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extra edition#11 吊られた男のクロッキー【Ⅲ】



「ギャアアアアアアアアア!」
 間髪入れずのサクヤの言い訳を、さらに間髪入れず遮ったのは──しゃっくりでも愚痴でもなく、悲鳴だった。人のそれではない。先刻まで断続的に聞いていた声質だったから、否定のしようもない。紛れもなく、ヨタカの悲鳴である。
「戦闘準備! シグ! 場所は!」
「──500メートルほど先です」
 他人には意味の分からないやりとりだったと思う。が、それを気に留めているような状況でもなかった。ヨタカの悲鳴とサクヤの緊迫した声が、この先に広がる光景の異様さを既に物語っている。
 走りこんだ先は、峡谷の上層。奈落の谷が一望できる開けた展望路だった。悲鳴は谷底付近から轟いている。やっぱりそうだよなと、何故かすとんと腑に落ちた。
 皆、異様さの正体を確かめるために谷底を覗き込む。
「おいおいおいおい……なんだよありゃあ……」
 バルトの引きつった声が、
「事故って、……ああはならないか」
 サブローの冷静を装った声が、鼓膜を揺らさず通り過ぎていく感じがした。シグも眼下に視線を落とす。既に知っている光景だ。が、霧のない今日は、その輪郭があまりにもはっきりしているせいで初めて目にするような錯覚に陥った。
 串刺しのニーベルング“クイナ”。谷底から槍のように突き出した岩に胴を貫かれ、それでもなお呼吸し、周囲をニブルの空間に塗り替えようとしている。ヨタカは狂ったように絶叫しながらクイナの周りを旋回していた。何に対する叫びで、何のための行動なのか、自分の常識にあてはめて理解したくはなかった。この光景こそ、人の頭で理解できる範疇を到底陵駕したものであってほしかった。
 誰かが息を呑むのに合わせて、シグも一歩後ずさる。その一歩を、埋めるようにサクヤが踏み込んだ。刹那、ジークフリートが火を噴いていた。
「サクヤ隊長……っ」
 谷底で、いくつかの巨大な岩が崩壊する音が轟く。シグはすぐさまクイナの様子を確認した。舞い上がった砂煙の中で、クイナは首だけを縦横無尽に振り回して、なおもニブルを吐いているようだった。直撃はしていない。
「さすがに届かないな。あっちは後回しにして、とりあえずは当初の予定どおりヨタカの撃破に専念しよう。どうも“あれ”が、かなり神経を逆なでしてしまったみたいだ」
「そいつはなかなか泣ける話じゃねえか。弔い合戦に付き合わされるのはごめんだけどなっ」
 バルトは苦笑いであっさり片付ける。その視線の先でヨタカが猛っていた。今の今までどれだけの威嚇射撃を受けても見向きもしなかったこちら側へ、明らかな敵意を向けている。
(もしかして、はじめから……じゃないのか)
 シグの脳裡によぎる、歪な結論── ジークフリートの一発が、磔のニーベルングに向けられたその一発が何の引き金足り得るのか。サクヤは大方の予想をしていたはずだ。そしてそれは満足のいく形で彼の目の前で展開された。あれはただ、確認のために放たれたのだ。
 自分はダシに使われたのかもしれないと、ここにきて初めてそういう考えに至った。ただ、そこに失望や侮蔑はない。サクヤがシグの頼みを聞いて、ここまでお膳立てしてくれたことは確かなのだ。彼が投じた一石で波打ったいくつもの水面のうち、何が「ついで」だったのかはさほど問題ではないように思えた。
「じゃあ思いっきり応戦しちゃいますかね! 谷の形ちょっーと変えちゃうかもしれないけ、ど、──って、いやいやいや! 速ぇって! ってか、でっっっっけぇ!」
 ヨタカは岩壁に沿ってほぼ垂直に飛行、こちらが態勢を整える前に全員を屠れる位置取りを完璧にこなしていた。リュカの実況の通り、その巨体は視界を全て遮断するほどである。分厚い雲の奥で鈍く光っていた太陽が、おかげさまで完全に見えなくなった。
 ヨタカが少しだけ首をしならせた。その首で、不安定なこの足場を薙ぎ払われたら、それだけで隊は壊滅状態に陥る。しかし、逆にニブルを放出しようとするなら、絶好の攻撃チャンスでもある。退避すべきか、打って出るべきか──ほとんどの者が後ずさりながら高速で逡巡する。
