extra edition#11 吊られた男のクロッキー【Ⅲ】



「リュカぁっ! どこでもいいから思いっきり撃て!」
 シグが声をからして叫ぶ。物珍しいというか、初めて見る姿だった。リュカはわけもわからないまま、ご指名通りに引き金を引く。空中で体勢を崩したままのヨタカの剥き出しの腹部へ、ヴェルゼの爆撃がクリーンヒットした。そしてその爆風は、奈落に直行していた八番隊の面々をも見事に吹き飛ばす。吹き飛んで、煽られて、熱風にさらされながら、皆死に物狂いで岩壁の端々に手を伸ばした。
「今だ、ナギ!」
「はい!」
 遮蔽物が綺麗さっぱりなくなったことで、難易度は急激に下がった。片膝ついた状態でナギが、ナギの真後ろにはサクヤが直立した状態で、それぞれ魔ガンの引き金を引いた。一拍置いて、ヨタカの顔面と腹部で一際派手な爆発が起こった。
 断末魔は、無かった。
ヨタカは、お決まりの「ギャ」も言わず、ただ静かに轟沈した。そこだけ時間の流れが違うのか、おもむろに上体を傾けたかと思うと中層に向けて煙をあげながら落ちていった。
 火の粉と肉の焦げる臭いが風に乗って鼻腔を刺激する。その肌を焼く熱い風にこれでもかというほど煽られながらも、皆、岩壁にトカゲのようにへばりついていた。落ちたら死ぬのだから(それもかなり無残に)なりふり構ってなどいられない。
 サクヤとナギは上層を迂回しながら、必死の形相で命をつないでいるトカゲたちを一匹一匹回収していった。煤と火傷と裂傷でぼろ雑巾のようになりはしたが、誰ひとりとして欠けることなく、全員が沈黙したヨタカの前に揃う。
「レベル5の魔ガンの爆撃で吹っ飛んで、結果生きてるってのは貴重な体験だよな」
 頭でもうったのか、バルトは楽しそうに笑い飛ばしている。いや、よく見ると頭は打っていた。汗と混ざってさらさらと流れてくる血を、アンジェリカがてきぱきとぬぐい、止血を施している。見た目は派手だが、本人は至って元気そうだ。
「皆それぞれに適切な動きをとってくれて良かったよ。特に、リュカが当ててくれたのは助かった」
「いや、まあ……あれは。サブローさんとか、シグがさ、指示くれて。俺の判断で撃ったってわけじゃないし」
 褒めればてっきり便乗して、得意げに振る舞うかと思っていたのに、リュカは歯切れが悪そうに俯いた。
「それにその、さ。俺があそこで考えなしに撃ったから、みんな吹っ飛んで、下手したら死人出たってか……いや、うん。いいんだけどさ、みんな生きてるし」
 力なく笑うリュカを見て、シグは一応フォローをいれることにした。
「……いや、俺は『吹っ飛ばせ』っていう意味で言ったんだよ。でなきゃそもそも全員奈落に直行してたろ。どっかで頭打ってきたのはバルトの責任であって、リュカのはたらきは表彰ものだと俺は思うけど」
 本音なので特に抑揚なく、いつもどおり淡々と話す。
 数秒の間を経て、リュカは倍速録画した植物みたいにみるみる生気を取り戻した。一秒前までへの字で固定されていた口元は、今では完全にアルファベットの「U」だ。対して、バルトは何か言いたそうにこちらを見ている。
「そっかあ……! そうだよなあ? 俺が直接バルトの頭、カチ割ったわけじゃないしなっ」
「まあそうね。隊長の言うとおり、リュカもそうだし、みんな上出来じゃないの? もうちょっと安全策とってくれるのが一番いいけど」
 アンジェリカがうまくまとめて、視線をサクヤに移す。絶妙なパスだ。
「そうだね。今後アルバトロス級を討つようなことがあれば、それ相応の人数と日数をかける
から、そこは心配しなくても大丈夫だよ。そもそもそういう役回りは、僕たちの仕事ってわけでもないだろうしね。ただこれで、当初の予定通り、ある程度の評価は得られるはずだ。……これはけっこう、後々効いてくるカードだと思うんだよなあ」
