extra edition#11 吊られた男のクロッキー【Ⅲ】



「躊躇ないなぁ、あいつ。がんがん攻めるじゃん」
「思ってたより真面目で責任感があって、意外に義理にも厚い。得点高いわー」
「何の得点だ、何の……。しかし誰だ? 単騎で討てるのはバーディ級だけとかのたまってたのは」
「本人だろ。謙遜は下手だったな」
 思い思いに言いたい放題。ヨタカの身体から伸びる命綱と、視界の中で小指程度の大きさになったシグに交互に視線を送りつつ、サクヤは黙って成り行きを見守っていた。
「そろそろ、か」
 中層の崖上から八番隊に見守られながら、シグはそんなことはお構いなしに目の前のことに意識を集中していた。足元から崩れ落ちていく岩壁に、だんだんと迫りくる背後の存在の圧力に、ホルダーにきっちり収めた借り物の魔ガンに、意識を割く。距離感は目算だ。谷底を流れる水の音がはっきり聞こえるようになって、清涼な空気が足元から吹きあがってくることに気づき、ようやく進むのを止めた。止まってなお、砕けた岩がしばらくは落ちていく。蝉のように岩壁に張り付いて微動だにせず、数十秒待った。川の流れる音だけが耳に届くようになって、ようやくシグはそこで一息ついた。深く深く、息を吐いた。
 清涼感がある。ニブルの霧に包まれているはずなのに。息苦しさよりも重苦しさよりも、辿り着いた安堵が勝った。これで本懐を遂げることができる、魔ガンを撃つときにそういう実感を伴うのは初めてかもしれない。安堵と、気味の悪い達成感が胸中で渦巻いた。
 角度をつけて岩壁を蹴り、身体を反転させた。クイナと視線が合う。谷底へ落としたとき以来だ。
「悪い、遅くなった」
 大きめの独り言だったと思う。伝えようという気もなくはなかったが、伝わるはずもないという気持ちのほうが大きかった。
 クイナは唸った。唸り、猛り、シグに向けてニブルを吐いた。可動域のほとんどなくなった首をなんとかしならせる。その度に、何かが顎下で煌めいた。僅かな太陽光を反射して、赤や黄色に、緑や青に、色彩を放つ。
 この光が、クイナ討伐作戦の鍵だった。あの日、視界を遮断する分厚い霧と夜の闇の中で、擬態に適したギンヌンガの地形の中で、クイナの位置を把握するための恰好の弱点、誘導灯だった。シグが撃ち損じて砕き割らなければ、この「ガラス」は元そうだったように神聖なシンボルを描き出したのだろうか。それともそもそも原型など留めていなかったのだろうか、今となっては分からない。
 教会のステンドグラス──砕け散った色つきガラスの正体に気づいたとき、クイナはグングニル中部隊員の標的から、シグ個人の標的になった。
「お前めちゃくちゃいっぱい殺したからなぁ……天国は無理かもな。それでもとりあえず、終わらせることはできるから」
 できるだけ重心を安定させたくて、岩壁についていた右足に少しだけ体重をかける。それだけで安定どころか高度が数十センチ下がった。とりもあえずその間にジークフリートを抜く。高バーストレベルの代名詞みたいな旧式魔ガン、持ち主によって使い込まれたそれは、確かにシグには間に合わせの借り物でしかない。それなのに、不思議な安心感があった。今度はヘマはしない。絶対に仕留められる──そういう分かりやすい安心とはまた少し違う。崩れ落ちそうな右足を、途切れそうな意識を、何とか支えてくれているような温かさと、懐かしさ。
 他人の魔ガンはこれだから嫌だ。持ち主の念のようなものを感じずにはいられない。
 アルバトロス級相手に一撃必殺は無理だと言われた。シグ自身もそう思っている。だからせめて二発。多少の腕の負担はこの際目を瞑って、瞬きする間に二度引き金を引いた。撃った瞬間、両腕は吹き飛んだかと思うほど感覚がなくなった。身体のほうは実際大きく吹き飛んでいた。爆発音は一度きり。轟いた音はそれ一つで、後は少し遅れて何かが水の中に落下する音が鼓膜をかすめた。
