「渡せるタイミングが分からないから、今渡すんだけど」
 なるほど、内緒の話らしくアンジェリカの顔が近い。が、シグの注意はアンジェリカとの親密な距離感ではなく、自らの左手に引き付けられていた。紙屑のようなものが無理やりねじ込まれている。
「? ……何」
 アンジェリカはやはり答えずに、手の中を開いて確認するよう促すだけだった。中身の入った薬包紙が二つ、申し訳なさそうに乗っかっている。
「寝不足? か極端な偏食? ……もしくは両方。早死にしたいんだったら放っておくんだけど、そういうわけでもないんでしょ? きちんと調整したものだから、使うといいわ」
 アンジェリカの口ぶりから、薬包紙の中身が何かはおおよそ予想がついた。と同時にある疑念が湧く。
「……サクヤ隊長が何か」
「あ、何。隊長知ってるの? じゃあ問題ないわね。歩哨には立たないで寝られるだけ寝ちゃってよ。可能なら一回休暇の取得をおすすめするけど」
 アンジェリカの話が入ってこない。サクヤでないとすると、誰にこの根回しができるというのか。
 掌を見つめたまま微動だにしないシグを見て、アンジェリカは深くゆっくりと嘆息した。
「何か勘ぐってるみたいだけど、あなたの様子に違和感持ったのは、私じゃなくてあの娘だから。不調そうだから確認してもらえないかって、さっき頼まれたの。……というか、根っからのスパイ見るみたいに警戒心出さないでもらいたいのだけど? こっちも身構えちゃうじゃない」
「それは、すみません」
 否定できないから謝るしかない。
「やだ、図星なの? 傷つくわーと言いたいところだけど……私も察しが悪いほうじゃないから、あなたが本当はどういうつもりでここにいるのかは、いろいろ勘ぐっちゃってはいるのよね」
 それはそうだろうなと思う。アンジェリカの率直な物言いは、逆にシグの不信感を和らげた。リュカはどうだか分からないが、他の隊員たちも少なからず何か思うところがあるはずだ。
 本部二番隊への異動をあの手この手で断り続けてきた男が、元二番隊エースが選抜する隊に興味を持って体験入隊なんてのは、やはりどう考えたって不自然だ。裏があると、普通思うだろう。
「巻き込むつもりは……いや、そうならないようには──」
「ストップ」という小声と共に、アンジェリカの細い人差し指がシグの唇を塞ぐ。 
「私は隊長や、この隊を守りたいだけ。だからあなたがここにいる理由が彼らを陥れるものじゃないなら、別になんだっていいの。それにそもそも、隊長が一枚かんでるんでしょ?」
 シグは優しく唇を塞がれたまま絶句していた。観察力? 洞察力? だろうか、そういうものに長けすぎていて、そのうえ余裕がある。
「乗ってあげるわ。それとシグ、自覚がないなら気を付けたほうがいいかも。あなたたぶん、とても嘘が下手よ」
「それは……どうも……?」
 人差し指が唇から離れてようやく発した言葉は、自分でも的外れだと思う。が、その返答にアンジェリカは満足したようで、柔らかく微笑んだ。後方で、隠れるでもなく一部始終を見守っていたバルトのほうへ歩調を合わせて合流する。
 シグは薬包紙をジャケットの奥に押し込みながら、先刻話題に上がった「あの娘」の後ろ姿を目で追っていた。今日初めて会ったはずだ、確認するまでもない事実を胸中で改めて反芻する。そして深々と嘆息する。
 出会って数時間の連中から、次々に身ぐるみはがされていく感覚がある。それはちょっとした恐怖だ。そして同時に期待も持ってしまう。この場所へ来ることを決めたときと同じように。
 この隊は想像以上のブラックフォースになり得るのかもしれない。ニーベルングに対してなのか、グングニル機関に対してなのか、あるいは──。恐怖と期待は、混ざりあって融け合って、ひとつになっていく。


 日の高いうちにギンヌンガ峡谷から流れる川沿いに歩を進めるよう進路を取り、早めに野営地の設営にとりかかった。今回の目標であるヨタカは夜間の目撃情報が多い。しっかりと休養をとり、歩哨を立て、遭遇戦に備える必要があった。
 移動を終え、日没までまだ時間がある。そういうことなら「シグ直伝」の射撃訓練をしようということになり、今は有志が林の奥でペイント弾を撃ちあっている。
「下手! もう無理それ、センスない! 独自ルールみたいなのが出来上がっちゃってんじゃん。意味ない、やめ!」
やればやるほど、シグの指摘と批評は激辛になっていく。そして言葉を選ぶことも半ば諦めはじめている。
「へ……下手は下手だけど、そんな下手っていうことなくない? これでもブリューの命中率はそこそこあるんだけど!」
「だからさ、止め。ブリュンヒルデに合わせてんでしょ? もしくは合わせてもらってる、か。どっちにしろ、ナギは他人の猿真似しても意味ないよ」
「そうかな!」
「そう……だから……下手くそっ! なんで的動いてないのに真ん中当たんないんだよ……! そっちのほうが圧倒的に難しいだろ!」 
 天幕の前でサクヤはひとり火の番をしていた。耳元に届くのは、主にシグの身も蓋もない嘆きで、そこに時折ナギの反論やリュカの雄叫びがかぶさった。そんな少し遠くの喧噪をBGMにして、サクヤは脳内で「二つ」の作戦を並行して詰めていた。
「最終チェック? 何か手伝おうか。……じゃなくて、ひょっとして邪魔だった?」
 てっきり喧噪の中心にいると思っていたナギの声が、すぐ近くで響く。特に疚しいこともないはずなのに、サクヤは過剰に驚いて目を丸くしていた。彼女の気配に気づかないほど随分考え事に集中してしまっていたらしい。
「シミュレーションし直していただけだよ。そろそろ食事の時間でもあるし、声をかけてくれて丁度良かった。君の方はどうだったの? シグのレッスンは」
「……一生分、下手くそって言われた」
半眼でそうこぼすナギ。それが誇張表現というわけでもないことをサクヤも知っているから、思わず声をあげて笑ってしまう。