 頭部と腹部が大きく欠損したヨタカの亡骸、それを見上げながらサクヤは満足そうに呟いた。それを横目に、シグは今朝の夢のことをぼんやり思い起こしていた。サクヤが言う「勝つために必要なカード」とはこのことだったのだろうか。それとも──。
「ったく、好き勝手人のことをけなしてくれやがって。百歩譲って、俺がドジ踏んだってことでこの件はまぁるく納めてやらんこともないけどな。このまま大団円ってわけにはいかんだろ? ……下のはどうするんだ、隊長」
「このまま討とう。あれはあれで、ニブルを吐き続けてる。放置する理由も特にないしね」
「それはまあ、そうなんだが。討って、いろいろと大丈夫か? あれは敢えて、ああいうふうに……あ~、なんだ? ほら」 
「敢えて見せしめにされているんじゃないかってこと?」
 バルトは慎重に言葉を選ぼうとしたにも関わらず、サクヤはその努力を酌んでくれない。否定の余地がどこにもない、正しすぎる単語を何の躊躇もなく口にした。
 バルトはばつが悪そうに後ろ手に頭をかく。いろいろと気をまわしたつもりが、うまく機能していないようだ。ほとんどの者が気づいてはいる。気づいているから扱いに困っている。隠すつもりがあったならもう少しやりようがあっただろうし、まさか自分たちがそこまで見くびられているとも思わない。であれば、この中の誰かが、派手に口火を切ってぶちまける役をやるときが必ずくるはずだった。それが今で、爆弾を持たされるのが自分だとは夢にも思っていなかったが。
「……そうだ。中部第一が知らないってことはないだろ。下手したら領分を越えちまう。支部まるまる敵に回すことになりゃしないか」
 シグに視線を送る。至って冷静だが、サクヤと組んで何をしでかそうとしていたかは、この光景を見せられた今となってはだいたい想像がつく。狼狽えもせず、弁明もせず、シグはサクヤの出方を待っているようだった。
「第一支部の隊員たちからは一時的に反感を買うかもしれない。でもそれだけの話だよ」
「言い切るな」
「あそことは、合同任務も多い。根に持つような指揮官たちじゃないよ」
「あんたがそう言うなら、俺からはこれ以上言うことはない」
「……他のみんなはどうだい? 異論があれば、きちんと聞いておきたい」
 場を設けられたのなら、とばかりにナギが素早く挙手をした。
「私は異論はない。こうすること自体に何も意味はない気がする。っていうより……個人的な意見にはなるんだけど、こういうのは好きじゃない、かな」
「はっきり言えばいいのに。虫唾が走るって」
 アンジェリカがまた威力強めの言い回しを選んでぶっぱなす。
「いや、そこまでは……」
言いながら視線を谷底へ落とす。そこにあるそれはおそらく、具現化した憎悪だ。直視するにはあまりに醜悪で痛ましい。どれほど美しい大義名分で、どれほど何重に包み込んだとしても滲みだしてしまう人の性が形になってそこにある。
 過度な共感はいらない。が、一定の理解は必要なはずだ。これが人の性で、自分が人であるのならなおさら。そう思いはしたが、否定の言葉は気づけば喉元で溶けてなくなっていた。
「そうかもしれない。正直ずっと、悪寒が止まらないから」
「気が合うわね。私もこういうのは趣味じゃない。誰かさんの夢に三日三晩出そうな光景だもの」
「俺はみんなが良ければそれで。……というか、シグは? 一番居心地悪くなるのは、シグだろ? まあ、承知の上で……やってんだろうけど」
 いい加減に本人にふるべきだ。そう思ったか、一番嫌な役回りをやはり今回もサブローが買って出る。空気が一瞬圧縮されて息苦しくなった。時は止まらないと知っているが、そういう感覚に陥ることは人生度々訪れる。
「そうです。俺のミスで、ああいう状態を作ってしまったので」
「あらら。あっさりネタ晴らし」
 アンジェリカは意外そうに口元を手で覆う。面白がっている、その余裕がサブローには心底羨ましい。
「じゃあやっぱり、この下のニーベルングを討ちにわざわざ今回の作戦を?」