 その一部始終を、八番隊は遥か上方で映画でも見るように鑑賞した。と言っても、視認できたのはクイナの五体が爆ぜる瞬間までだ。今は谷底すべてが黄土色の淀んだ空気に覆われていて、状況を確認することはできない。皆だらしなく半開きの口元をさらして、呆けていた。
「やべぇな、アルバトロス一発撃破かよ……」
 賞賛と畏怖で顔がひきつる。バルトの独り言に、ナギが我に返ったようにサクヤに向き直った。
「サクヤ、今のって……」
「そうだね、二発連射してたと思う。一撃の威力ではないよ」
「……は? 連射? いやいや爆発音一回だったっしょ」
 何とも脳を素通りしがたい単語に、リュカがすかさず飛びついた。自分の知っている「連射」の概念と著しく違う。バーストレベル5の魔ガンは、そういうふうには撃てない。
「だから。着弾する前にもう一回、撃ってる」
「いやいやいやいや。だからじゃなくて。無理でしょって、それは。撃ったのジークフリートだよな? あれはこう、ほら。一回撃ったら……持っていかれるじゃん、腕」
「だから。……そうなる前の状態で、撃ってる、と思う」
「ああ、持っていかれるその前にね? 反動くる前ってことね? ああ~……。……だから無理だろって! 意味がわからん!」
 ナギとリュカは無意味な「だから」の押収を繰り広げながら、目の前で行われた信じがたい所業に何とか説明を施そうとしていた。
「どういう撃ち方をしたにしろ、この威力ならシグも飛ばされてるはずだ。命綱は?」
「手ごたえあります。落ちてはないですね」
「シグーー! 無事ーーぃ? これから引き上げるけど、大ー丈ー夫ーー?」
 なるほど一番手っ取り早い、ナギは谷底に向かって力いっぱい声を張り上げた。吹き抜けの風のおかげで、黄土色の薄汚い背景は物凄い速さで押し流されていった。
「シーーグーー」
 ナギのよく通る甲高い声だけが空しく反響する。と思ったのも束の間、谷底からか細い応答があった。これには皆、期待を込めて目を見張る。そうやって注視したおかげで、彼らはシグの現状をありのままはっきりと捉えることができた。まず、条件反射でリュカが噴き出した。
 シグは爆風で吹き飛ばされた結果、逆さづりの状態でふりこのように頼りなく揺れていた。こちらの呼びかけに何とか答えようとしているのか、ただ呻いているのかは定かではないが、とにかく何かしらを懸命に訴えてはいる。が、その声がか細すぎて全く聞き取れない。風の音と、微かに聞こえる水音にすら負けている。
「急いで引き上げよう。あのままだと頭に血が上る。……リュカ、笑ってないで準備」
「はい、りょう、了解……っ。引き揚げねっ! 合点承知」
 ここからは共同作業でサルベージだ。既に疲労困憊だったバルトとサブロー、そこにサクヤも加わって掛け声と共に綱を手繰り寄せる。リュカは、シグふりこが風に煽られる度に笑いながら離脱するものだからてんで役立たずである。
「シグーー! 無事ーーぃ?」
 先刻までは何か懸命に応答しようとしていたシグも、その気を無くしたのか一向に返事がない。逆さづりのうえ、強風に煽られ、旋回しながら大きく右へ左へ。とんでもない刑罰だ。見ていたナギのほうが気分が悪くなって一度目をそらした。そこへリュカが代役を買って出る。
「シグぅ! 気を確かにぃ! ポジティブにいこうな! アトラクションかなんかだと思って!」
 返事はない。代わりに大きく嗚咽が響く。それを聞いてナギは青ざめ、リュカはまた顔を背けて笑いを堪えた。
「リュカさあ……」
「いや、馬鹿にしてんじゃないっ。あいつ、いいよ。いい奴だよ、絶対。だってさ、これ。こ~んな胸糞悪い絵づらだったのに、最後に思い出すのひっくり返ってぶらぶら揺れてるシグなわけだろ? 最高じゃん。完璧だよ」
「なるほど。そういう考え方、ありかも」
「だろ?」
「シグー! もうちょっとだからねー! 腹筋とかして、なんとか粘ってー!」
「……ちょ、待っ。腹筋は……やばいだろって……っ」
 眼下のシグは動かない。風に揺られてぶーらぶら。それでもリュカの想像の中のシグは生餌のダンゴムシのように懸命に腹筋運動に勤しみだした。リュカは自分の豊かな想像にやられてついに再起不能になった。