 そんな中で、迷うことなく引き金を引いたのはサブローだった。初弾で、半開きだったヨタカの顎をこじ開け、続く二発目は見事に口内に命中し、爆ぜた。
「はあ!? うますぎぃ!」
 リュカは目を丸くして、奇声を上げた。一番はじめに全速力で逃げ出すと思っていたサブローが、この控えめに言って生きるか死ぬかの局面をあっさり打破したことが意外すぎる。控えめな後方支援役を装ったこの眼鏡は、なかなかどうして最前線で活躍できる武闘派だ。
「いいぞサブロー、ナイス判断だっ」
 バルトはすかさずフォローに回る。シグと目配せしあって集中砲火を浴びせているところへ、リュカもふらふらと参戦する。どこか上の空で引き金を引いていたところへ、サブローの姿を見つける。
「なんでニブル吐くって分かったのよ……」
「は!? なんか言ったか? 戦闘! 中に! ぼやきいれてくんなよっ」
「だーかーらー! ニブル! なんで吐くって分かった!?」
「ああ、なんだそれな……って、ちょっ、タイヒタイヒ、退避! 尾撃くるぞぉ!」
 一難去ってまた一難。体勢を完全に崩したヨタカは、それを利用して巨体を反転させると、ゴミでも掃くように足場を薙ぎ払った。呑気に会話などしていたサブローとリュカは退避したというよりは、半ば吹き飛ばされてかろうじて受け身をとったという有様だった。乾ききった土と砂礫が容赦なく口の中に入ってくる。
「んで、今回は予報外れるしさあ……」
「予報なんかしてない。お前もっとちゃんと対象観察しとけよ。あいつ、結局ずっとギャアギャア言ってるから常に顎半開きだろ。タイミング狙っていけば向こうの攻撃も阻止できるし、っていうか阻止しないとこうなるだろ?」
 サブローは砂利の混ざった唾を適当に吐き捨てて、眼鏡の隙間に入り込んだ砂を手早く降り落した。薄汚れた制服と顔は、この際放っておくしかなさそうだ。
「……天才か?」
「じゃなくて、観察な。立てって。“先生”たちがおいしいとこ持ってっちゃうぞ」
 二人が悠長に会話できたのは、ヨタカの追撃が止められていたからだ。シグが二丁の魔ガンを全弾発射して時間を稼いでくれている。その稼いでくれた時間、結局二人はシグの射撃に感嘆を漏らしていただけに終わってしまった。16発、全てがヨタカの両目に着弾している。ぼんやり眺めているだけで、それが3セット繰り返された。眉一つ顰めず、顔色一つ変えずやってのける所業ではない。それを随分と簡単なことのようにやってのけるシグに、背筋が寒くなる。
「一旦切れる! フォロー回って!」
 一撃が死につながる。だから息つく間もなく、ヨタカが爪一本も動かしている余裕がないほどに翻弄している必要があった。バルトとアンジェリカが二人がかりで代役をかってでるも、空白の時間はどうしてもできてしまう。サブローとリュカも高みの見物とはいかなそうだ。
「隊長と、ナギは? どこ行った、あの二人!」
 リュカが放つ一撃は、悉く明後日だか明々後日だかの遥か未来の方向へ旅立っていく。ヴェルゼはもともと連射にも精密射撃にも向いていない範囲攻撃型魔ガンだ、それを考慮にいれても、昨日とは打って変わってのポンコツぶりである。
「対岸! そっちはいいから、集中してくれよ! お前のが当たらなきゃ足止めにもなんないんだからさ」
 サブローは見向きもしないが、リュカはしっかり対岸へ視線を走らせた。サブローの言うとおり、件の二人はいつの間にやら仲良く「発射台」へ陣取っていた。あの場所なら、ヨタカの死角で、かつぎりぎり射線が通る。無論全てはうまくいけば、の話ではある。
「もう一発来るぞぉ! 間に合わねえ!」
「後退後退っ! やあべぇぇぇ! 足場ぁぁぁ!」
 ヨタカはその場で地団太でも踏むように、振り上げた尾を脆い地面にたたきつけた。ビスケットみたくぼろぼろと崩れ落ちていく地表。成すすべもなく奈落に引きずり込まれていく中、シグは残りの二発でヨタカの翼の付け根を撃った。ほんの一瞬、それでヨタカが飛び立つのを遅らせることができた。